カテゴリー由来

 私が「人芸品」と総称する品々は大変幅が広く雑多である。一般に言われる民芸品とか工芸品、土産物、宗教芸術、祭事用雑器、玩具、ファイン・アート(美術)、、などというカテゴリーを越えて想定している。最初から民芸品とか土産物として産み出される品は少ない。近年観光地で売られる土産物ももともとの由来は宗教的なものだったり、生活用品だったり、そのどちらもだったりするわけである。一口に「人形」といってもただ「玩具」と言い切ってしまっては事実とは言えない。それは多くの場合、信仰と深く結びつき、土産でもあり玩具でもありうるのである。さらに言えばしばしば「玩具」は今日的な意味の「おもちゃ」と異なり、子供の健やかな成長などを願う縁起物、お守りとしての精神的意味合いが含まれているわけである。例えば東南アジアの様々な人形劇は、ただの遊びでないどころか、宗教や王権に結びついた厳かな神事、芸術そのものでさえある。時にその人形劇は、踊りなどの芸能に先立ち、影響を与え、その民族の正式な中心的文化そのものでさえある。たった一つの近代的概念としての「用途」、「価値観」、「ヒエラルキー」をその対象物に当てはめ、鬼の首をとったように事足れリとそれを規定してしまう人がこの分野には多いが、このような行為は実体としての民俗文化のありように無知な時代錯誤的暴挙としか言い様がない。そういう人はその基本的研究態度が間違っているのである。

 そして一番大切なことは「芸術性」とか「美」というものは芸術品や工芸品もしくは民芸品にのみ見られるものではないということであり、逆に言うと芸術品や工芸品、民芸品にかならずしも「芸術性」や「美」があるかと言えばそういうことはなく醜いものが大変多いという事実である。

 そういうわけで西欧近代的な概念、用語によって前近代から脈々と続くものづくりの世界をとらえようとしても不適当なことが大変多い。あげくのはては「自然が芸術を模倣する」と言うように、ものづくり自体が概念を模倣して行くようになる。そういう近代以降の意識に基づくものづくりとそれ以前のものづくりが雑多に混ざりあいつつ、前者が後者を駆逐しているのが現状である。複雑な現実の中から本当の価値をとらえるためには、我々のものを見る眼そのものが、西欧近代的なカテゴリーから自由になる必要があり、そこでわざわざ「人芸品」という造語を私が造り出したことは先に述べている。

 そういうわけで人類が根源的な地点から産み出し芸術性を秘めることができた品々・「人芸品」は、あらゆるカテゴリーを超越すると同時に、あらゆる源・文脈が想定されることになるわけだが、ここではそれら雑多な文脈・由来を少しくわしく分析してみたい。


<由来原則の説明>

A,基本ルーツ

 1、共同体の支配者の文化(宮廷文化、大建築など)

 2、宗教祭事、信仰にまつわるもの(神像、魔よけ、お守り、縁起ものなど)

 3、玩具

 4、生活必需用品

 5、共同体の伝統産品

 6、その他(意味や役割が確定されないもの)

 人芸品のおそらくほとんどはこれら1〜6のどれか、もしくはそのいくつかにルーツを持っている(先に述べているようにこの1〜6の各要素も相互に混ざりあっているわけなので、あくまでここでは便宜的に、変容のプロセスをわかりやすくするためにあえて分けている)。その上でそれら1〜6を以下の様なパターンで変容させながら、人々の生活の肌理により浸透し、生き続けてきていると考えられる。以下はその変容パターンである。

B,変容パターン

 ア、基本ルーツ(1〜6)のまま

 イ、民衆化されたもの

 ウ、子供用玩具化にいたったもの

 エ、外へ向けて(輸出品、土産物化) 

 (1)土地の特産品として伝統工芸化

 (2)巡礼地などの土産物化

 (3)近年の観光客への土産物化

 オ、「ファイン・アート」として純化、自立をとげたもの

「ア」について

 今日まで基本的には変わらずにルーツと想定される性質をいちじるしく逸脱していないもの。特に宗教的祭事用具や生活用品はいまだに変化少なく同じ文脈でつくり続け使われ続けているものも多い。玩具も例えば「凧」類などはその最初から現在まで等しく遊具・玩具としてつくり続けられていると言えるだろう(近年は一部伝統工芸化して鑑賞品に変容しているものも多いが)。また今日ではその歩みを止めたまますたれてしまい、過去の遺物、「骨董品」として伝えられる物も多い。

「イ」について

 支配者の文化や格式高い宗教関係の文化が土地の民衆の暮らしの中に根を下ろし、あるいは模倣されながら変容してきたものづくり、芸能など。一般的に言ってものづくりが民衆化されるとその表現は率直で力強く、泥臭く生命力がみなぎる半面、つくりがより手軽に、簡略化され、素材もより手ごろで加工しやすいもので「代用」される。そのような性質がプラスにもマイナスにも働く。

「ウ」について

 「イ」の民衆化とも重なるが、格式高いものづくり(支配者、宗教関係)、もしくは実用的な恒久的な生活用品が、より手軽に、小規模に、かわいらしく模倣され「玩具」化される。社会的な大人の物から非社会的な子供の物として再現されることがある。これらはしばしば玩具であると同時に象徴的な縁起物ともなり宗教性をおびる。色彩やデザインは鮮やかになって行く傾向がある。

「エ」について

 共同体が外を意識し益をえるためにものを産み出すパターンにはその歴史や規模や組織化の違いによっていくつかの道筋が考えられる。「基本ルーツ」でもあげたようにもともと各々の共同体には独自の特産品をもっていて(普通は食べ物等の一次産品が多いわけだが)、大規模に輸出用に組織化されることもあった。はじめからそれを意図して開発されたものもあるが後発的に、地方独特の生活用品や祭事品が名物となったりして組織化され外向きに量産されるものも多いー(1)。一方で近年観光地化が進み安易な工業製品化、量産化によってチープでキッチュな土産物品が蔓延している−(3)。巡礼地などに訪れる巡礼者は前近代的な一種の観光客の前身であるが、そのような特殊な群集に向けて売られる土産物の文脈(格式高い宗教祭事品のコンパクト化、民衆化、玩具化、縁起物化がおこる)も重要に思う−(2)。いづれにせよ近年どのような僻地であれ外を意識せざるをえなくなっており「エ」の項目は大変重要であろう。そこには現代のものづくりが直面する「工芸化−(1)」と「キッチュ化−(3)」の二極化が象徴されている。そうしてひとつ言えることは「キッチュ化−(3)」としての変容は、品質から言えばあきらかな堕落でありとるに足りないものがほとんどであり、それらはいわゆる「人芸品」とはみなされない。

「オ」について

 造形表現が煮詰まりながらそれ自体の価値によって、あるいは「純粋」な「美」において存在し、かつそれを自覚し造り出される。歴史的にも地域的にも大変限られたエリア(西欧)で生まれ、発展してきた。西欧化した近現代社会の多くの地域で一つのジャンルとして組織されるようになったが、「芸術」の名に値する作品は意外に少ない。純粋な「アート」の母体となったのは「基本ルーツ」における支配者層の文化−1と宗教、呪術的表現−2(両者は多くの場合混じりあっているが)である。近代以降、逆に「アート」の立場をとおして、以前からあった他の様々な「人芸品」のとらえなおし、再評価、新たなものづくりがなされてきている。

<全てが混じりあっていることについて>

 一応分析をすすめるために便宜的に分類をしているわけだが、実際厳密に見てみれば先に述べている様に近代以前において全ては混じりあっていた。だからといって全てが近代から見て「未分化」と言ってすますことはできず、むしろ近現代とは異なるカテゴリーが厳密に存在していた(かつての多くの共同体では身分社会であり、支配者、貴族の文化と民衆の文化、また性別、宗派の違いの方が物の意味と価値を大きく分けてきたと想定される)。

 例えば「基本ルーツ」の宗教、信仰−2、玩具−3、生活必需品−4、特産品−5などはしばしば重なりあっておりはっきりわけられるものではない。あくまでここでは相対的な比重で分けてみた。

<変容とカテゴリーのシフトチェンジ>

 そもそも長い人類の歴史において、その歴史とともに歩み続けてきた「もの・こと」の意味役割が一定不変であると言うことはありえず、常に移り変わり、新たに意味を変え生きながらえて現在そうしてあるものとなっているわけである。今日まで受け継がれてくるあらゆるものにはそれ相応の長い遍歴がある。そしてその変容の歴史には、普遍的に見られる一種のパターンとして抽出できるものがあることもまた事実であろう。

 上記において便宜的に「A基本ルーツ(1〜6)」−「B変容パターン(ア〜オ)」という二段階のプロセスにおいて、この変容の歴史を考察して行こうとしてきたわけだが、厳密に観察すればさらに複雑な様相をていしていて3段階、4段階の変容を繰り返してきているものも多い。また「基本ルーツ」自体もその源流をたどればその民族の生活習慣や信仰から派生してくるものであろう。ただしそれら個々の事物固有の複雑な変容はだいたいが「A基本ルーツ(1〜6)」−「B変容パターン(ア〜エ)」の重層的な「繰り返し」、「入れ替え」でありこの図式の変型ととらえたい。

  例えばインドネシア・バリ島の店先で売っているガルーダの面を例にとって考えてみよう。この面がつくられ店先で私がそれを手にするまで驚くべき変容が繰り返されてきているのがわかるだろう。そうしてその複雑な変容が上記の「A基本ルーツ(1〜6)」−「B変容パターン(ア〜オ)」のどれかに当てはまりかつその二次的、三次的な複数の繰り返しであることも理解されるだろう。    
  いわゆる健全な伝統工芸品としてのガルーダ     民衆芸能から子供用(?)張り子面(ジャワ島)

 聖獣として王族の建築に取り入れられたガルーダ      工芸品としての置き物ガルーダ

 まずは現在のバリ島にかつて移住してきた部族に伝播してきた、ヒンズー教と叙事詩ラマ−ヤナなどの神話体系をベースに考えなければならない。その神話的イメージが王族の建造物等の意匠に造形物として取り入れられ、もしくはラマ−ヤナ劇等の芸能が演じられ根を下ろし、それがしだいに民衆化し、それにしたがってガルーダ像も彫刻、レリーフ、面、置き物として様々につくられていったと言える。面は宮廷、民衆芸能として実際に使われるものとして作られながら、土産物として伝統工芸化し、あるいは観光客用のチープな壁飾り品として多層的に生まれてきている。当初それは宗教であり王権文化であり人々の娯楽でもあった。それが伝統芸能の性格を有し伝統工芸として伝統産品の一種になってきている。「信仰−権力−芸能−工芸−様々なレベルの土産物へ」というプロセスで何段階にも変容して(しかも全ての段階に共通するのは聖鳥ガルーダとしての魔よけ、縁起の良さというイメージである)、しかも今だに全ての段階がバリ島では共存しているのがわかる。

 ある一つの人芸品を手にとった時それがどういう由来の物でどの段階にあるのか、それを理解することは大変重要である。そのことがそのものの性格、品質に大きく影響しているのが常であるから。そういうわけでいわゆる「ガルーダ面」といっても「基礎的ルーツ2」としてのもともとの宗教芸能的意味合いで作られた本式の物もあれば、工芸的に鑑賞品として洗練させた高級伝統工芸、あるいはそれよりややランクが落ちることの多い手工業的量産品の健全な伝統工芸品−「変容パターン・エの(1)」となっているもの。村祭り用等に実用的に簡略化されしかし内実を込めて作られているもの−「変容パターン・イ」。またそれに派生して遊ぶ子供用(?)張り子面「変容パターン・ウ」。あるいは観光客用に量産されたチープでキッチュな土産物「変容パターン・エの(3)」など様々あり得るわけである。

<生活品から宗教あるいは宮廷文化へ>

 上記のガルーダ面の例では神話、宗教や宮廷文化から民衆や観光客へ、つまりガルーダ面の造形が「ハイ」から「ロ−」の方向へ移行してくる「変容」であった。このような方向の「変容」は一般的に多く見られるものである。しかしここではさらに厳密にその宗教、神話の創世に遡ってそもそものイメージソースを考えてみたいと思う。

 どのような造形物であれそのルーツは宗教的なものや宮廷文化に発すると考えるのは誤りである。超越的な神々や支配者の力をイメージとして産み出し、造形化する場合、無から有がいきなり生まれることはない。通常そこではまず既知のイメージなり造形が次元を変えて採用される場合が多い。例えば神の鎮座する神殿や神棚のイメージや造形は、もとはといえば人間達の住居や建造物がモデルになっている場合が多い。またそれを空のイスや飾り立てられたいわゆる「玉座」であらわしたりもする。神像自体が人間の姿、その地方や時代になじみの衣装(例えば日本の神像では貴族、武将、僧、山伏などの姿が多い)に置き換えられたり、その地方ゆかりの動物に具現したりする。馬、象、狼、熊、鳥、蛇、、、様々な動物が神々の化身になったり、神々の乗り物として考えられてきた。例えば先の聖鳥ガルーダのイメージにしても様々な現実の動物の姿を合成したものになっている。また神々をもてなす様々な供物(食物、貴重品、種々の芸能、供物をのせる器、、)は通常我々の来客をもてなす所作のアナロジーとなっている。

 このようなレベルで考えるなら数々の宗教的、宮廷的造形物の多くも、もとをただせば人類普遍の生活必需品−家、イス、お椀、食事、刃物、身体、衣装、身の回りの動物達、、に端を発していると考えることができる。ゆえにイメージや造形物の変容は「ロ−」から「ハイ」という方向をも顧慮されるべきであり、つねにそれが宗教や宮廷文化の造形力の源泉として重要なリアリティーとなってきたに違いない。

 泥の中から救い上げられ、当初小規模かつ原初的であったものが、巨大な権力や宗教と結びつきながらしだいに発展し、洗練を極め、余分なものが幾重にも付加されながらしだいに原点と野性味を見失い下降線をたどる。その過程のどこかで、その洗練された文化が時に民衆化されることでふたたび野性味を取りもどすこともある。あるいは空虚な伝統芸能、工芸品として棚上げされたり、その模倣物として大量に土産物化されたりすることもある。このように人芸品の変容は一定の方向をたどるのではなく時に逆行し、重複し、枝別れし拡散したりすると考えるべきものである。

<芸術性はどの段階にあらわれるのか>

 このような繰り返される「変容」のいったいどの段階の造形がもっともすぐれているのだろうか?どの段階により多くの芸術性が見うけられるというのか?。これまで一般的な誤解として「基本ルーツ1」のより格式の高い支配者の文化こそが、その土地の「正式な文化」であり質が高く価値が高いとされてきた。そうして「変容パターン」の「オ」−「ファイン・アート」こそが今日の我々の所有する「正式な文化」であり、最高の造形芸術とされてきた。実際、博物館や美術館に所蔵されるものの多くがその範疇に属すのである。「民衆文化で見る価値のあるもののほとんどは、以前支配者側だった正式な文化をルーツとするものばかりである」というような意見を述べる者も多い。

 しかし西洋近代的なカテゴリー(ファイン・アートとしての絵画、彫刻、そのような造形に拮抗する様々な造形物)からひとたび自由になれば、そのようなことは単純に言えないのがわかるだろう。確かに「基本ルーツ1」もしくは「変容−オ」の造形は質の高いものが多い。手がこんでいて技術もしっかりしている、素材も選び抜かれ半永久的に残りやすいものが多いし、大きくてクオリティーの高いものが当然多い。さきのガルーダの造形にしてもやはりそういうことが言える。しかし民衆の中で作られるもの、子供に向けて作られる粗野なものにも違った魅力と芸術性があることは無視できまい。

 またそういう「正式な文化」支配者や格式高い正式な宗教の造形とは、無関係に作られる造形にも芸術性を感じさせるものは多い。例えば日本で言えば、どこにでもある民家そのものや、村々の小さくて固有な神像達、あるいは東北地方が産み出した「こけし」という木寓などがその良い例であろう。

 あるいは当初「正式な文化」だったものが民衆化の中で質を低下させるのではなくて、むしろ活力とより高い芸術性を付与することも多い。多くの民衆芸能や民俗工芸、例えば日本の土人形などはその源流とされる宮廷文化としての御所人形等とは異なる自由さと活力、洗練を実現している。

 アジア諸国の多くの地域では本来的に自然信仰、精霊信仰の土壌であり、西洋近代的芸術観の前提であるところのジャンルの自立化、人力創造性の煮詰まり度などと、その造形物に具現される精神性や質はかならずしも比例しない。つまり質の高い技術、人工力とアジア的自然信仰体質はしばしばそりがあわない。宮廷文化としての豪華で無駄の多い工芸品や、煮詰められ純化されながらジャンル化した「アート」の中の多くの駄作よりも、村々の素朴な神像や生活用具の方が高貴な精神と芸術性を持ちうるのはそのためである。泥臭い原始的で「プリミティブ」なものからしだいに「発達・複雑化」し、より深く、より完成度をましながらピークを迎え、しだいに洗練が過ぎ、より過剰に、あるいは形式化し、あるいは装飾的に弱々しく下降して行くという一般的な(西洋的な)流れも随所に見られるのも事実ではある。しかしながら自然信仰・精霊信仰的土壌地域では、支配者側の文化が(のみが)、洗練度が高いとか、芸術性が高いとは限らないのである。

<「その他のもの」の重要性>

 人芸品の中にはその使用目的や由来のはっきりしないものも多い。そういうもののために一応「基本ルーツ6」を用意した。人間というものは常に何かを造り出しうるものであり、逆に後からその作ったものに意味づけすることもあるわけである。そうしてその意味とは時代や環境の要請で変わって行くものなのである。例えば人々はしばしば身近な「生きもの」を木や粘土で造り出したりする。瓦やお椀を作る余暇に、またはその余った材料でなにかちょっとしたものが作られたり、あるいはちょっとした創意でその日常品(皿やお椀や家具)の意匠に取り込んだりする。そうしたものをあとから子供のためとか、何かの縁起のものとか、土産物として等意味が付与されたり、量産され売り出されたりする場合もある(実際そうして始まったとされる人芸品も多い)。ちょっとした置き物、生活の中の親和的な愛贋物、飾りといった物は常に現れうるし、消えてしまう一過性の物でありうる。本来多くの雑貨がそういう存在のきわどさの中にあったと思われる。現在のように資本主義市場の中で合理的に商品管理が進めば進むほど、このような自発的であいまいな物づくり、幸運な人芸品の誕生はありえなくなるだろう。それらは物語や制度以前の日々の暮らしから自発的に滲みでてくる無償の創造なのだ。そういうレベルは常に人芸品にとって重要に作用してきたに違いないのである。