<産地>

 固有の風土には固有の花が咲く。移植された同じ花も風土の中で変質する。変質した花はまた別な風土を造り出す。別な風土からまた別な花が育つ。そうしてこの多様な世界が生まれてきた。

 各々の人芸品はその産地と深くつながっている。その産地の風土、暮らし、信仰、歴史、伝統的感性に由来する。それがどんなにつたないものであろうとも「人芸品」である以上例外はない。芸術性のある人芸品はその土地に咲くかけがえのない花である。根があって茎がのび、葉が生えそろうだけではなく、花が開くことではじめて見えてくるものがある。その植物全体の本性というものが花に凝縮されるのだから。花は他者に働きかける。虫達を呼び寄せ、種に未来を開く。そして我々に感動を与えてくれる。けっして花のみが大切で重要だと言うつもりはない。根もなければならないし葉も必要不可欠。その上で花もまた絶体欠かすことのできないものなのだということを言いたいだけだ。もしも花がなければ、その植物はただ自分のために生き続け、無目的に枯れて行く存在となりかねない。そうして花が咲かない土地というのは未来と魂を失ったつまらない場所になりさがるだろう。

<風土類別>

 宗教(例アジア) 普遍宗教ヒンズー、仏教、イスラム/土着信仰

 民族(例アジア) インド系、中華系、土着系(旧派・マレー、モン、クメール、チャンパ/新派・シャム、ビルマ、ベトナム)等

 自然 山、森、川、農耕、海岸、島、砂漠、温暖/熱帯/寒冷/乾燥

 歴史 新しい/古い、征服者/被征服者、戦争のあるなし

 政体 超絶する権力の一極集中/部族の連合隊/共和制

 上記の他にも様々なファクターが考えられるが、大変複雑な要素が蓄積され各々の固有な風土、風土的感性が形成される。同じ民族でも住む土地が違ければ生み出すものも異なる。時代が異なれば、宗教や政体も変わり人芸品も異なる。民族、時代、土地、宗教が同じでも作り手の階級が異なれば作られるものも大きく異なる。逆に民族や産地が異なっても階級が近ければ同質性を持っていたりする。

<宗教・偶像ある/なし>

  神像の密集するヒンズー寺院(シンガポール)  ドームと塔、抽象的構成、装飾がおりなすイスラム寺院(インド)

 一般的な印象として述べるなら宗教的な面ではイスラム教地域の人芸品は神像や動物、顔的モチーフが少ない。装飾的(複雑精緻なアラベスク模様等の繰り返し模様)、幾何学的、光り物の多様、軽やかさ、といった傾向があげられるだろう。対極的にヒンズー教地域では様々な生物的融合イメージが氾濫し、重たく湿り気がある(この特徴は砂漠地域よりも雨量の多いベンガル地方等に顕著である)。イスラムと違ってレリーフ等の装飾では人間や生きものの身体がベースになっているので、有機的かつ官能的である。仏教も大乗仏教や密教、ラマ教等では同様の傾向があるが、上座部仏教では仏陀や限られたシンボリズムに凝縮されていく。特に仏陀の骨壷から発展してきたことになっている仏塔形態は特に上座部仏教地域では様々な場所にあらわれる(供物用の器、頭にかぶる冠、格式ある建造物の屋根、聖化された山や岩のてっぺんなど)。イスラム以外の地域ではヒンズーの神々、仏教の仏達、様々な土着的精霊達、それらにゆかりの聖獣、生きもの達が、様々な人芸品のモチーフに登場してくる。キリスト教は神像の形象化に積極的なカトリック、ギリシャ正教、消極的なプロテェスタントなど流派によって、また時代によってもかなり異なる。意外にカトリック寺院とヒンズー寺院には共通した有機的官能性と一種の混乱がある。

<貴族/民衆・洗練/プリミティブ>

   貴族・洗練(由緒ある大寺院の十一面観音像)   民衆・プリミティブ(村々のとある寺の地蔵)

 バラモン教、仏教、ヒンズー教は東南アジアにおいて、しばしば上層階級に保護され、宮廷文化と結びつきもし、豪華に、あるいは洗練された造形を生んで行く。一方土着的な精霊信仰は民間に根ずいていて、野性的、簡素で「プリミティブ」な造形が生まれる。一般に宮廷文化は生活の実際的要請から距離がひらき、過剰な変質が造形にかされる特徴がある。それは時に洗練の極みを見せ、時に拡大され巨大化されたり、豪華に飾られることでモニュメント化され、あるいは思わぬ方向に進化発展してユニークで固有な文化を造り出して行く。どんな貴族文化もこのような共通の性格とオリジナリティーを持っているものであり、実質的生活からかけ離れ手が込みいっているため、一度滅んでしまうと再生不可能なものが多い。ビルマやベトナムの王族の文化がもはや途絶えてしまっているし、カンボジアも似たような状況である。インドは地方ごとにいまだマハラジャの一族達が命脈を保っていると言える。そういうことからするとアメリカやオーストラリア、現在の中国、ロシアなどにはこのような伝統的で貴族的な洗練されきった文化が現在型として存在していない。特にアメリカ、カナダ、オーストラリア等の移民の新興国家ではその文化がいまだその成熟度に一度も到達しえていないと言える。一方日本やバリ島などの島国、ネパール、ブータン、チベットなどの山岳地帯では、文化が途絶えずに長く温存されてきた例外的な地域で、貴族文化のみならず民衆文化までもが洗練の極みに達し、野蛮で率直な現実感から遊離してしまっている傾向がある(しかし今日の日本の状況は中国等と同様、その伝統的文化が近代主義の功利性で突き崩されてきている)。ヨーロッパなどの大規模な戦争が絶えない地域では、十分な洗練は途切れがちで、貴族文化と民衆文化が大きくかけ離れてしまった。むしろここでは文化の極北が「芸術」や「哲学」などという別なジャンルに棚上げされる形で、大いに凝縮し煮詰められてきていると言えるように思う。そうして近代主義・モダニズム文化というそれまで類例のない文化形態を生み出し、世界に決定的な影響を与えてきた(このモダニズムは従来の貴族的文化、民衆的文化のどちらとも違っていて、階級や各地域の神話、風土的特質を一種の「制約」としてとらえ、その埒外の普遍性を志向しようとしてきた)。

 民衆文化の特徴としては常に実際的で、生活や生命の原点に結びつく「プリミティブ」な普遍的魅力を持っている。フランス革命後の近代主義の文化的エッセンスがプリミティブで健全な力強さにあったのも、それが新興階級に担われたからであり、モダンアートがアフリカや未開の文化に共感したのもある部分はそのためである。しかしモダニズムが還元主義による洗練の極みに達した時それはすでに民衆文化ではなく、新たな「貴族文化」としてのの特徴的弱さをさらけだすにいたり、生活と民衆の現実感から遠ざかってしまったといえるだろう。

<鮮やか/湿り気、量感/平面性>

    量感(ミャンマーの操り人形)   平面性(ジャワの操り人形 ワヤン・クリ)

 民族的特徴としては国を作ったばかりの新興国家の生み出すものと、長い歴史を持った末期的な国の文化の違いがある。前者は上述した民衆的なプリミティブな文化の特徴を示す。後者は形式的で過剰な文化を残し、時に追随を許さない洗練の極みを実現するが、堕落してしまうものも多い。漢民族の中国文化は一見長大な歴史と多種多様な展開を印象づけているのではあるが、春秋戦国期を上り坂とし、秦、漢で基本的骨格が完成されてしまったように思う。エネルギッシュで構築的な造形は宮廷文化の中で権威的で形式的な硬化現象を生み出していった。しかし一方では三国分立後の晋・漢民族が北方異民族によって南方へ追いやられるという大きなアクシデントによって、権威主義とは別な意味での洗練の極みに達した文化も生み出し得た。いわゆる書や山水画、陶磁器のすぐれたものは漢民族衰退の中ではじめて極められ芸術の名に値するジャンルとなっていった。それらは長安・紫禁城的権威主義と正反対に位置するコインの裏表なのである。日本では長年中国のこの両面を状況ぬきに同時並列的に輸入してきた。しかし長安・紫禁城的な壮大で構築的な方面は、平城京や平安京、大寺院、日光東照宮的建造物を生み出す骨格となりはしたが、それ以上の展開はできなかったといえる。同じ民族でもこのような対立的な文化を生み出してきており、民族的特徴を語るのは至極困難である。

 あえて私見を述べるなら、過度に両極的な漢民族の造形に共通して言えるのは、その執着力の強度であろうか?。そこへいくと朝鮮文化はその名の通り、朝のように鮮やかで鮮明であり、中間が吹っ飛んでいきなり超絶の虚空へ飛躍するような印象がある。常に中国の驚異的、権威的な造形に直接対していかなければならなかったためか、あえて中国とは違った土俵において洗練に向かおうとする傾向があるように思う。いってみれば率直で明解、ネチネチ、じめじめとした湿潤な所が少ない。一方我が国の文化でも同様にじめじめ感を遠ざけようとするのだが、温暖多湿な風土のためか常にどこからともなく湿り気が染み込んでしまうような所がある。洗練させようとすれば実がなく、実があれば洗練の極みに届かないという物が多い(しかしその矛盾のまっただ中にあって、中国的な雄大さ、朝鮮的な率直さという鉾先に向かい切れなかったのが幸いしてか、世界史上に輝く相当程度に実のある、そうして精神性の高い造形(仏像やその影響下の神像、人間像、建築物)に煮つまって行くことができたのも事実である(また縄文や弥生、古墳時代の遺構から本来的にすぐれた造形力がこの列島には存在したのが解る)。インド文化は雄大なように思えて、雄大な造形は少ないように思う(巨大な王権の遺品にはある)。全体に母性的で、えげつなく、装飾過多の執拗でロマンティックな香りがある。これ以上は複雑すぎて言えないが、イギリスの旧式車を真似て国産化した唯一の国民車アンバダサのアイボリーホワイトのフォルムなどはとてもインド的だと感じる。インドにくらべればクメール人の残したものの方が雄大であり(というよりも世界でもっとも雄大であるが)、重量感がある。猥雑な官能性よりも、ふくよかな瞑想性がある。この第一級的な資質が現在のカンボジアに十分受け継がれていないのが残念だ。インドネシアの古代の遺品は壮大優美であるが、クメールに比べるといくぶん線が細く繊細である。この繊細さがその後彼らの全てに進展し発揮されているように思える。南下してきた新興のベトナム人やシャム人になるとさらに線が細いように感じる。ベトナムの王室は中国の影響が強く、一方タイのそれは東南アジアではもっとも東南アジア的に繊細に洗練され温存されてきたと思える。タイ人は唯一日本人の好きな「わび、さび、しぶみ」を共有できるという人もいるのは、その繊細さゆえであろうか?(上座部仏教寺院や宮廷文化は豪華絢爛であるが、スコータイ時代のスンコロ焼き、北部ランナータイ文化圏の遺構は渋い)。ビルマはパガン朝の時代では大変雄大な建築物を残した。パゴダの推移に象徴されるように次第にそれが鋭く尖り、量感を減じて、神経症的になっていったといえる。カンボジアなどと同じように宮廷文化がここでは滅んでしまい、高度な洗練文化が絶えてしまっている。全般的にビルマの場合、ボッタリして、率直でひねりが少ない。近世以降インドネシア、バリ、ベトナム、日本などの造形は概して量感に乏しく、平面的で繊細な物が多い。それは家並みにも現れている。一般的にいってアジアでは過去において雄大で量感的だったものが近世に近づくにつれ繊細で平面的な造形に移行するようだ。

<自然・模倣/反動>

模倣(森林狩猟文化特有の有機的な文様・アイヌ) 反動(青色、アラベスク模様は水、緑に対する憧憬・イラン)

 気候や地形といった自然条件も大きな決定的影響を示す。大きく分けて自らの風土の優れている部分を理念化し模倣しようとする方向(模倣)と、自らの風土に欠落した要素を理念化しようとする方向(反動)があるように思う。

 インド文化圏では常にヒマラヤ山脈とそこから流れ出すガンジス川がベースになっていると言えるだろう。シバ神もヒマラヤのカイラーサ山にいることになっているし、その妻にしてシャクティのパールバティは「ヒマラヤの娘」とされている。先に「テーマ・由来」のところで触れたように、多くの神殿は聖なる山をモデルとしている。カジュラホの寺院群も背景の奇岩の山に酷似していたし、インドネシアのボロブドウールの量感も背景の岩山と良く対応していた。日本では富士山のシンメトリーな流線美の影響が強い。山々の形と家々の屋根の角度は場所場所で良く対応している。また森林文化の遺品は流動的有機的なものが多く、耕地の文化的遺品では水平垂直、シンメトリーな物が多い。日本でも縄文、アイヌ的な絡まりあう有機的美意識と弥生、大和、平安京文化的な美意識が良い対比になるだろう。縄文、アイヌ的な資質はエミシ、あるいは古代中国の青銅器、雲南省の各部族、そこから地続きの東南アジア山岳部、インドネシア、ニューギニアなどの島々の人々に共通する何かがある。ヨーロッパでもゲルマン、ケルトの森林文化と地中海文化が同様の対比を示す。そうして同じ地域でも長い歴史的過程において森林を切り開く前と後ではその文化の質が変容して行くのがわかる。

 また現地でとれる造形の素材の特質は風土と造形を宿命的に結び付ける。例えば白い大理石と赤い砂岩の組み合わせはムガール帝国の美意識を決定づけている。クメール帝国の暗く重々しい石材や石材のとれないパガンのレンガ+漆喰、、、どれもその建築構造と性格を決定付けている。ヨーロッパでも例えばライトグレーの石畳がパリのゆうつを決定づけているし、シエナの優美な石畳、フィレンツエの荒々しい石材、アッシジのバラ色の石、イギリスのは虫類のウロコを連想させる不気味でエレガントなレンガ積み、、、どれもこれもその町の性格、美感に少なからず影響しているように思える。得に地中海地方の大理石の、人肌を連想させ、かつそれを凌駕するほど聖的、静的な材質感は、その理想主義的な自然主義的表現と深く結びついている。そうしてその大理石の柔らかな白さは後の世の古典主義の合理的美意識の土台ともなっているだろう(もともとの古代の建築、神像は着色されていて白くはなかったはずではあるが、、)。

 一方例えば砂漠地方の水や植物に対する感覚はその欠落に根ざしている。彼らは青、緑系の色彩、植物の繁茂する装飾に神聖な愛着を示す。モスクの屋根は青緑系が多い。逆に湿り気の多い日本などでは、壁を青や緑に塗ることは少ない。腐ったり、滞ったり、黴びたりすろことを嫌い、できあがったばかりの簡明で率直、新鮮な状態への価値が高く、神道的な美意識につながっていく(依代や伊勢神宮の仮設的象徴性)。このような現実に対する反動的渇望は宗教的な衝動ともつながるように思え、例えば仏教の輪廻からの解脱という理念も、猥雑な欲望とエゴの支配するインド的日常連鎖に対する反動に違いない。人間が等しく金や光り物がすきなのも神聖な光を模倣しようとするためであるとも言えるし、泥臭い日常世界への反動的渇望ともいえるのである。中華思想の中国では基本的に一切の地方的個有性を相対化してしまおうとする。それは「唐三彩」にしてもそうだが、あらゆる基本色がシンボリックに、同時にゴテゴテと用いられることと対応する。各々の色は世界の全ての方角、構成要素、構成民族を視野に入れていると考えられる。彼らは自らの限定的な現実存在そのものに反動し、世界の中心であろうと希求し、あらゆるものをゴテゴテと配色し装飾しなくては気がすまない。いわゆる中国的デザイン感覚と比べれば我が国の日光東照宮などは品が良いというか中途半端であると言える。しばしば異民族によって「中原」から「辺境」へ追い出され、あるいは支配されてきた漢民族は、当然のことながら世界の中心ではいられなくなった。ゆえに形式としての中華至上主義をつらぬき続け表現をキッチュ化させていくのを避けるならば、さらなる反動によって精神的超現実空間へ踏み込み、文化のクオリティーを維持していくという対極の道以外無かったのだと思える。ゆえに漢民族が世界に誇る白黒のみの芸術世界は、中華理念−「絶対有」の裏がえされた「絶対無」の世界であるに違いない。

<政体>

 エネルギーの集中は、しばしば権力の集中によって実現されてきた。巨大な王権は巨大な、豪華な人芸品を造り出してきた。アンコールワットもボロブドウールもパガンも王権が神に限りなく近づいた特殊な時代の産物であった。秦の始皇帝の例で解るように巨大な中央集権が整うと、趣味やスタイルが整理され、ものづくりが規格化され、秩序づけられる。規格から外れるもの、そぐわないもの、あいまいなもの等は消えて行くことになる。一方部族間の抗争、連合する地域では、それぞれの個性、差異が競われ、影響しあい相乗効果で急速に発展して行くことが多い(古代ギリシャの各都市国家、中世からルネッサンス期にかけてのイタリア都市国家、春秋戦国時代の中国、あらゆる地域での中央政権が確立されるまでの段階など)。それはもっともクリエイティブな状況であるといえる。その状況が淘汰され、圧殺されながら中央集権が生まれでようとするまさにその時、民族の記念碑的モニュメントが残されて行った。それらはいわば多様性や可能性と引き換えに、それらを栄養分にしながら実現されてきたアンビバレンツな存在なのだ。

 これらの記述はあくまでも私的な印象にすぎない。日本に住む自分自身の印象自体、当然ながら日本の風土に依拠しているので恣意性からまぬがれるものではない。そうしてこの環境の差異において質の高低、芸術性の高低、性質、好みがどのように関係して行くのか難しい所である。いずれにせよ好みは様々であるが土地に根ざした人芸品は各々固有な味を持ち、必然性を持ち、それ相応の美を持っていることは事実である。

 

 <同じつくり(モチーフ、素材、製法等)で、違う産地>

 ここで異なる風土にありながら同じようなつくりの人芸品を比べ、産地の違い/趣味の違いを具体的に考えて行きたいと思う。      

     日本(左)とミャンマー(右)の虎張り子 ジャワ島(左)とインド、ジャイプル(右)の虎面

 ミャンマーでは様々な種類の張り子が作られていて大変驚かされる。かつての日本を見る思いがした(見たことないが)。張り子自体はアジアの様々な地域に見受けられるが、お面類がほとんどである。ミャンマーや日本のように虎や馬や人間がオブジェとして出回っているのはあまり見かけない。張り子は手間はかかるが安価にできるので、庶民や子供むけの飾り物、玩具類等に用いられるようだ。しかし昨今、ブリキ、エナメル、プラスチック製の工場製品にすっかり駆逐されてしまった。現在の日本では伝統的な土産物、飾り物として命脈を保っているにすぎない。お祭り等の出店でよくテレビキャラクター等のプラスチック製お面が売られているが、もしかするとかつてはああいうニュアンスで張り子の面が売られていたのかも知れない。何か豊かな感じがしてくるのは私だけだろうか?しかしまだミャンマーではその面影が残っていて、庶民的で堂々としていて頼もしい。

 虎張り子の比較だが、当然のことながら日本には虎がいないので、幾分架空動物的存在だったはずである。一方東南アジア、ミャンマーは虎が実際生きているのでリアリティーが違う。しかし左の日本の虎に比べミャンマーのそれはとてもかわいらしく作られていて面白い。目玉はクリッと丸く金魚のようであり、口も耳もとまで裂けているわけではなく、丸を描いていてむしろ欠伸をしているようである。尻尾も水平にねていて、日本のどう喝するように立ち上がった尻尾よりも従順な感じがする。日本において虎は恐るべきもの、野獣の代名詞とされ観念化されており、なるべく凄みを持たせるようにできる限り工夫されていると言える。しかし虎の模様を見るとさすがにミャンマーの方がリアルである。

 張り子は型に紙をかぶせて作るので、なるべく形に凹凸が少ない方が作りやすい。ゆえにどんなモチーフでも自然に流線形でのったりとした形態になって行く傾向がある。どちらの虎も丸みを帯びて恐ろしさは後退している。耳も立ち上がることなく小さい。尻尾は別部品で後付けになっている。日本の虎は首も別々で「赤ベコ」の様に振り子のつくりになっている。こういう一工程多い首ふりはミャンマーの張り子では見かけなかった。しかしそれは玩具としての特典にはなっても、造形として観た場合、張り子ならではの流線形、ボリューム感を分断してしまいそれほどほめられたものではない。首ふりではないためかミャンマーの虎の方が首の位置が高く、より犬猫的な愛嬌が出ている。一方日本の虎は元来肩の筋肉の盛り上がりが重要視されてきた。中国朝鮮伝来の絵に出てくる伝統的スタイルの虎はだいたい俯瞰する視点を利用し、前足、顔が画面下方にくる。そうして肩、背中の波打つ縞毛を通って龍のような尻尾へ視線が上昇して行く特徴がある。ミャンマーの張り子の様に首が肩よりも上に着いていることは少ない。いわゆる両者の「気」の流れが上下逆になっていることが理解できる。この「気」の流れの伝統の違いこそが、一方の尻尾を高くあげ、「首ふり」をゆるし野獣のどう猛さを演出させた。同時に一方で、尻尾を下げさせ可愛らしい虎を生み出した。日本とミャンマーの虎張り子は一見すると非常に似ているのだが、基本的動静、ベースとなる伝統、感覚がまったく異なっているのが見て取れる。日本には様々な虎張り子があるが(三春、会津、大阪、島根など)ミャンマーの様に頭が立ち上がったものは意外に見当たらない。いかに中国朝鮮系の虎の絵の伝統が根強いか解る。本物の虎がいないこともあってか日本人の虎像はすでに定まってしまった雰囲気を逸脱するのが難しいようである。

 右側の写真はインドネシアのジャワ島のかぶり面とインドのジャイプルのお面の比較である。両者とも民族、宗教を異にし、かぶり面とお面という違いを顧慮した上で、相当程度近似しているのに驚かされる。特に眼の周囲の模様、眉毛部分の白地などは不思議に一致している。おそらく本物の虎もそうなのだろう。ジャワ島のかぶり面の方がその性質上立体的で、口がくり抜かれ迫力がある。ジャイプルの虎の口は観念的に赤く塗られ(ジャワの方は唇のみ赤)リアルさを減じている。目玉もジャワのそれは三白眼で黒めが小さくリアルである。ジャイプルの方は黒めが大きく青く塗られくり抜かれていて(ジャワの方は口の穴から覗く様になっている)多分に人間的である。ジャワの虎には印象的な赤色が額全体に施されていて猛獣としての恐るべき象徴性が加味されてもいる。特に目玉、口の表現の差で両者の印象が決定的に異なってきているといえる。