<テーマ・由来>
アジアに限ったことではないが、造形物というものはどんなものであれ、その背景となっている共同体の信仰世界が大きく影響してくるものである。それはしばしばものづくりの動機そのものとなり、造形のモチーフとして登場し、あるいは当の信仰が向けられる本体(イコン)として造形と重なりあう。逆に言えばその土地の造形物自体の有り様がそこに住む人々の精神世界、宗教そのものでもあるのだ。
<外来宗教、土着信仰、具体的生活、深層心理の重層>
通常多くの地域では土着的精霊信仰がベースになり、その上に外来の非土着化されうる普遍性のある宗教、文化が侵入し影響関係を作る。その影響関係は並列共存、駆逐撲滅、融合変質などさまざまな色合いを帯びうる。ヨーロッパではキリスト教以前のガリア、ゲルマン、ギリシャ、ローマ系の自然精霊的、多神教的文化が各々の地域に深く根を下ろしている。クリスマスツリーの聖樹信仰や聖母マリア信仰も元々の土着的信仰が反映していると考えられている。土着信仰によってキリスト教は相当程度変容したとも言えるが、一方で徹底的な異教弾圧を繰り返してきており、ほとんど表向きヨーロッパの土着信仰は「駆逐撲滅」されてしまっている。
東南アジアではインド文化の影響が強い。各々の地域の土着的信仰の上に、インドで生まれたバラモン教、大乗仏教、密教、上座部仏教、ヒンズー教、などの影響を長年受け続けてきた。インドにしてみてもトラヴィダ系の土着文化にア−リア系の文化が侵入することでいわゆるインド的な文化土壌が生み出されてきたわけだし、度重なるイスラム勢力の侵入によって例えばムガール帝国などのインド・イスラム文化も生まれてきた。
インドネシアの島々ではこのような伝播、影響が層になるのみならず島々に並列的に垣間見える。ジャワ島−イスラム教、バリ島、ロンボク島−ヒンズー教、東ヌサトンガラ−プロテスタントおよびカトリック、その他奥地では未だ土着的精霊信仰も残る。近頃独立した東チモール、北スラウェシはカトリックで、キリスト教だからこそオーストラリアなどの白人国家がその独立運動を強烈に支援し独立できたわけである。そこでは宣教師の広めたキリスト教のせいで元来の土着的精霊信仰が破壊されてしまった。ジャワなどの骨董屋などに行くとチモールの土着信仰時代の遺品をすすめられることがたびたびあった。たのんでもないのにすすめるということは、それを貴重だと思って買って行く外国人が多いということだろうが、破壊するのもコレクトするのもやはり白人達なのだ。わりあいアジアの僻地に住む少数民族が宣教師によって戦略的にかキリスト教になっていることも多い(例えばミャンマーのカレン族等も)。腹立たしいかぎりである。
ジャワ島の有名なボロブドウール遺跡は今なお謎の多いユニークな建造物であるが、一応大乗仏教、密教的曼陀羅宇宙を実体的に表現していると言われる。この大建築の背後には印象的な大きな山がそびえていて、深いつながりがあることが予想される。アンコールワットのあの量感溢れる壮大な塔も、インド世界の聖地ヒマラヤの中心にある聖なるメール山(須弥山)のイメージと重ねられているらしい。この建築スタイルはその後東南アジアの国々に大きな影響を与えた。インド・エローラのカイサーサナータ寺院は単一の巨大な岩を彫って生まれた寺院だが、ここでもヒマラヤのカイラーサ山が、エローラの岩塊に投影されながらモデルとなっている。ボロブドウールにしてもアンコールワットにしてもカイサーサナータ寺院にしても、まずそのせりあがった大建築の力感と必然性は、背景の土着的な聖山、岩や教義上の神話としての山のイメージ双方に由来しているのである。西洋でも例えばシャルトル大聖堂の下にはキリスト教以前から土地の人々に聖化されてきた泉の跡がある。中東エルサレムの「岩のドーム」の下にはその名のとおり聖なるアブラハムの岩がある。日本の多くの神社仏閣でもその起原となった磐座や土地の神を祭った祠が鎮座している。
土着的な信仰、場所、もの、形、の上に後から外来の宗教や王権がかぶさってきて、大建築や外来のデザイン、着想を与え、しかもそれが幾層にも重層し融合していく道筋は普遍的なものであり興味が尽きない。そうしてここで重要なのは、長年大切にされ続ける聖地や大寺院だけでなく、小さな人芸品においてもよくよく考えて行くと同じような重層構造が見て取れるということなのだ。
ミャンマーの土着神「ナッ神」 | ミャンマーの土着神「ナッ神」 |
ヒンズー教の神シバ神 | 仏教のブッダ |
例えば一つの小さなクリシュナの人形を考えてみてもそれが解る。その像はかつての英雄神それ自体の写しであると同時に、由緒ある大寺院にまつられる有名なイコンの存在や現実の理想的人物像、子供像を幾重にも重層させていると言える。また深層心理的なレベルでも同様な構造が見て取れる。例えば男女一対の像は世界普遍のものだが、それは男がいれば女もいるという根源的対称の反映でもあると同時に、夫婦円満、子孫繁栄のニュアンスもある。そこに例えば王族のプリンスとプリンセス、ヒンズー教のシバ神とその妻でありシャクティであるところのパールバティー、叙事詩ラマーヤナの英雄ラーマと妻シータなどのモチーフが重ねられていく。また別なレベルで考えれば、家具や食器などの「用」の造形物に、様々な自然界、神話上のモチーフがほどこされ重ねられて行くものも大変多い。それは単なる装飾の意味を越えて行くものである。
男女2体一組の像(インド) | 魚のイメージと融合した花瓶類(タイ) |
モチーフとしての神話自体もやはり当時の人々の実生活のリアリティーにもとずいているわけで、神話を媒介にして古(いにしえ)の人々と同質なリアリティーを共感しあえるのであり、それが表現力の源泉となっているに違いない。
以下様々な人芸品に登場し用いられるモチーフを簡潔に分類してみることにする。
<テーマ・モチーフの分類>
1、土着的精霊信仰がもとになっているもの。
2、外来の宗教、神話がもとになるもの。
3、「1」、「2」が融合しているもの。
4、その土地の人々の生活、風物を扱ったもの。
5、「用」−機能的目的のもの(相対的に)
6、「5」に「1」、または「2」、「4」が融合したもの。
<モチーフの形状分類>
(1)神話上の人物 (王、王女、王子、英雄、ラーマ、シータ、、、)
(2)神々・妖怪 (精霊、ブッダ、シバ、ビィシュヌ、クリシュナ、ガネーシャ、天狗、、)
(3)人間 (男女一対、子供、美人、武者、生活風俗、、)
(3)生きもの (象、トラ、獅子、鳥、馬、牛、蛇、蛙、、)
(4)架空の生きもの (龍、鳳凰、麒麟、玄武、、、)
(5)植物 (唐草模様、牡丹、蓮華、、、)
(6)文様 (縞、格子、斑点、幾何学、、、無地、刷毛跡)
(7)「用」−機能的な形状 (食器、机、イス、ざる、様々な器、燭台、武器、、)
これらのモチーフは、様々な素材、製法、カテゴリー、デザインの中で繰り返し、繰り返し登場してくる。