<人芸品収集日記・イラスト・B>

 <ミャンマーのミミズク張り子> 

 ミャンマーの首都ヤンゴンの景観は、かつての植民地時代にイギリスが計画的に造り上げたものである。洋風のコロニアル様式のビルに囲まれながらロータリーの中心に黄金のスーレ−パゴダがそびえたち、そのまわりを日本の中古車が無数に走り回るなんとも言えないエキゾチックな街である。しかしそのようなヤンゴン中心部が生まれるはるか以前から、町の北側にはこの国でもっとも由緒あるパゴダが建てられ聖地とされてきた。このシェダゴンパゴダこそヤンゴンを一国の首都たらしめている精神的支柱であろう(仏陀の整髪8本を紀元前585に奉納したのがはじまりとされる)。大きさはパゴーのシュエモードパゴダやタイのナコーン・パトムの仏塔より低く、その由緒もインドのサーンチ−のストウパーなどにおよばないのだが、その集中度、背負ったものの大きさ、あふれでるオーラ、そうして美しさにおいてまさしく世界一の仏塔ではないかと私は思っている。

 1999年ミャンマー到着翌日私と妻はスコールの中タクシーでシェダゴンパゴダにむかった。ものすごい雨量とそれに見合わない廃水能力のせいで四車線の広い舗装道路が総べて水没して川となる。田舎道ならいざしれず首都の中央幹線道路が水没するというのはちょっと見ものである。どの車も少しだけ盛り上がっている道路中央部を、車体を斜に傾かせつつ進んでいく。対向車が来るとしかたがないのでギリギリにわきにづれかわす。かろうじてエンジンまで水がかぶらない深さらしい。私の乗っていたタクシーでは茶色い水がドアから溢れだし、ズボンがびしょびしょに濡れてしまう。まるで穴のあいたボートに乗っているようだが、このタクシーも日本の中古タクシーだ。

 シェダゴンパゴダはその本体自体も凄いのだが、そのまわりをうめつくすおびただしい小塔、屋根の数が凄い。四方にのびた参道の各々にはビルマ式の尖った屋根が何層にも折り重なりながらせりあがり奥上のパゴダに向かっていく。私達がしばらくそれを眺めていると一人のミャンマー人女性が日本語ガイドを申し入れてきた。みかえりは食事だけでいいそうであくまで日本語の学習の一環だという。しかしゆっくり気ままに見たいので断ることにした(後でここはインドじゃないのだからと思い少々後悔する)。参道の両脇はどこまでも土産物屋が続いていて驚く。パガンの漆物、骨董屋、鐘や燭台、仏像等の金物、木彫りの仏像屋、仏像のための様々な仏壇屋、伝統的な操り人形屋、様々な供物、、、、どれも見たことのないもので興奮する。中でもまったく予備知識なく驚かされたのは、様々な種類の極彩色の張り子群だった。象、キリン、シマウマ、牛、虎、子供、ミミズクなどで大きさもいろいろある。色はかなりどぎつく量感がぼたっとしていて大味なものである。しかしどれもこれも日本の張り子や伝統的土産物にはない粗野で土臭い生命力がたぎっている。これらが今だ生活の中に生きている証である。そうとう大きな(50cmをこえる)物でも信じられないぐらい安い。ここまで大きな塊になると大きなぬいぐるみのようなニュアンスになる。こういうものはまず観光客は買わない。ここに参拝する現地の人達が買うもので、家で飾ったり子供に与えたりして、お守りにしたり福を招き入れる縁起物とするような本来の意味がまだ機能しているようだ。ちょっと気になるのは中国製(?)らしき大量生産で安っぽい派手な色合いでてかてかに光るの木地玩具が大量に出回ってきていたことである。それらはすべてやすっぽいマンガ調のかわいい顔になっていてまったく俗悪そのもので、ミャンマーの伝統とはかけ離れていることは一目瞭然だった。やがてかつての日本やインドがそうだったように安っぽい工業製品に駆逐され、伝統的な手仕事的土産物が、このような聖地、巡礼地から姿をけしてしまう日がくるのだろうか。

 ところでミミズク張り子が二つ組みでミャンマーの家々の柱等に祭られているのをよく見た。他の動物張り子と違って圧倒的にこのミミズク張り子の量が多くその専門店もあり人気が高いようである。ヤンゴンの町中でミミズク張り子を各種20個ほど竹に吊るして売り歩く男にもでくわした。ほとんどのミミズク張り子の色は金色系のメタリックに光る紙が貼られてピカピカしている。大きさ、顔、模様様々あってとても気になったが、これらの張り子はあまりにもがさばるので買うにも限界がある(日本に帰る時あまりがさばるので、大きな象の張り子をまっぷたつに割って中に物をつめようとしたがすんでのところで思い留まる)。しかし参道をようやくあがり終えた私達が、シェダゴンパゴダ本体の懐に達した時、パゴダに祈るための両腕は、すでにこれ以上持てないほどの土産物でふさがっていた。

<インドの亀>

 この金属製の亀はずしりと重く青さびまで吹き出ていてとても良い質感になっている。日本に帰ってきてよく親亀の甲羅にのっかる小亀のふたをあけお香をたく。網状になった甲羅の隙間から煙りがでてきてとても良い。インドのカジュラホで買ったのだが別にカジュラホで造られたものではないと思う。カジュラホには金属製の良いものがけっこうあったような気がする。しかし思ったような買い物ができず欲求不満のままカジュラホを後にするほかなかった。なぜ思ったような買い物ができなかったかといえば、この村特有のネットリとまとわりつく人々のせいである。

 ぼろぼろバスでカジュラホに到着して、人込みの中に一歩足を踏み入れた瞬間、何かいいしれぬものを感じた。一分後には私には珍しくどなり散らしていた。他のインドの都市にくらべれば遥かに観光地化され清潔で安全で人々もゆったりして優し気なのであるが、半面どこまでもねちねちとしつこく、真綿で首を絞めるようなところがあって私にはあわなかった。村は思いのほか小さく、今日外人が何人どこに泊まったか、今どこをほっつき歩いているか、つねに村人達が眼を光らせているようなそんな錯覚さえおこるほどの閉鎖した空気を感じさせた。特にここでは若者にイライラさせられることが多かった。なんとか外国観光客(特に日本人)をカモにして金をとりたい、何か成功の足掛かりにしたいという気持ちがギラギラと顔に溢れだしている者が多い。そうして「日本語を習いたい」とか「日本語で話したいだけです」といいながらこちらの予定や気分もおかまいなしによってくる。短時間でお金をばらまいたり、逆によほどひまでこういうやからと話すことがコミニュケーションだと勘違いしている日本人観光客が今まで作り上げてきた伝統があるようで、本当に迷惑な話である。

 特に兄と土産物屋を経営しているというあるインド青年「X」には本当に困り果ててしまった。なん十回断っても、かなり本気でどなってもついてくる。泊まったホテルの知り合いらしくつねにロビーで私を見張っている。私は30歳の節目の誕生日をこの街で迎えたのだが、私と妻で祝うそのささやかな誕生日記念ディナーにもぴったりとついてきて同じテーブルに座り、我々とは違う一番やすいチャイをたのみ居座り続ける。こういう熱意はある意味で見上げたど根性と言えなくもなく、チャンスの限られた田舎の大志ある若者なら無理のないかえって賞賛されるべき行為なのかもしれないが私は嫌いである。とにかく金がないので買わないと何度となく断る。「カードをつかえばいい」というから、「カードはない」というと、「日本人はみんなカードを使っている」というのでますますはらがたってきてどなりちらす。

 そういうわけで「金がない」と言ったてまえ、彼が見ているところでは思ったような買い物ができにくい(インドで「買う」といっても一瞬でできるわけではなく、なだめすかし、脅し長い長い交渉時間と毛の生えた神経を装い続けるパワーが必要なのである)。そこで朝早く起き、彼がいないのを確認しつつ前日目星をつけていた民芸屋台売りへ向い交渉を始める。この屋台であるが日本の昔のリヤカーをもっと古くしたようなやつで、その上にたくさんの金属製の動物が乗っている景色はなかなか良いものであった。よくみていくと良いものもあるが、相当良くないもの、古く見せようと偽装したものなどまさに玉石混合である。ここで大きな亀を買ったわけだ。なかなかこちらの言い値に近づかづ、あきらめて帰るふりをする(インドではこういう繰り返しの演技が必要である)。もしむこうにその気があれば必ず「OK、OK−」と追いかけてくる。しかしこの時はなかなか追ってこないのでちょっとあせったが10メートルぐらい離れてから追ってきた。そこでまた値段のつばぜり合いが始まり知らないうちにまわりは見物人でいっぱいになる。B型の妻が切れてお金を相手の手に押し込みひったくるように亀を買ってしまった。そのやりとりを見ていた群集の中にあの青年Xが混じっていて私達を追いかけてきた。「いくらで買った」と聞いてくるので正直にいうと、ちょっと黙り込み「そんなものだ、あれは新しいものだ」といった。後で自分の店でその亀より10倍は新しいどこにでもある小さな象を「これは古い」といって20ドルで売りつけてきた。その店には同じやつが10個ぐらい並んでいたし、その程度の物は日本でも1000円ぐらいで買えるのでちょっとあきれてしまう。

 その後カジュラホでは車輪のついた象が欲しくなり、私が青年Xの囮になる間、妻に交渉させるという作戦に出た。しかし妻が買って来たのは車輪のついた馬でがくりとくる。またある店でずらりと並んだ金属製の象を見つけ、なかなか良かったので、大きめのやつが欲しくなり交渉しようとするが、我々の横に青年Xがなぜか座っていて、交渉にちくいち反応し眼をぎらつかせているので、まるで死に神に取り付かれたような気持ちになって思い切りが悪くなる。そこで彼がトイレに出たすきに本格的な交渉に入るが、急に停電になって中断されてしまう(インドではしょっちゅう停電する)。とりあえずまた後でこようとして店を出ると、店主と青年Xが喧嘩を始める。

 最後の最後にしょうがないので青年Xの店によってやることにする。はじめにいっとけばこんなにつきまとわれずにすんだのにバカであった。我々が店に入った瞬間彼はシャッターを閉めてしまう。チャイをだされたが何か変なものが浮いていて汚いので断る。店の品を5秒で見切ってしまい興味を失う。先に述べたように小さな象の置き物が高すぎる。妻は宝石やネックレスをいろいろ出してみせてもらう。今度は私がそれをジーと見る番だ。彼はそれをいやがり、私の気をそらすために「こんなのどうですか」と奇妙に歪んだ笑みを造りながら細密画のようなものをいろいろ出してくる。それらは質の悪いふざけた「春画」でまたまた腹が立ってくる。日本人はこういうものに喜んだり、にやけたりするものと思い込んでいる節がある。それでも妻はラピスラズリのネックレスを買うことにする。「どれくらいまけるんだ」と大声で怒鳴る。困ったようにほんの少しまける。「帰る」というと、「これだけ?」と悲鳴のように叫ぶのでまたまた腹が立ってくる。「おまえは本当に失礼だ」とインド人にとって痛くもかゆくもない文句を日本語で連発して出てくる。

 このようにカジュラホでは泥試合の繰り返しでヘトヘトになってタイムリミットを迎えてしまった。総じてどこの店も良いもの、古いものは少なく、新しいものは良くない。そして古くて良いものはなるべく高く売りつけられる客がくるまで残しておいて、新しいものから売りさばきたいと思っているようだ(食べ物屋の逆)。カジュラホはいわゆるチャンデ−ラ朝の「エロチック」寺院で有名だが、実際見てみるとそれほどいやらしいものではない。見た人達が過激なほんの一部分を過剰に宣伝しているにすぎない。しかしカジュラホ近隣の岩山は、岩が奇妙に有機的にゴツゴツと迫り出しながらからみ合っている奇観になっていて、ちょうどカジュラホ寺院の男女がからみ合うレリーフとそっくりだった。また、ここの人々の妙にまとわりつく感じとも共通点があるように思えた。自然と人と建築物がここまで重なって見えると少々気味が悪いものである。