<ジャワの張り子面>

 インドネシアの古都ジョグジャカルタ(通称ジョグジャ)の印象を一言で述べるとするなら「白と赤の平らな迷路」と形容するのがふさわしいように思える。「白」は町中が王宮と同じ白壁を基調としていることから、「赤」は町中いたるところにいるベチャ(人力車)が赤塗で統一されているからで、ちょうどインドネシア国旗(白と赤)にだぶってきてただでさえ暑いのによけい暑さを感じさせる。またこの街は目印になるような高いもの、ビルとか塔がほとんどない。イスラムのシンボルであるモスクのタマネギ型のドームでさえ申し訳程度に小さくつけられている。王宮も平べったく威圧感がない。どこまで行っても平らで奥が深いので、自分の位置を見失うと方向音痴の僕はすぐに迷ってしまう。今だに人力のベチャが生き生きしている所以であろう。

 ある日この白と赤の平らな迷路ジョグジャのメインストリートであるマリオボロ通りを王宮広場へ向かって歩いていると、「コンニチワ」と日本語で話しかけてくる青年がいた。小太りでわりあいきちっとした身なりの一見善良そうな男だった。「日本語うまいですね」と言うと、駅近くの日本レストランでこないだまで働いていたと言う。今週そこをやめたので、明日別な日系企業の試験を受けるのだそうだ。「受かれば良いのですが」と言って彼は手をあわせる。そうこう二人で話ながら歩いているとだだっ広い王宮広場にさしかかった。そこで私は入り口付近に並ぶ一つの薄汚い屋台に目が釘付けになった。子供向けの玩具を売る小さい屋台で、安っぽい工業製のビニールやプラスチックの玩具に混ざって、薄汚い張り子の面がぶら下がっているではないか。ジャワ風にデザインされたゾウやトラ、よく解らない化け物じみたもの等大小いろいろある。どれも売れ残った干物の様に古びてボロボロになっていた。35度を超える炎天下を歩き回ってきた疲労が一瞬で吹っ飛んでしまった。自分の中で興奮と歓喜が沸き起こる。「まさにこれを待っていたのだ」、「これを探すためにここまで来たんだ」と。

 私の危機迫る目つきに気付いた同行の男は、少々驚いて「あれはニセモノです。フフフ」と鼻で笑った。「ニセモノ」と言えば「ニセモノ」ではあるが、それでは「ホンモノ」ってなにで、どこにあるのか?ホンモノを装おうニセモノに比べ、装おわない「代用物」として、庶民のくらしで実用され消費されるこれら手軽な張り子面はニセモノのホンモノである。土産物化されたホンモノに比べはるかにホンモノなのではあるまいか。そういうわけでこういう観光ズレしてない品には特有の土臭さ、野性味が残っていて最優先に手が出てしまう。インドのジャイプルでも同様の張り子面群に出会ったが、予定外の体調不良をおこし多くを買い残してしまった苦い経験がある。

 「今度こそは全部かって帰ってやる」と目をぎらつかせていると、同行の男も私のただならぬ気配に気付いたらしく態度を豹変させた。店番の少女に大きなゾウのかぶり面を指差し値段を聞く。妙な間の後3万ルピー(450円)だと同行の男が通訳する。「うーん、、、このボロボロのが3万?」と首をかしげながら不満を言うと、その男が「うん、これはオールドですから」と答える。さっきは「ニセモノ」と言って鼻で笑った男が、安物の玩具と並んで干物の様にぶら下がった売れ残りを「オールド」と大切そうに愛ではじめるのは奇妙である。ためしに小さい仮面の値段を少女に聞くと、顔がとてもこわばる。男がゴニョゴニョと小声で少女に耳打ちしている。少女がペンで書いて持ってきた紙切れにはやはり3万と書かれている。さっきの大きいゾウと同じ額である。「こりゃあ高い、こんなわけはない!」と興奮して語気を強め男を睨む。あきらかにこの男が店番の少女にぼった値段を言わせているようだ。こんなけちな男は就職試験に落ちれば良いと思ったが、その話自体も嘘かもしれない。何日も飲まず食わずで辿り着いたオアシスを前にしてじらされているような気持ちだ。マリオボロ通りの屋台でさきほど木彫りの面を3万で買ってきたところでもあり、木彫りとボロの張り子が同額なわけはない。張り子が高いのは日本ぐらいなもので、一般的にどこにいっても驚くほど安いのが相場である。

 「じゃあ、、やめた!」と言って、来た道を引き返し、その男と無理にでも別れることにした。ここはいそがばまわれ、俺も少しは学習したのだと自分で自分に言い聞かせ、はやる気持ちを押さえた。しばらくしてその通りに再び顔をだしてみると「コンニチワ」としゃあしゃあとあの男が遠くから手を上げているのが見える。「バーイ」と言って苦々しくまた引っ込んで、夕闇迫る街の喧騒をいらいらしながら眺めつつ15分ほど待った。そこでまんをじして子供玩具屋台ヘ突進する。幸い男の姿はもう無かった。店番の少女に再度交渉、「デスカウントしてくれ」と述べる。目を血走らせた外人が、ほとんど忘れかけていた売れのこりを買いに何度もやって来るので、とても驚いている様子である。今日は本当に妙な日だぐらいに思っているに違いない。店の奥からデップリとした手強そうなおばさんをつれてきて、新たな交渉相手になった。さっきのことがあったのではじめのうち少々もったいぶっていたが、最終的には「ケケケ」と呆れて笑いながら大小含め数個の張り子面を半額以下で売ってくれた。

 後日もう一つの王宮広場の方で同様の屋台を見つけ同等の物を言い値のまま1万ルピー(150円)で買うことができた。その後この大きな張り子類を繰り返し買い足していったので、膨れ上がった荷物がその後の旅をとても不自由なものにしてしまった。

  <ジャワの木彫り面>

 世界遺産のボロブドゥ−ルやプランタナン遺跡群観光の基点として、またジャワの伝統文化の中心地として昔から観光客が多いジョグジャカルタには、ホテルや土産物、工芸ギャラリーが数多く密集している。中でも僕が偶然泊まったホテルがあるプラウイロタマン通りは、ジャワの伝統工芸工房、ギャラリーがのきをつらねていて観光客も多いところである。ボロブドゥ−ルやプランタナン、ソロなど一通りの観光を前日までに終らせていた私は、朝から気楽な気持ちでそのギャラリー街をぶらぶら覗いてみることを思い立つ。

 さしてうまくないバタートーストとコーヒーのモーニングを早々にすましホテルを出た。20歩くらい歩くとすぐにある男に呼び止められた。観光地やバスの発着所などでぶらぶらしているどこにでもいそうな男だった。彼は土産物屋を案内してやると言う。気楽にぶらつきたかったので「ノ−」と言うがついてくる。こういうあつかましさはインド人ならいざ知れずここではちょっと珍しい。店に入っても店主そっちのけでベラベラと買いたくもない品の説明を始める。2件目にも着いてくる。何度断ってもついてくるので暑苦しくなり(事実頭が朦朧とするほど暑い)、「いいっつってんだろうがあ!」と日本語で汚くどやしつけた。言葉が解らなくとも語気を強め、口汚く発音するとすぐに伝わるようで、この男の方が逆に切れてしまった。よく解らない言葉で、やはり口汚くごちゃごちゃと文句を発した。さらに離れ際にある単純な私の知らない単語を連発した。おそらく日本語の「バカ」に比する言葉であろうと察した私は、暑さで朦朧となったままカチンときて、「バカとはなんだこのやろう!」とどなり再びその男につめよる。男はさらにゴチャゴチャと何かを言い続けている。こんなやつもういいと思い歩き出そうとすると、私の背中に向かって「キル・ユ−」と浴びせてきた。これにはさすがに頭にきて「キル?!キルとはなんだあ!」とまたその男に急接近した。こっちが詰め寄ればむこうも詰め寄る。10センチぐらいの間合いでにらみ合うこと数分。こんなチンピラめったにいるものではない。朝からやってらんないなーと感じながら、逆にチンピラだから恐いのかも知れないと思い直し、喧嘩になることを想定してみた。相手の顔をようく見てみるとマイクタイソンをインドネシアっぽくした感じで、表情がとても暗い。まず自分の方が負けそうである。万が一勝ったとしても怪我でもしてしまえば旅行の日程が狂う。しかもここは敵地であり、あたりはなぜか朝ということもあるのかさっきから人一人通らない。まいっちゃったなーと思いながら引っ込みがつかないままさらに睨み続ける。「キルとはなんだよお?」と再び詰問すると「お前はどこの国から来た?」と逆に聞きかえしてくる。「ジャパン」というと、「自分はインドネシア人だ」とわかりきったことをいう。しかし2日前おこったジャカルタのホテル爆破テロが脳裏に浮かんでだんだんひんやりしてくる。「インドネシア人の俺が日本から来たお前を案内してやろうとしただけなのにそれをなんだ」というようなニュアンスに思える盗人猛々しい主張をごちゃごちゃとまくしたてる。いつのまにかインドネシア対日本になってくる。わたしは呆れたように(事実この男に呆れ果て)「アイキャント・アンダ−スタ−ンド」と首を振りつつ、睨んだまま距離をじょじょに広げ男と離れるのに成功した。よほどこの男腹がたったらしくもと来た方向に戻りながらもゴチャゴチャ叫び続けていた。

 アジアを旅していて不快なのはこの種のポン引き屋である。人の集まるところどこにでもいて、結果的に入場料にしても何かのチケットにしても土産物にしても値段が上乗せされる。店の人もどこかこの種の人間に遠慮があるのか干渉してこない。世の中に物をつくる人間、それを適性に売る人間がいるとすると、その隙間にチョロッと入ってきて良いとこ取りしていく人間がどこにでもいる。まことに不快である。逆に観光客側に立って値段を安くするのに一役かうならお礼もするのにそういうことはまずない。

 朝から不快なのですぐ目の前の店に入り、とにかく何か買ってケチを落とそうと思う。幸い店員の青年はとても控えめで愛想がよい男だった(ジャワ人は総じて愛想がよくわりときちっとしている)。様々な店内の工芸品を眺めながら、壁高くかけられた面類のうち、ピンときたやつを一つおろしてもらい、値切って買ったのが上記のイラストの仮面である。赤ら顔のギョロ目男の顔で木製、髪の毛は本物の人間の毛のようだ。アンティークではないが新品でもなく、古そうに偽装されたあともない適当なものだ。ちょうどジョグジャの街で活躍するベチャ(人力自転車)の男達を連想し気に入っている。