<バリ・デンパサ−ルの市場で> 現地の旅行会社にデンパサールのホテルを予約しておいたら、「デンパサールに予約した日本人は今まで一人もいないので驚いていた」と後日言われ、こっちが驚いた。バリ島に来る多くの日本人観光客は、クタなどの南部ピーチ沿いか、ウブドに宿をとるようだが、かりにもデンパサールはバリ島の州都である。そんなことがあるものかと思って行ってみると、なるほど気のきいたレストランやカフェ、由緒ある寺院等ほとんど皆無であり、街を歩く日本人観光客にはまったく出会わなかった。ここがどうにかバリの中心部であることを感じさせてくれるものは、やはりデンパサールの名の由来でもある大きなパサール(市場)の存在である。自分の性質上、一度に買いたいものを買い切れずくよくよすることが多いので、デンパサールの、しかもパサールに歩いていけるところに宿をとって、何回も行くことのできる体勢をとることにした。ここのパサ−ルは川を挟んで食料日常品などを扱うパサール・パドンと雑貨工芸品を扱うクンバサリ・ショッピングセンターの二つに別れていて、どちらも3階から4階の雑居ビルになっている。規模で言えばタイのチャトチャック市場やミャンマーのアウンサンマーケットなどに匹敵する大きなものだ。 クンバサリ・ショッピングセンターは雑貨仕入れに世界中から人が集まるようで、バリ中のあらゆる品々がところ狭しと並んでいる。しかしひとまわりするとパターンが見えて、意外に均質な感じがして失望してしまった。あまりにも規格化が進んでいるためか、量は凄いのだが似たようなものを売る店が多く、しかも同じ程度の新しさ、品質であった。奥の方に行くとホコリをかぶった古そうな品を置く店もあるが、何回も見てみてそのほとんどが単に汚いか、古そうに見せているだけの物だとわかった。それらはきまって「アンティーク」と呼ばれ高く売りつけられる。このマーケットをまわった感じでは99%アンティークと呼べるものはなかった。そしてたまたま売れ残った珍しいもの、新しくないもの等も非常に少ないので異常に均質な感じがしてしまった。 しかしそうは言ってもこれだけの量、中には良いものもある。特に金属製の(シルバーと呼ばれているが銀色というだけで銀ではない)様々な動物、仏像等は日本では見かけたことの無い発見であった。しかも「型」でつくられるので、少し前のタイプがいまだに造られ続けていて、最近の商品に顕著なちょっとした気まぐれや奇をてらったわざとらしさが無く許せるものが多い(その点で言えば木彫り類はどんどん悪化しているように感じた)。これら金属製の品は各階に大小いくつかの取り扱う店があり、各々おいている品と言い値が違う。一度夕方の閉店すれすれの時間帯に見つけた店でいくつか物色したことがあった。あまり見かけないタイプの亀を見つけ羊と合わせて値段を聞くと、店主の男が30万ルピー(4500円)と言ってきた。日本の食料品市場等と違って店を閉める時間帯だと高くなるのかなと思い、「じゃあいらない」と言って出た。すると店主は亀を突き出して「いくらなら買う?」、「言ってみろ」としつこくついてくる。店主の妻や子供、おばあさんなどが興味津々と集まってきて注目している。みんなこの日の最後の客、売り上げに力が入っているのだ。「じゃあ3万ルピー」と言うと、相手はしばらく黙り失意の表情を示しそれ以上ついてこなかった。家族みんなをがっかりさせてしまったようで気が重くなる。 数日後、再度クンバサリ・ショッピングセンターに行き、より品揃えの豊富な別階の別な店へ、金属製の動物達を漁りに行った。この店はいつも二人の少女が店番をしていてとても愛想が良い。しかしとてもしっかりしていて、前回、カエルとエリマキトカゲとイルカを値切る時、十分値切り切れず笑顔に負けて10万ルピー(1500円)でおれてしまった。おまけに最後に小さいゾウまでもらい完全な敗北感を味わせられてしまっていた。その日も店に入るや2人の少女は私に気づき笑顔で歓迎してくれた。そうしてうれしそうに奥の方からモソモソと何か珍しいお宝のような二つの塊を出してきた。それらは数日前別の店で諦めた「亀」と「羊」そのものだった。「やれやれ、あの店と同じ系列なんだア」と思いつつ、彼等が自分のことをなんと噂しているのか少々恥ずかしくなる。「あの変なやつはまた必ずやって来る」と待ち構えていたに違いない。少女達は「6万ルピーでいい」と亀を指して言う。羊は入ってないが30万が6万になっていた。「これはいける」と思い、その他いくつか欲しいものと合わせて交渉に入る。結局安かったような安くないような感じで「まあいいかあ」となってしまった。契約終了後「テレマカシ」と言う自分に対し、「サマサマ」と満面の笑みを浮かべる彼女達の笑顔を見るにおよび、また手玉にとられたのでは?と疑念が浮かぶ。人の笑顔で不安になるというのはちょっと嫌だなあと思いつつ帰路につく。 |
<ジャワのワヤン> ジャワと言えばバティックとワヤン人形であり、メインストリートのマリオボロ通りには、ところ狭しとワヤン人形がならんでいるに違いないと夢想していたがあてが外れた。通りの両脇に並ぶ屋台のうちいくつかにはたしかにワヤンが売られてはいた。しかしどれも品質が良くなく、合計すると6パターンぐらいしか種類がなくて、どこもだいたい同じものであった。我が家には以前シンガポールのチャンギ空港で買ったワヤン・ゴレが一つと、ネットで買ったワヤン・クリが一つあるが、それらよりも良くない。デパートや土産物やもだいたい同様であった。「こんなものじゃないはずだ」と思いながら数日が立ち少々焦ってくる。 意を決してジョグジャの町外れにある「クラフトセンター」という公営の店に行くことにする。タクシーに乗り何度も目印の建物をチェックし、行ったり来たりしつつタクシーの運転手と一緒になって探した。そうとうタクシーメーターが跳ね上がった末わかったことは、そのクラフトセンターは3年前に潰れたと言うことだった。公営の店が潰れるというのも変だが当然あるべきところにないのだから信じるしかない。自分の持ってきた地図は3年前のガイドブックのコピーだから運が悪かった。 別な日「ニトール」という所でワヤン人形劇をやっているとガイドブックにあるので訪ねてみようとする。なにか良いワヤン人形が手にはいるかも知れない。王宮を越えてソノブヨド博物館あたりにたむろしているベチャの群れに近づいていくと何人ものベチャ乗り男が私のまわりに群がってくる。一番弱々しい老人に頼むこととし、「ニトール」と告げるが理解できない。まわりにいる他のベチャ男達は、「このじいさんじゃ無理だから俺のに乗れ」と言うような意味のことをがなりたて、その年寄りを静止する。老人はせっかくの客をとられたくないのでひっしに振払いつつ、ノロノロとベチャを押す。その姿に少々心が締め付けられた。地図を見せると一応は「Ok」と言って、「早く乗れ」というので2000ルピーで行ってもらうことにする。炎天下の中老人のベチャはノロノロと動き出すがどうも方向が変だ。もう一人のベチャ男が追って来て「こっちに乗れ」とそくす。老人は歯の無い口で文句を言う。結局ずるずると乗せられたままおろされたのが、先きほど自分が汗だくで歩いてきた王宮広場。逆戻りしただけだった。「ノー!ニトールだ!」とおこるが、老人は悲しそうにおどおどするばかり。金ははらわないと言うとひっしにむしゃぶりついてくる。ふと長年の労働でひしゃげてしまった老人のはだしの足が目に入ってくる。しぶしぶ2000ルピーやってよろこばせる。この老人はこれからちゃんと生きていけるのか心配になった。待ってましたとばかりついてきていたベチャ乗り男が「こっちに乗れ」とそくすので乗る。「やれやれとんだロスだ」と思う。今度のベチャはニトールのあるべき方向に向かう。しかし行けども行けどもつかない。運転手の男もキョロキョロしはじめる。不安が絶頂になった時ある大きな建物の前に到着し「ここだ」と言う。おつりがないと言うのでお金をくずしにいったりきたりしていよいよ建物に入ろうとすると、それはただのインフォメーションセンターだった。どうやらこの男もニトールを知らなかったらしい。「やっぱりベチャはだめだ」と後悔し、タクシーをひろう。はじめタクシーの運転手もニトールに頭をかしげていたが、地図を見せて「ワヤン」というと「OKーOKー」と顔を輝かせた。タクシーはクーラーがきいていて涼しい。はじめからタクシーにすればよかったと思っていると、またしても王宮広場へ逆戻りコースをたどっているのに気付く。「ストップ!ニトール!」と言うと、運転手は指差して「OKーOKーワヤンファクトリー」と述べる。自分の知っているワヤン工房へつれて行こうとしているようだった。「ノー!」と言って金もはらわずドアを思いっきり締めて車からおりる。ニトールは諦めることにする。 次にスワスティギタという所を目指すことにし、その近くまで歩く。もうちょっとというところで迷いウロウロしているとベチャ男に「乗れ」と呼び止められた。こまかい金が500ルピーコイン一枚しかないので乗らないというと、それだけでいいから乗れという。やけにこの男うれしそうで気になったが従うことにする。路地を入り思いのほか奥に進むと目的地スワスティギタに到着。ようやくガイドブックに載っている大きなワヤン専門店に辿り着くことができた。立派な店だがクーラーは当然のようにきいておらず、吹き出す汗の中店内を物色。アンティークや細かい工芸的洗練を極めた高価なものが多い。とくにワヤン・クリの細密なものは凄い。実際に使うやつ以上に細かいようで、絵画のように額縁の中に入って壁にかけてある。どこにでも売っているようなものもないことはないが、他の店より値段が高い。この店は良いけど高いと思う。いい物の値段が予想をはるかに上回り交渉意欲を砕いてしまう。心の準備もできていない。やむなく手ぶらで出てくる。もうあたりは暗くなって来ていた。さてどうやって帰ろうかと思っているとさっきのベチャ男が待っていてくれて「乗れ」と言う。こまかい金がないというと、「500はないか?」と聞くので、あっちこっちのポケットからコインを掻き集めると500に足りるのがわかり、二人で喜ぶ。ホテルの名を告げると、帰る前にもう一件親戚のワヤン工房へつれて行くと言う。「ノー、ホテル」と言うが、暗い夜道、どこを走っているのかわからないまま一件の家の前に止まる。「ここが親戚のワヤン工房だ、いろいろ見せてもらえ」と頼んでもないのにすすめてくる。まあ見てみるかアという気になり中に入る。店主自身が造っていると言うワヤン・クリを沢山見せてもらうが、やはり高いので諦めて出る。「今度こそホテルに帰る」とベチャ男に告げる。OKーと言って走り出すがなかなか見覚えのある所にでない。そうして何度も細い路地を曲がりくねる。見知らぬ夜道にギコギコとべチャのペダルの音のみがこだまする。知らない所で降りたとしても結局また別にベチャ乗らなければ帰れないので我慢する。それにしてもここはどこなんだろうと思っているとベチャ男がへらへら笑いながら「ココハドコダカワカラナイ」と日本語らしい言葉を口走る。この男は日本人をいつもこんな目に合わせているんじゃないだろうかとおぼろげながら不案になってくる。街灯に照らされた男の無気味な笑みはコモドオオトカゲのようでゾッとさせられる。イライラしていると案の定一件のバティック工場の前に到着する。その瞬間切れて「ふざけんなこのやろお!!」と鋭く一括し、まったく同時につかつかと来た道を引き返す。私の突如とした豹変に驚いたのか、男は一言も発すること無く追いかけてもかなかった。頭にきて歩き始めたのはいいがここがどこなのかわからない。行けども行けども平たい迷路、似たような家に人の姿は無し、自分の足音のみが響き渡る。結局20分ほど歩いてベチャを拾い帰る。ホテルはすぐそこだった。 長々とつまらないことを書いてしまったが結局ワヤン人形を思っていたほど集めることができなかった。高級な工芸品としての手のこんだ一点物と、量産品のチープなものに二極分化しているようで、間の手ごろなものがなかなか無かった。 ところで前々からワヤン人形は奇妙なデフォルメが効きすぎていて、一種人間離れしたグロテスクな印象があった。なぜここまでえげつないのか、よほどジャワ人が痩せぎすだったり、悪魔的容貌だったり、底意地が悪かったりするのだろうかと考えていたが、現地で会った彼等は当然ながらそういうことはなく快活で善良であった。そういう疑問は実際に影絵芝居としてのワヤン・クリを見てはじめて納得することができた。影絵として写されたワヤン・クリの人形達は圧倒的なフォルムの美しさ、洗練度、緻密さ、豪華さ、そして合理性を持っていた。平面的に一つの方向から見られることを想定して造られた人間像として、世界屈指の極限的形態ととられることができるのではないだろうか。横向きの顔、両肩、両腕の同時的表現は人間像を2次元に置き換える合理的な様式として、古代エジプト壁画を想起させずにはおかない。さらに光と影、地と図の果てしないせめぎ合いが計算され、流麗で豪華絢爛な一つの「シルエット」を越えた非現実的な実体が生まれている。それは奇異でグロテスクな印象の対極に位置するものである。それに比べると3次元的な操り人形に置き換えられたワヤン・ゴレの方は少々奇異な感は否めない。このデフォルメはあくまで影絵上で必然的に進化したもので、3次元状にそのまま移されれば奇妙に見えるのはあたりまえであるように思える。
|