<メキシコの動物達> 残念ながら僕はまだ南米に行ったことがない。しかしメキシコやペルー、グゥワテマラ等の人芸品は相当量日本でも手には入るので我が家でも増え続けている。もともと私自身これらの品物が好きなようで、絵など描いていても自然に南米調になってしまうことが多い。遺伝子的にも同じモンゴロイドなので日本人と相当近い関係にあるらしい(中国人や朝鮮人よりも近いという説もある)。マヤ、アステカ、インカ、北米インディアンと縄文、アイヌの各々の遺品には確かに共通するものがある。以前とてもよく当たる超能力者のおばさんに「あんたは墓とか遺跡が好きで、南米の笛とか聞くと弱いのよね」と指摘されなるほどと思った。おそらく自分の無意識のさらに奥の方に行くと、縄文とか東北などと南米がまだ枝別れする以前の混在領域があるにちがいない、と自分ではうすうす感じている。 ところでスペイン人に滅ぼされてしまったかつてのアステカ、インカ文明は大変ユニークなものだったらしい。ヨーロッパから見て長い間未知であった中国や日本にしても、シルクロード等で西方世界とつながり外部情報は入ってきていた。サハラ砂漠以南のアフリカや南洋の島々等も外部世界から孤立して独特な文化を育んでいたわけだが、だからといってそれらが「文明」という集中度とスケールを持つにはいたらなかった。それに比べ、マヤ、ティオティワカン、アステカ、インカのそれは「文明」の名に値し、しかも他の大陸からの外部情報から隔離されたもっとも非西洋的文明だったと言える。文字、鉄、馬、車輪を知らずに(マヤでは文字に相当する存在が認められているが)、インフラの整備された大都市、大建築、数々の造形芸術を産み出し続けることができた。ちょうどオーストラリアの動物達−有袋類がユーラシア大陸系の動物種とまったく異なる系統の異なる種でありながら、そっくりな分化、適応、バリエーションを形成して行ったのを思い出す。このような没交渉の、そうして広い地域と長い歴史を持ち、発展、洗練、集中した文明は世界中でここだけであった。まさにもう一つの「別な世界」がそこに広がっていたのである。南米のこれらの文明は西洋文明が「文明」としてはぐくんできた「ヒューマニズム」を、完膚なきまでに相対化してしまう対極の人間真理に立脚するもう一つの「文明」だった。例えば太陽神への人身御供はスペイン人がもっとも衝撃をうけた文化だった。それは他地域の文化が過去において否定し忘れ去ろうとしてきた人間本性の「呪われた」秘部であった。南米文明はその秘部をことさらに強化し、ダイナミックに洗練させながらそこに立脚する高度な文明だった。 このまったく逆さまに進化形成されてきた独自な文明そのものを、瞬時に破壊してしまうスペイン人の犯罪は、歴史上類を見ない最悪のものである。あのインコの羽やよくわからない複雑な模様でうずめられた長い歴史と神話のごたごたとつまった豪華絢爛なる世界を、全て一瞬にして粉砕し犯してしまう。たった300人の全身鉄で覆われたスペインの野蛮人が、あの精密で「無駄」の多い、非モダンで非プリミティブな数十万人の世界、文化、芸術の全てを、肉隗と白骨、土塊と金の延べ棒、奴隷と妾に変えてしまう。この落差は地球上例が無い。大和朝廷とエミシ、江戸と黒舟、アーリア人とトラビイダ人、ロ−マ人とゲルマン人それ以上である。イスラムvsキリストという血で血を洗う醜い兄弟闘争を戦い抜いてきて間のないコルテスやピサロのスペイン・ゲリラ部隊は、高度に洗練されすぎていたアステカ、インカにとっての最悪の敵だったと言える。まさに彼らは手のつけられない殺し屋集団であり、一神教的排他主義と欲望が結びついた執着力、持続力、実行力、戦闘力、組織力、野蛮さそのどれをとっても最強であった。戦い方はもちろん、組織の造り方、占領地域の管理の仕方、「市」の造り方、捕虜や奴隷の管理、相手を陥れる計略、秘密を喋らせるための拷問のかけ方、自己正当化の道筋、奪った戦利品の分担、、、、すべてのノーハウと熟練した技術を持っていた。 現在ではアステカ、インカ文明は消滅し、スペイン人の入植とアフリカ系の奴隷の移入等によって土着の血も薄まり、僻地でも無い限り純粋のインディオは少なくなってしまったらしい。宗教もキリスト教が浸透し、政治経済を牛耳っているのも多くはスペイン系の白人である。このグロテスクな社会は、アーリア人によって支配されたカースト制のインド(いまだに鼻筋が通っていて肌の色が白いほど上層の人間なのであり、着ている服や太り具合、身のこなし、職業、権利などと緊密に結びつきながら、文字どおり「色分け」された社会ができあがっている)と違って宗教に内在するものではなく、したがってインドほど徹底したものではない(というよりもスペイン人に侵略されたインディオに残された道は、カトリックへの改宗か死という二者択一の選択しかゆるされなかったらしいので、本当はインドよりもひどい)。しかしアフリカ系もインディオ系もスペイン系もそれら諸々の混血もいちおうはカトリックであるが、渾然一体に混ざりあい融合することいまだままならず、混ざりきらないままに各々の素生が透けて見えてくる社会であることにはかわらない。 そういう中にあってメキシコの芸術は20世紀になってオロスコ、リベラ、シケイロスなどの壁画運動が勃興し民族文化復興が唱えられてきた。私が好きな画家はルフィーノ・タマヨで、シケイロスなどの壁画に見られるような社会的で直接的メッセージは無い。そのかわりメキシコの過去の文化と風土につながりながらあくまでも20世紀的な新しい独自な造形美を生み出していて、まさしく南米文明とモダンアートが融合した真性の芸術をもくもくとつくり続けた画家だ。その作品は問題を提起するというよりも、まず「生きてある」という原メキシコ人のかけがえのない存在を歌い上げてきたように思える。 今日伝わる南米の多くの土産物、工芸品のいくつかにも、そのような失われた過去の文明との深い結びつきをしっかりと感じることができる。それらは静かに、しかし厳然とした事実としてインディオの生、美意識を今日に伝えている。 |
<シンガポ−ルのゾウ> シンガポールは大都会であるがそれほど嫌いな所ではない。暑い以外はアジアでもっとも(というよりも世界でもっとも)不快なことが少ない場所だと思える。シンガポールエアーラインで夏のイタリアに行った帰りにストップオーバーした時も、「やっと文明国へ戻ってきた」という奇妙な感慨がこみ上げてきた。ここでは何もかもだいたい予想通り−予想以上にきちっとスムーズにすんでしまう。イタリアとは大違いである。空港から街の各要所までは恐ろしく早くて便利で安い鉄道が完備したし、タクシーも安全で安い。人々もテキパキとして正確で愛想が良い。食べ物もバリエーションが豊富でうまい。ちょっと休むカフェも多い。クーラはどこも効きが良い。メイン道路、ビル、街路樹のスケールはダイナミック。コンパクトに密集していながらせせこましく感じさせない都市だ。 この小さな都市国家は中華、マレー、インド、アラブ等の多様な民族で構成されているわけだが、実質的にはほとんど中華の国である(人口でも実力でも)。それをマレー語を共通語とし「シンガ・プラ」−「獅子の都市」というコンセプトで中華色を表に出さず、かといってマレーでもない何ものか、新たなブレンドされたアイデンティティを造り出すことに成功している。ライオンと魚がブレンドされ売り出された「マ−ライオン」というキャラクターなどはその良いあらわれだと思う。 優秀な官僚組織の国づくりがここまでシンガポールを発展させ、またその性格を規定してきた。街はどこもかしこも再開発が進み、テーマパークの様に外から来る外国人の眼を多分に意識して作り替えられている。標識も多くわかりやすいのは良いが、わざとらしい最近のハリボテ的な街づくりは無視できない。街というのはそこで実際生きる人々から自然に沸き上がってくるものが、蓄積され、味になり、その街のスタイルになっていくのが理想だろう。かつてのシンガポールはそうだったのだろうが今はまったく逆だ。それぞれの通り、商店街、建物のスタイル、デザインなどが、総べて政府主導で各テーマにそって演出されていて、全て作り物のセットの様に見えてくる。つくりが総べてこけおどし的で安っぽくキッチュになっている。僕の住んでいる仙台市の青葉城近辺も、城下町のムードを安っぽく演出しようとしてか、交番や公衆トイレがおもちゃのお城的デザインになっている。本物の城の石垣や櫓(本丸は無いが)などが奥にひかえているのにわざわざ安手のにせものでだいなしにしているように思う。美しい大自然の景観をイミテーションのコンクリート製丸太式手すりで張り巡らせしらけさせてしまうのと同じである。税金を普通以上に浪費して、やらなくてもいいことをわざわざしてしまう。そうして市民はほとんど批評能力が無い。役人がやるとどうしていつもこうなるのか、万国共通の現象である。予算と計画、安易な発想のみがあり、内実と美がともなってこない。昨今シンガポールでは活気溢れる商人達のリアリティーと役人達の机上のイメージが形づくる「うわもの」が、不協和音を奏でていてヘンテコリンな感じがつきまとう。 しかしその中にあってリトルインディアはけっこう好きなエリアである。インド人達の風俗はまだまだ役人のハリボテ的街整備網をつきやぶるほど匂いが強い。中華系と違って民族衣装を身にまとう者も多いし、実際となりにいるとカレーの匂いがすることが多い。また休日や休憩時間などには、木の下に大勢でただボーッと立っていたりして奇妙でおもしろい。ここのインド人は基本的に南インド系で、したがってあたりも柔らかで親しみやすい。はじめてここへ来た時に市場でチキンカレーを注文したら、大勢の男がよってきて「うまいか?」と一緒に喜んでくれる暖かさに満ちていた。「こりゃあインド人は良い人達だ」と今では自分でも笑わされるような印象がインプットされてしまった。 はじめてインド行きの切符を買いに「HIS」を訪ねた時、むさい青年がでてきて私を尋問するように、インドのどこをまわるつもりなのかと問いただしてきた。しょうがないので確実なところでデリーとジャイプルとアグラーは行く予定であると告げた。すると「それはどこも人の悪いところばっかりでお勧めできませんね。私はカルカッタから入るのを勧めます。ベンガル人はみんな人が良いですから」と、聞いてもいないのに自説を強く力説してきた。それもインド初心者のセオリーに反してカルカッタから入れと。何がなんだかとてもショックをうけたのだがその意見は無視することにした。しかし実際行ってみると特にデリーとジャイプルとアグラーでは散々な眼にあった。現地ですれ違う日本人はだれもかれも、「いかにここの人間がひどいか」、「どういう手でだまされたか」苦情とぼやきを吐き出すので、おたがいついつい熱がはいってしまう。大きい荷物を持ってアグラーあたりを歩いていると、まるでヒッチコックの「鳥」についばまれるようにぼろぼろになっていく。 まあとにかくシンガポールのインド人は南部系で、元来が良い上に、ある程度豊かで、余裕もあるのであの「餓鬼」のようなガリガリ、コセコセさはない。みんな紳士に見えてくる。 ある時シンガポール・リトルインディアをあるいていたら突然奇妙な通りに入り込んでしまったことがある。両脇の建物が妙に均質で白々としていて、大勢の人間が歩いているのだがその全てが男で服が白かった。しかも彼らはことごとく、シンガポールで見たことがないほど卑俗な表情をむき出している。まるで集団で何かの暗示にかけられたような異様な景色だった。しばらく人ごみの中を歩いていると大勢の男が群がる一件の家があった。鉄格子がはめられたその部屋の中には、ゴテゴテとサリーを着飾り奇妙にブヨブヨした中年の女性がイスに腰掛けていた。手には孔雀の羽の扇を持っている。群がる男たちはそれを文字どおりよだれを流しながら食い入るように見ていた。この通りはようするに売春街だったのだ。僕はそのぎらついた女性のおぞましさに一瞬頭が白くなった。白ずくめの街の中で彼女達だけが極彩色の色をしているのが印象的で、シンガポールにもこういうところがあるんだなあと思った。いやむしろシンガポールだからこその奇妙なギャップ、強化したおぞましさと集中度があった。なによりも男達の表情の一様な豹変ぶりに驚かされた。もしかするとこの国では欲望までも合理的にコントロールされているのかも知れない。 ところでイラストの象は鼻先でお香をたく壁掛けタイプのものだ。リトルインディアの金物屋(?)で見つけた。鼻先が蓮の花になっていてそこから煙りが出る仕掛けだ。この種の店は何件もあり、御盆、鈴、供物容器、水差し、燭台、壺など様々な物があり、その全てが金色の金物になっている。インド人は金ぴかやキラキラがとても好きみたいで面白い。
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