オリジナル製品について
最近、ちまたにあふれる雑貨、民芸品店の商品の質が落ちてきている様です(特にに輸入雑貨、エスニック系、伝統民芸系)。オープンのはじめは期待しているのですが、しだいに質が低下していくのが常です。だんだん手軽な売れ線のものが増え、掘り出し物が減っていくというだけでなく、同じジャンルの同じ種類のものが、確実に品質を落としています。大量に安易に手を抜いて作らせたものが増えているのか、そういう品ばかり扱い利益を出そうとしているのかわかりませんが、買うものがなくて困る状況です。どんなに盛んに商いを拡大している商店でも、かんじんの扱う品が悪くなっては本末転倒です。店の質、価値とはそこの置いてあるものの質に比例しているはずです。それがどんどん落ちてきていて、これからさらに落ち続けるほかないようなそんな状況です。
その最大の理由は現在我々が直面している、世界のグローバル化、資本主義化、アメリカ化によって良いものが消えていっている、もしくは良いものを造り出す土壌を失いつつあるということでしょう。いまやインドでさえどんどんものが作れなくなってきています(それは単に薄まってモダンになったというのではなく、ちゃんと物が作れなくなった、色がぬれなくなった、模様が書けなくなった、顔が書けなくなったというレベルのことです)。現地で小規模に作られてきた珍しいものを見つけてきて日本で売りさばくという行為は、当然良い面と悪い面があり、場合によっては現地の作り手の精神性まで侵食してしまいます。いずれにせよ物的資源、人的資源はすぐに底をついて、レベルが下がりすぎてほとんど別物になっていきます。また現地のものづくりと共同で新商品を開発する活動もさかんに行われて来ましたが、衰退していく現地の手工業を新たに盛り上げた半面、資本主義的製造管理のもと加速度的にものづくりのエッセンスを変質、低下させてしまったように思えます。おそらく前近代的な土壌と現代的なノウハウ、センスが結びついていままでにない新たな製品を造り出した蜜月時代は終末にいたっていると、それら製品自体の現在の質を見た時に思わざるをえないのです(もちろん現代の日本で広く売れるということと、質が良いということはなかなかつながりません)。現在のいわゆる「エスニック系」雑貨は限界に来ていると感じています。
品の質、健全さを維持するにはやはりどこかで本質的な意味での創造的な要素が必要であると痛感しています。ただ外からもらって来て珍しいものを楽しむだけでなく、自分達でも刺激されながら自らを掘り下げて物を造り出す、またはこちら側と共同で何かを作る。そのような深いところでの相互作用が重要であるように思えます。共同作業、相互作用の意味をいままでとちがった次元で考え直さなければいけない時期にきているのではと思います(いままでの共同作業のやりかたでは、多くの場合損得勘定レベルの悪影響に留まらざるをえません)。
青亀堂のオリジナル製品の開発と販売は、そういうささやかな現代への新たな挑戦でもあるのです。自分達の風土から自分達が造り出したものを自分達が育み生活を深めていく、そのような普通のことがまた日本でできるようにならないものかと願っています。