福住廉(美術評論家)/青野文昭(作家)トークイベント・(司会 ギャラリィK 宇留野隆雄

2013年10月15日

 

宇留野

 今日は青野文昭展のトークイベントにいらしてくださいましてありがとうございます。これから始めさせていただきます。最初に簡単ですがお二人の紹介をさせていただきます。
 青野さんは1968年生まれで、仙台市出身、美術の活動としては、今回展示されているような作品の手法を、生かしてずうっと作られてきた方で、いろんな美術館の企画展に招待されていますが、今年のあいちトリエンナーレにも選ばれて今出品されています。

 今日はゲストに美術評論家の福住廉さんにいらしていただいています。
 福住さんは1975年生まれでいらっしゃいまして、大学では比較文化の御専門です。美術の方でも今美術批評家として大変活躍されていまして、こちらに福住さんの主著『今日に限界芸術』という本がありまして、こちらに詳しく福住さんの美術に関する考えが書いてあります。「限界芸術」という言葉をキーワードに使われておりまして、ご自分でも展覧会をたくさん企画されています。以前はギャラリーマキさんの方で「限界芸術」の企画シリーズを続けられまして、今は越後妻有アートトリエンナーレの会場にもなりました、「まつだい農舞台」というギャラリーで、「里山の限界芸術」というシリーズを企画されて展覧会を開催中です。そういう活動をされている方です。

ちょっと拙い紹介で恐縮ですが早速トークに入らせていただきます。
 まず最初に福住さんから今回の青野さんの作品をご覧なった感想、御意見をお伺いできればと思います。


 
福住

 青野さんの作品は、今回が最初ではなくて、「あいちトリエンナーレ」の方で今出品されているのを先に見たんですけど。ご覧なった方はお分かりになると思うんですけれども、「あいちトリエンナーレ」の方はわりと、いろんな器物とか物を融合させたような作品で、こちら(ギャラリィK)はそういった物とは対照的に、床面と座卓とかをかけ合わせたようなシリーズになっていて。まあちょっと作品を見た時のニュアンスというか印象がかなり異なってるんですけれども。

というのは「あいちトリエンナーレ」の方はわりと融合と言いますかかけ合わせの度合いが大きくて、まあコラージュでいう「異化」っていう言葉がありますけれども、、なんか、「ショック」−これとそれが一緒になっちゃんったんだというショックが凄く大きかったんですね。一番目立つのは軽トラックの頭と箪笥を無理やりくっつけて一つのものにしたのとか。それから、長い船をテーブルと一緒にしたものとか。出来上がったもののインパクトというのは、これとそれを一緒にしちゃったんだという意外性というところでは、凄く大きなショックを受る作品だと思いました。

こちら(ギャラリィK)は、ほぼ同じテーブルとか座卓というものと床面をかけ合わせたという意味で言うと、「あいちトリエンナーレ」の方とはまたちょっと違った感じに受けました。
 まあ床面は、これはあれですよね、やっぱり東日本大震災が大きく関わっていて、、。
 建物は壊滅してしまったけれども、残されていたのは、その家の中にあった床面が剥き出しになって残されていて。それをテーブルとか座卓にかけ合わせて融合したっていう作品だと思いますけど。
 どうしたってまあ、「あいちトリエンナーレ」の方が東日本大震災を連想させないという意味ではないんですけれども、こちらの方がより直接的にダイレクトに、静かな衝撃が伝わって来るという、、、。

まあ大きく言うと、「あいちトリエンナーレ」が「動」・ダイナミックなショックだとすると、こちらの方な「静」・静かなショックが伝わって来るという対比の関係としてとらえられるかなあと思います。それが第一ですね。

 ただ、東日本大震災っていう、、多くのアーティストが今それをテーマに格闘して表現しようともがいていますけども、、、青野さんの作品のやっぱり凄いところ、、凄いところというよりは特徴的なのは、東日本大震災をきっかけにこういう作品をつくり出したわけで全然なくて、もっとはるか前から、15年前からですか?20年ぐらい前からですか?こういうシリーズをやっていて、奇しくも時代の方が追いついてしまったというんですかね。
 奇妙なシンクロをしてしまったということで、こういう見え方をしてくるのかもしれませんけれども。まあ、「修復する」とか「なおす」ということをはるか前から震災前からやってきたことの意義って言うのは、やっぱり強調するべきなんじゃないかなあと思います。

 青野さんの作品を時系列に振り返ってみるとかなり変遷があって、平面的なものだったりとか立体的なものになったりとか、いろいろあるんですけど。
 当初は「なおす」とか「修復する」とかという言葉を使っていたけれども、ある時期からあまり使いたくなくなってきたということを何処かで拝見したんですけども、、、それは後で御本人からお聞きしますけれども。

 僕の受け取り方からしますと、それはもののもとの姿に修復するとかもとの姿に回復させるという意味から、もっと違ったところに自分の作品を持って行きたかったんじゃないかと。今回の「あいちトリエンナーレ」もそうですけど、見て解かる様にけっしてもとの姿にもどしたわけではなくて、それはやっぱりある時期から何かと何かを融合させたりかけ合わせたりして、ぜんぜんもとの姿とはかけ離れているんだけれども、あたかもそれはもとの姿であるかのように見えてしまうというところに、自分の作品を持って行っているんじゃないかと僕は思ったんですけども。
 それは言葉を変えて言うと、何かあるべき姿を再現して、100パーセントものの姿をリアルに再現するということから、それだけじゃなくて、もっと自分の表現みたいなものに深く足を突っ込んで行ってるんじゃないか。つまり何か再現するもとの姿にもどすと言うのは、何か穴が開いた空虚を埋めあわせる様に埋め合わせるようなかたちで、100%もとの姿を完成させるというところが大きいんじゃないかと思うんですけども、、、そうではなくて穴を埋めるんだけれども、埋め合わせた穴から、もっとその自分の表現みたいなものを盛り上げてしまう。その分なんかちょっと奇妙なものだったり、もとの姿からはみ出てしまうような造形に向かってるんじゃないかなあと思ったんですけども。

 今回の作品もよく見てみるとテーブルだとか座卓だとか僕らが知っているもののイメージに沿っている、合ってるんですけども、よく見てみると何処から何処までが修繕した部分でもとの部分なのかわかりにくい。どっちがどっちで、どこからどこまでが青野さんの手が入ったのかというところがわかりにくい。まあ、あえてあいまいにしているんだと思いますが。それはオリジナルとコピーの問題にそのままスライドさせて言ことができるかもしれないけれども。その、、何かもとの姿を完全な姿に回復させてしまうということではなくて、回復するものと回復されるもの間をぐちゃぐちゃにして溶け合わせてしまう様なものとして、今最終的な形が出てきているように思えるんですよね。
 それが凄く面白いなあと思って、だから修復するとか取り戻すとかというレベルを超えてしまって、やっぱりこれはどう考えてもどっからどうみても青野さんの表現以外の何ものでもないというところに出るんですよね。
 そこが、おそらく僕が受け取った印象ですけども、修復するとかもとの姿にもどすという言葉を使いたくなくなった先に、出てきた造形がこういうものとして生まれてきている様に思いました。
 なにかこう空気を埋め合わせる様なものではなくて、そこから溢れ出てしまう様な過剰な表現が今の青野さんの特徴だとするならば、僕が気になるのはその過剰な部分というものがどういうものなのか、それはその青野さんの内面から出てくるものなのか、あるいは拾った物と出会った時に、そこから触発されて出てくるものなのか。後でお聞きしたいと思うんですけども。

これは僕の想像ですけど、なんか二つちょっと思いついたことがあるんですね。

 この過剰さというものが何かに似ていないかなあと思った時に、さっき宇留野さんからご紹介していただきましたけども、今僕は新潟県で仕事で何度も通っていて、その新潟県で何人かのちょっと変わったお爺ちゃん達と一緒に仕事しようとしているんですね。

いろんなおじいちゃん、おばあちゃんがいっぱいいるんですけども、、。
 一人面白いおじいちゃんがいて、「雪割草」という文字通り雪を割って出てくる植物、花があるんですけども。それは3月の雪解けの時に一番最初に出てくる植物、花に「雪割草」というのがあるらしいんですけども、それが出てきたらまあ、雪溶けが始まりか、「もう春だねえ」という合図というか記号になってるんですけども、、、。その雪割草を自分の家に持って帰ってきて、それをまあ育てるんですけども、その育てる過程で、そのお爺ちゃん何をやってるかというと、交配させちゃうんですよ。いろんな雪割草を集めてきて、、つまり異種交配、、で自然に無い雪割草を人工的につくって、これまでに無い、ぜんぜん無かった色の花を咲かせたりとか、形を変えちゃうとか、というように異種交配、異種交配、、、を繰り返して行って、、ぜんぜん自然に無い雪割草みたいなものをあえて自分でつくっちゃう。自分の家の庭のガレージを改築して、雪割草コレクションみたいのを「があーっ」とつくっちゃってる変なおじいちゃんなんです。
 これはちょっときてるなあというか(笑い)、、、アートだなあと思って凄く面白い、注目していてなにかやりたいなあと思ってるんですけれども、、。それを思い出したんです。

 つまり青野さんが、廃物とか打ち捨てられたものとか震災で壊れてしまった物とかと出会って、そこから違う造形を組み立てて行く技術というのは、もしかすると雪割草のお爺ちゃんがやってる様な、全然違ったものをかけ合わせて、第3のものをつくり出してしまう様なそういう身振り、手技と近いんじゃないかと思ったんです。これは間違ってるかもしれない。で、それが一つ。

 それでもうひとつは、「つくも神」(九十九神/付喪神)というのがありますね。
 日本の民家の中で長く使われてきた道具とか器物に、神様が宿ってるんじゃないかというふうに考える。まあ民間信仰、民俗学でよく研究されている様な考え方ですけれども。まあ「つくも神」という考え方があって、それを広い意味で言うと、アニミズムの考えに近いのかもしれない、、、自然のままの姿の中に神様が宿っている。それと同じように人間の使う器物とか道具の中にも神様が宿っていると考える。だからまあ大切にして使おうと考える。使えなくなって壊れてしまったら神様を祭る様に大切に葬ろうとする。むげに道具を変えたりとかというんじゃなくて、、、まあそれも一つの神様としてみなすような考え方ですね。

それは、例えば今年の夏っていうのはどういうわけか妖怪の展覧会が全国でいくつかあったんですけれども。妖怪の展覧会の中にも「つくも神」っていうのがいくつか出てきていて。一番有名なのが水木しげるですよね。今みなさんよく知っている、まあ妖怪のイメージって言えば水木しげるが描いている妖怪のイメージなんですけども。水木しげるが描いている妖怪のイメージっていうのは実は元ネタがあって、あれは鳥山石燕という江戸時代の、、なんていうんでしょう、、妖怪研究家、画家、、、、鳥山石燕が、当時の妖怪っていうものをまとめて、イメージ化にして絵に描いてるんです。
 そこで、鳥山石燕も「つくも神」というものを非常に沢山描いていて。「しゃもじ」とか「おひつ」とか、当時の江戸時代の暮らしの中で使われていた道具を妖怪として描くわけです。妖怪っていうのは、水木しげるも鳥山石燕もそうなんですけども、非日常的な、人間の世界には無い様なものを、まあ擬人化して描く文化、技術ですよね。
 それが妖怪の系譜とすれば、もしかしたらこれは極論というか暴論かもしれませんが、青野さんのやっている、ものとものをかけ合わせて違うものをつくってしまうというのは、ある種の霊性と神様の様な気配というものを感じ取りつつ、しかし妖怪とは違った形で、もの姿を造形化してるんじゃないか。
 つまり妖怪というものが擬人化しているとすれば、青野さんの場合は擬人化ということを取らずに、ものをものとして造形化しつつ、でも同時にそこに妖怪の持っていたはずの恐れとか楽しみとか、まあ広い意味での神様の気配の様なものを造形化してるんじゃないかなあと思ったんです。

 それはまあ僕の二つの仮説です。
 ひとつは雪割草をかけ合わせているお爺ちゃんの様に何か神様の様な視点で、ものとものをかけ合わせている。自分が、俺が神だという視点で世界をつくるわけですよね(笑い)。だってこれまでにない花の色とか形を作くっちゃうんですから、、。
 でも「つくも神」とか民俗学的な世界だとすると、むしろ自分が神というわけではなくて、何かものの方に神が感じられるっていうわけですよね。
 ぜんぜん立場が違っていて、自分が神になるか、自分以外の存在に対して神の存在を感じるかどうか、というそういう違いがあるんですけども。
 僕はどっちかって言ったら後者なんじゃないかと思うんですけど、これは御本人に聞いてみないと解からないところですけど、自分は作品を見たかぎりで言うとそんな感じがしました。というわけで大きく分けて二つなんですけども。

 

宇留野

凄く最初っからいきなり核心に入ってきたように思います。非常にワクワクする話です。今の福住さんの仮説に対して青野さんはどうですか?

 

青野

今日はどうもありがとうございました(笑い)。
 とてもうれしくもあり、啓発されるお話しでした。
 最後のところはなかなか作家からは言いにくい所でして、、シュールレアリスムっぽいっとかすぐ言われちゃいそうになったりするように思いますし、、言い方を考えないといけないもので。なかなか世代的にも(笑い)ストレートにそっちの方に行けないのですが。使っているのは全て日常品ではありますが、理想は確かにそのへんにあるのかもしれません。

それで「かけ合わせ」なんですけどもね、、。
 2006年ごろから「合体」・「代用」ということで、まあ「なおす」ということのながれでそういう方向に、、まあ同時進行なんですけども、なってきたわけです。
 「あいちトリエンナーレ」の解説では、コレコレこういうなおし方をする作家である、、という感じで紹介していただいているのですが、まあ、、それはあくまでも今現在の一部でして。15年位前にはそっくりになおすこともやっていまして、まあそれは何回かやればいいかなということで、、、。そのつど、一応いろんななおし方をやってはいて、2006年ぐらいから代用品で、実際は身のまわりの「てきとうな」なおし方などを観察するにおよび、有り合わせのもので修繕したりという、、そういうのをあらためて考える様になりました。

 よく考えますと、普通に「なおす」場合にしても、ベニヤでなおしたり石膏でなおしたり、まあ身のまわりの手に入る材料と技術でなおしていたんですが、結局それも代用素材なわけですよね。
 それでよく考えて行くと、普通に「造形」というか、ものを「つくる」場合でも、木とか石とか粘土とか顔料という様な、代用品としての材料を使って「神様」をつくるとか、、、まあ代用品を超えるものをつくろうとするというか、、。
 だから変なことをやっているつもりではなく、その、、そういう原始的なものづくりの本性を踏まえようということですかね。なおす過程でそれが見えてきて、まあ代用品と言っても、身のまわりのもの・生活用品を使うようになったんですよね。
 それで大きいものをなおす時に、身のまわりに適当な大きい代用品が無いので、箪笥をいくつも並べる様になったわけです。それがまあ自分の目印としてタイトルを付けているわけですが、「連置」―つまり連続で置くっていうタイトルがついているわけですが、、。
 ちょうどそういうのをやっていたときに東日本大震災があったわけなんですが、そのまま「トラック」とか「船」とかの復元に、その流れで取り組むことになりまして、単体を代用素材にしているわけではなくて、より大っきいものを伸ばすという感じで。
 わりとそれが身のまわりのものを使うことによって、何となく、震災後意味が出てきた様な気がしていまして、、、自分としましては震災後しっくりくるタイプの作品がああいう代用品を使った作品なわけです。
 身のまわりの代用品を通すことによって、震災で拾ってきたものを、やっぱり自分の身に引き寄せて見てみるというか、経験するみたいなところがありまして。

あとそうですね、、破損した穴を埋め合わせるというのではなく、膨らんでくるという感じと言うことですが、、。
 もともと普通の修復、、「普通」って言うのも変なんですが、、。自分のもともとやっていた修復っていうのは、拾った状態を最大限生かすというか、拾った欠片がなるべく引き立つ様にというのを心がけていまして。歪んでたり傷がついていたりすると、それにも反応しまして、歪みをなおすということではなくてその歪みをそのまま延長して行くというか、、。それをふくめて「修復」、、、「修復」ってことばが、、どうかっていうか、ちょっとなんなんですが。まあそういう感じなので、トラックなんかは歪んだ流れが続いて行く様にするという感じで、結果的にそれが震災のものを使った場合、震災の爪痕が増幅して浮かび上がって来るような、修復しちゃうとそれを消しちゃうこともできるんですが、むしろそのものに基づくことで、ものに刻まれたことが浮上するっていうか、、まあそういうなおし方なのかなあと思っています。
 普段ですとものの持っている時代性とか記憶とか、作家があまりコントロールできない部分が浮上してくる可能性があるわけですが、震災のものだとやはり震災の出来事が自動的に浮上してくるんだと思います。

 「かけ合わせる」相性なんですけども、一応基本的には「修復」の一環として「代用物」を他から持ってくる行程で、「かけ合わせ」ということが生じてくるわけですが、相性が確かに「これは?、、」っていうのもありまして、その、、組み合わせを見極める行程が一番疲れるというか時間がかかるわけです。
 まあ自分のバロメーターとしては、別なものを通すことによって、かえってその拾った物の個性がより鮮明に出てくると言いますか。ちょっと違うものになるかもしれないんですが、そういう「素養」があったっていうか、そういうもともと持っていた素養が、かけ合わせるものによって隠れてしまったり、際だって見えてきたりするんですけども。それでとにかく、ものが主役になる様にという感じで、だいたいうまくいかない時は自分の思惑がすごく強い時とかでして、、。そういうわけでとても参考になるお話を伺いました。

 

福住

物と物のかけ合わせで増幅させるという話がありましたが、ちょっとお聞きしたいことがあるんです。僕は青野さんの作品はすごく面白いと思うんですけど、見る人によっては、なんて言うんでしょうかね、ちょっと「悪乗りしすぎじゃないか」という反応もなくはないように思います。ようするに船にテーブルを付けちゃったりとか、トラックにタンスを付けちゃったりとか、震災という大きな物語があるとはいえ、過剰な付け足しがあまりにも度を越しているように受け取られてしまいかねない。そのあたりはご自分でどのようにお考えですか。

 

青野

 そうですね。荒唐無稽とか言われる時もありまして、、、。
 まあ最初は必要条件から、代用品として使えそうなものを探した時に、タンスとか机とかテーブル、、本もなんですけども四角い加工できる素材が選ばれざるを得ないというか、そういうものしか見つからなかったっていうことがまずあるんですよね。
 あとは結果的にどうなるというのは自分でもやってみないとわからないところなんですが、、、だからまだ自分でもコントロールつかない感じで、まあやってみて判断するしかない感じでしょうか。  
 ただ代用品の方が主役になってしまうようなもの、スタイリッシュな家具とか凄い奇異なデザインのものですと、作品表現の一部に見えてしまうので使えないなあというのはあって、一応自分の家の水準―使ってそうな、、見慣れた水準のものを選びつつ、、、一応その、、気は使ってはいるんですね(笑い)。

 

宇留野

さきほど青野さんが言われたように、そもそも美術作品を作るというのは、そもそも代用品を使って、何か今まで無かったものをつくるっていうことだって言われたことと、代用品にふさわしいテーブルを探すとかタンスを探すということは、凄くなんか近いなあという気がしてきてすごく面白いなあと思ったんですけども。あくまでそれは主役ではなくて、最初にあったものを生かすための、、絵の具でも使いやすいものと使いにくいものがあると思うんですけども、代用品になりうるものっていうのは、なんて言うんですかねえ、、気立ての良いものっていうか、ちゃんと受け入れてくれるものっていうか。今回の作品だったら、被災した床っていうものを、ちゃんと受け入れて自らまとっていけるなんかこう、、やさしいものっていうか、、なんかそういうものに思えてきました。

 

青野

たぶん普通は代用品なんだけども見えなくするわけですよね。
 完成の仕上げとして。ある種必要な程度素材として生かすということはあるかもしれませんが。
 材料として使っておきながら、その存在を見えなくするという本質がまずあるということで。それで自分の場合、もともとそういう材料で使っているのが分かんなきゃいけないというのがあるんですね。何を使っているのか、、それが、そのものに成り代わりきれないで、別々なまま、同時にひとつのものになっているという状態というんですかね。それがやはり、当初の「復元」とかというものから関心が少し変わってきたところかもしれません。つながっているとは思うんですけども。

 

宇留野

先ほどの青野さんのはお話の中で、うまく行かない時っていうのは、自分の造形の意図的なものが出すぎちゃって、ものが死んじゃうっていうか、そういうふうなことを言われたと思うんですけども。それでちょっと少し美術史的なことにちょっと強引かもしれませんが関連させて考えてみたいんですけども。いろいろ以前に青野さんとお話させていただいた中で、「もの派」というのを大変重視されているように感じたのですけども、その辺のお話を御聞きできたらと思いますが。

 

青野

えーと、、まあ先生(高山登)が「もの派」だったっていうのがあるんですけども(笑い)、、、最初から選んでそうなったわけではないんですけども。それと教育系だったので制作と卒論と両方やらなきゃいけなくなって、それでなんか「物質性について」みたいなテーマでやることになりまして、色々と昔の資料を見ていたところ、「もの派」というのが面白く感じまして、、。
てっ言ってもどっちかっていうと「李+多摩美系」って方を主に調べたわけですけども(笑い)。それで当時(60年代末〜70年代前半)の問題意識っていうのをかってに自分の中で引きずり、根付いちゃっているところがありますね。ものを単なる素材として扱えないというとことか、、でもその後の流れが途絶えがちといいますか、その後の流れが全然違ってきてしまっているっていう感じで。
 ただ、やはり、ものを扱うという意識がまずあって、ものとどうかかわるか、、それでほとんどなんか決まってくるところがあると言いますか。ところがただ今そういうのが問題にされることが少なくなっているのかなあという、、、、。

 

福住

今のお話だと、青野さんの作品のつくり方には、もの派の考え方が今も残っているということですか。

 

青野

そうですね。「美術」(現代美術)というものに一応踏み込んだ出だしは、確かにそのへんのところがあったように思います。

 

福住

僕はもちろん「もの派」を同時代で見ていないし、後から振り返って知っただけですが、僕の理解では、青野さんの作品はもの派の作品とか思想とちょっと離れていたんです。だから今のお話を聞いてちょっと意外でした。
 なんでかというと、もの派系の作品でいう「もの」って、まず物質とか物体じゃないですか。それらを特に加工することなく、つまり造形化することなく、木とか石とか枕木とか炭みたいなもの会場の中にそのままドンとおいて、それだけって言うと失礼かもしれませんが、ようするにそういうものですよね。そういう手わざや主観性をなるべく排除する考え方は、今も現代美術の中にかなり根強く残っていますが、僕自身は正直に言って苦手なほうです。「もっとはっきり前に出て主張しろよ」とか「造形で勝負してみろよ」って思うたちなんです(笑)。

 僕が青野さんの作品を見て面白いと思うのは、修復とか修繕という言葉があったように、なんか職人ぽいなあと思ったんですよね。それは、壊れたものをなおすっていう、ひじょうにシンプルな意味で、職人だと思ったんです。でもその職人っぽいところが、さっきも言ったように、だんだん脇道にそれていくっていうか、人生の道を踏み外していくというか(笑)、なんかどんどん違った方にズレて行ってしまって、それが「融合」とか違った方向に発展して行ったんじゃないかなと思うんです。
 職人というのは、近代的な芸術観から言うと、アーティストとは違ったものとして区別されますよね。近代に入る前は美術家はもちろん美術という概念すらなかったわけですから、職人と芸術家を分ける考え方もなかった。だから職人が作り出したものに、僕らが今日感じるような美しさとか崇高とかバカバカしさを当時の人たちは感じていたはずだと思うんです。そういう芸術家と職人が分けられていない状態は、二つの物がかけ合わされた青野さんの作品のありようと、明らかに重なり合っている。そこが面白いんです。
 さっき言ったもの派とか、80年代のポストモダニズムとか、最近の関係性の美学とか、いろいろ新しい動きがありましたが、それらは近代的な表現概念に変わりうる新たな芸術として宣伝され、また実際にそのようになることを目指していたわけです。ところが、それらのいずれもが見ていなかったものが、ひとつある。それは、「江戸」です。

北澤憲昭さんの研究が明らかにしたように、「美術」は明治時代にドイツから輸入された翻訳語でした。近代化の過程で「美術」や「表現」が社会制度のなかに定着していくわけですが、そうやってみんなで目指していたはずの「近代」の綻びが現れてきたのが、もの派が登場した60年代後半から70年代でした。80年代のポストモダニズムも、基本的には近代の矛盾や限界をなんとかするための思想だったと考えていいと思います。ただ、近代の問題点を反省して考え直そうとしたのに、みんな近代のレールの延長線上で考えていた。逆に言えば、近代の前を振り返ることを避けてきた。
 だからスーパーフラットだとかマイクロポップだとか、いろんな新しい動きは生みだされてきたけど、結果として何が残されたのかというと、新たな残骸でしかない。でも、もうこれ以上近代のフレームの乗っかったうえで、次はこれが来るんじゃないかとか、ヨーロッパではあそこが熱いなんて言っても、しょうがないと思うんです。カタカナでナントカアートって言ったって、それがどーしたってことでしょう(笑)。別の言葉で言えば、大量生産と大量消費と大量廃棄のモデルを高速で回転させることで社会を前進させる時代をこのまま延長させても、先が見えている。原発事故の問題はその典型です。じゃあ何が必要かというと、近代の底に降り立って、根本的に考え直すことしかない。美術で言えば、美術が始まる前に立ち返って、物を作ることとか、美しく感じることとか、人が生きることと造形の関わり合いとかを考えたい。前近代とかいうと、封建的でよろしくないとか、土着的なだけでなんの取り柄もないなんて言われがちですが、本当にそうなのか疑問です。そうやって色眼鏡で判断してきたからこそ、ことの本質を見誤って、こんなことになってしまったんじゃないか。

青野さんの作品に戻ると、さっきも言ったように、なんか職人っぽいところもあるし芸術家っぽいところもある。その二つの要素が作品の中でせめぎ合っていて、たまに職人の要素が勝っちゃったりとか、芸術家の要素が強く出すぎちゃったりとかいろいろな動きがある。そういう振れ幅のあるものとして青野さんの作品を考えてみると、青野さん自身はもの派の影響があったというけれども、僕から見るともの派ということにこだわらず、もっと日本の近代の美術の歴史をつらぬく、美術より前の方に振り返るための糸口としての意味があるんじゃないかなと思います。

 

宇留野

それはさきほど福住さんが言われた、雪割草の交配をしているおじいさんとか、まあ妖怪とか、、そういうものを連想するというか、そういうものを見出すというか、そこにつながってくるという。


福住

そうですね。だからといって青野さんの考え方を否定しているわけではなくて、あくまでも批評というか、受け取る側の意味の問題で言ってるんです。つまり作家の作ったものをどう受け取るかはこちらの責任じゃないですか。だから受け取る側の意味をどのように組み立てることができるかなということを考えたときに、たとえば震災で傷つけられた傷を癒すとかと、そういう表面的なことだけではなくて、もっと根本的に、日本の美術全体を貫く歴史の中に青野さんを位置付けることによって、近代の前の美術が生まれるところに僕たちの意識をもってくるような作品として、考えることができるんじゃないか。そのように僕は青野さんの作品を受け取ったということです。

 

青野

ありがとうございます。そう言っていただけてとても嬉しいです。



終了(*その後の質疑応答部分は割愛させていただきます)。