「不足」からの生成行為 /青野文昭

 

 今日「無縁―有縁」という視点で語られる青野文昭の作品は、かつては「なおす」あるいは「修復」という視点で作者自身は説明していた。*「修復」は、その名が示すように、破壊されたものを元の状態に戻すという自然の循環のなかで行われる行為である。

 青野文昭の「不足」にみられる「修復」「なおす」行為は、これらの行為自体が「コミュニケーション」という「循環性」を顕在化する働きを持つ。最近の「無縁―有縁」という視点は「コミュニケーション」行為そのものを具現化した作品になりはじめている。つまり従来では、作品は明らかに人工的な原型の形に「修復」されていたのだが、「無縁―有縁」では、原型の近似値として「なおす」を試みることで、止めている。否、止めているという表現よりは、「現物と融合する意思」を表現しだしたのである。完全な「修復」を拒否した故に「無縁―有縁」の「コミュニケーション」行為は行き来の自由な出入りが付加されたといってよいであろう。

 

労働と崇高展2000カタログ抜粋