この仕事には、この空間に対する対応の仕方にある種の戸惑いがあったのは事実で、やはりどこかに持て余したところが感じられた。物があるいは場所が記憶している時間のシーンというものが、微妙な感受性によって再度視覚的な形にされている作品であるが、そういう手続きは現代美術のもっとも要求されているひとつである。未来について考えるサイエンスが、芸術と自分たちとの間にある空白、あるいはしっくりとこない断絶、摩擦なりが生じたときに、それを上手に関連性をより柔らかく結びつける、それが文化や芸術といった物の領域にある物で、しばしば過去の問題点がそこに加わって来るというのは、記憶の装置としての彫刻というか芸術の持っている特質がそこに介在するからである。そういう意味で、青野さんの仕事はその萌しを感じさせるとても良い作品になっていると思う。

 (表彰式講評要約)記録集掲載文



 この仕事は、青野さんの仕事として必ずしも成功していないと思います。高橋さんと同じように、この空間に対する対応の仕方にある種の戸惑いがあったのは事実で、やはりどこかに持て余したところが感じられる。
 ただ、私が敬愛を持って眺めているアーティストで、現代美術の日本のアーティストだけど、川俣正という人がいるんだけど、川俣正というのは、何かきれいきれいにものをまとめるという力は十分にありながら、意識的にそっけない方向に自分の仕事を捻じ曲げていくというか、そこまで言わなくても、微妙な情緒的な感情というものをできるだけ削いだ仕事をしている。できるだけ存在感と化あるいは物質そのものの持っている性質というものを直に伝わらせるという仕事をする人なんだけど、少し青野さんの場合、やはりどっか微妙にニュアンスが漂ってしまう。これは、あなたの持っている特質だから、それを上手にむしろ殺さないでですね、あなたの持っている微妙な意識の流れみたいなものを、今度は時間の層と関連させながら深めていく方向にむしろ仕事が展開されていくのではないかというふうに予感しているわけですけど、今回評価した部分というのは、なにか頼りない、それでいながら気張っていない、ガキっぽいふてくされたみたいな、非常に表現されていて、でいながらどこかに、これはおそらくあなたのもっともよい資質の一つだと思うんだけど、なんか見る人を、人間を拒絶しない、ということは、ふてくされてガキっぽいところを見せていながら、決してわがまま居士ではないという、ある種の優しさというものが根底にあって仕事をしているんだと思うんですね。おそらく50年前の、50年前とは言わない、いや僕たちよりかなり年取った美術の批評家であれば、大河内俊みたいなことを言ったりするんじゃないかと思うんだど、私の場合はそういうふうなことではなく、物があるいは場所が記憶している時間のシーンというものを、あなたの微妙な感受性によって、再度視覚的な形にされてくるという、ですからそういう手続きがやはり現代美術の今、もっとも要求されている一つなので、僕たちはどちらかと言うと前の方に向く傾向が非常に強いです。これは一種のこういう文化文明の持っている避けることのできない一つの方向なんですけど、アートっていうか芸術というのは未来について考えることも必要だけれども、未来について考えることではないんですよね。それは科学なんで、むしろそういう未来にについて考えるサイエンスっていうものが、摩擦なりが、芸術の自分たちとの間にある何か空白なりあるいはしっくりとこない断絶というか、摩擦なりが生じたときにそれを上手に関連性をより柔らかく結びつける、それが文化や芸術といった物の領域にあるものなので、しばしば過去の問題点がそこに加わって来るというのは、今言ったように記憶の装置としての彫刻という芸術の持っている特質がそこに介在するからなので、そういう意味で、青野さんの仕事は、まだこれからいろいろと展開し、充実した物へなっていくんでしょうけども、萌しを何か感じさせる、とてもよい作品になっているうではないかと思います。


 (表彰式講評)