【 現 実 と 本 当 の 現 実 】

  現実を復元する時、問題になるのは、何が現実であるのか?ということである。
復元の しかたで現実がかわる。つまり現実は見方、とらえかたでいくとおりもの姿をあらわす。 復元することは、現実をとらえかえすことでありつつ、現実が決まりきったことではなく、 常に恣意的で、流動的なものであることをも同時に見せてくれる。現実、現実と言ってい るが、本当の「現実」というのは、現実をとりまくかかわり合いの方なのだと思えてくる。
 あることがら(現実)に対し、人がどのように関わり解釈し、そのことがら(現実)が どのように変質して、どのように保存されるのか、そのような〈あることがら(現実)〉 を取り巻く人や、自然、時間の〈かかわりあい〉こそが、本当の「現実」であり、現実を 「現実」らしくしているところのものだ。そのような〈あることがら(現実)〉を背後で 成立させ、支える構造こそが、問題にされなければならない。そのような時〈あることが ら(現実)〉とは、背後の構造-本当の「現実」を浮かびあがらせる一つのきっかけ-う つし世ととらえられる。私にとって、偶然拾ってくる〈あることがら(現実)〉-断片と は、そのようなものであり、それ自体は見ることのできない背後の構造を浮かび上がらせ る一つの例えにすぎない。