「美術」そのものを対象として、その外へ出ようとする者は「何もない」おのれと、 その生活を表現の自立点としながら、ある種の貧困さをかかえこまざるをえない。また はなおも既成の美術形式を流用せざるおえないことにより、多くの場合、アイロニカル なものにならざるをえない。
   モダニズムの探求は、一つに未知の開かれた表現形式自体の探求であったはずだが、 その探求の道程に入りようのない性質の表現原理を、美術とは縁のないところから、美 術とは別に示す必要がある。 それは、美術の模倣でも、アイロニカルなものでも、貧 困なものでも、荒唐無稽なものでもない。一つの大切な何かであるべきだと思っている。 美術はないが全てが満ちている、という生理的直感を大切にしたい。
 私の作品は、ひろった物を出発点としているので、いろいろな形態をしているが、そ れはたとえにすぎない。しかしそれは単なるたとえではなく、各々の存在の固有性に成 就されていくことによって、はじめてたとえとなりえる。それらは、どこにでもあるよ うで、そのものでしかないものとなる。  そのようなことをとおして自分が見たいことは、つくるといういとなみ自体にもっと も極限化されたかたちで宿され続けている、「ヒト」そのもののナゾではないかと思っ ている。                                                                  平成11.12.2のメモより