路上・修復・ライブbP(2009〜2010)




 身のまわりの破損、欠損部分の修復を実際に行い、それを記録公開する試み。

 修復個所は身のまわりの様々な場所から任意に選ばれる。

 特に役所や土地所有者などへ許可を取ることなく、プライベートにはじめられそのまま放置される。

 その後も修復跡は、その経過を継続的に記録されていく。




  誰にも気付かれることなく、「私」とその所作が「公」に刻印され永続化される。
 あるいは「公」の「継続」に「私」が参与していく。
 日常風景に擬態しながら、「私」が織り込まれ、少しずつこの「世界」に振動を与えていく。





 これまで自分は、美術のコンテクストへ、日常行為としての「修復・なおす」いとなみを対置させようとしてきた。
 今回の試みでは、「修復・なおす」を本来の日常的コンテクストにもどしながら、あらためてその行為を見つめてみようとしている。

 それは、通常の「修復」を通常のコンテクストで通常通り行なうことを意味している。

 「美術」、「作者」、「制作」、「作品」、「展示・発表」という性質と比べてみたときに、その違いはあきらかである(通常の修復作業が美術と違うのはあたりまえの話だが)。
 ひとたび出来上がれば永続、「棚上げ」される美術作品。永続されようとしても「棚上げ」されないので、つねに破壊にさらされ修復され続ける実際世界の「事物」とその「修復」跡。「修復」跡とは、永続されんがために施され刻印される「差異」そのものである。「展示・発表」とは無関係に、建築物や公共物、公共彫刻の様に、たえず特定の場所に固定され、不特定多数の人目にさらされ続ける「修復」跡。それはある意味で、美術とは異なる「公共性」を備えているとも言える。言ってみれば「公共」に寄生した「私」の影のようなものかもしれない。

 そこで浮上してくる問題は、「公」に対する「私」という個人的な存在。つまりその意思、その選択、その作業技術、、、の恣意性、固有性であろうか。

 道路や路肩、手すり、壁、塀、、、はこの世界そのものの一部であると同時に、その世界を形成、組織する目に見える物理的な「枠」そのものである。そのような物理的な「枠」は絶えず自然の力・風化やアクシデントにより浸食を受けており、同時にそれは強力な「制度」の意志によって、つねに修復、維持、存続されてきている。
 基本的にこの永続し続けるための永続するメンテナンス業務では、「制度」を管理しようとしている「公」によって厳正に施され続けている。修復作業の優先順位、修復されるものの外観、作業工程、作業者資格、材料、、、、全て法的に規定されている。
 今回の自分の「プライベートな修復」では、一見すると、そのような「制度」側のメンテナンス事業に自ら、参加協力しようとしているかの様に見えるかもしれない。

 しかしあきらかなように、その「プライベートな修復」は、様々な規定を無視し、ある意味でいいかげんに行なわれている。場所の選択、素材、技法の選択、作業工程などどれをとっても、あくまで恣意的に自分本位に施される。
 それはある意味、制度を具現化し制度そのものでもあるそういった「枠」のメンテナンス作業に関わりながら、そこへ「私」的な固有のズレを持ち込み、静かな振動を与え続けるものであると言える。その行ないは、この世界に張り巡らされた、目に見えない「制度」にたえず抵触していく至極具体的な行為となりうるのではないだろうか。

 そしてさらに言えば、この世界を管理運営する何ものかによっていつのまにか独占されてしまっている「修復」という営みを、「私」のひとりひとりによって、あらためて取り戻していこうとするひとつの実践として、それを位置付けてみることも可能だろう。
 「修復」を管理者側における単なる「制度」存続維持の時空から解放すること。それは利潤目当ての土木業者による均質で効率的で経済的な(普遍性のある制度であるためにそうであるべきなのだろうが)作業としての「修復」であってはならない。
 重要なのは、本来あったであろう無償の行為、崇高な意志、自発的な社会参加のもっとも謙虚で身近な行為(*)としての「修復」に立ち返ろうとすることである。



(「普段」の「かかわり」―メンテナンスの一環としての修復。一人ひとりの手の中に、この「世界」との「普段のかかわり」が直接的で具体的に紡がれていかなければならない。「修復」はその端緒となる。)



                                    2010年9月  青野文昭