「連置」について


 欠片の補完に用いられる代用物が複数並べられている場合、「連置」と呼ぶ。

 それは「連鎖」、「連結」、「連携」と異なっている。
 そもそも代用物がひとつでは足りない場合、複数を並べ、あるいは重ねて、補完すべき大きさに対応しようとするところのものである。
 その結果として、「連置」では、まず複数の代用品が「ただ置かれている」、「ただ並んでいる」、「ただ集められている」という状態として―いわば「置」の状態そのものが、その全体として「代用物」とされていると捉えられる。
 従ってそれは「ただ置かれる」、「並べられる」ことにより、物理的な状況がつよく「補完」に作用していくことになる。

 「置かれ方」は、代用物のもともとの在り様から導き出される。
 それは、結果的に、代用物の形状以外に、「置かれ具合」(並べ具合)というもうひとつの偶発性と必然性が不可避的に導入される事を意味している。
 そもそも代用物は、けっしてその形状や材質のみを所与しているのではなく、その実際空間における在り様、存在形態、置かれ方、並べ方、扱われ方などの経験的な「慣習」をも多く所与しており、それらもふくめてトータルで代用されるべきであると考えられる。

 「置かれ方―並べ方」には例えば水平方向、垂直方向、があるだろう。
 置かれる各部位間に其々誤差が生じ、不用意な間やズレや傾きが不可避的に補完に入り込んで行く。
 それゆえに置かれている場所、置かれ方、並び方、、という物理的な条件がより多く影響してくることになる。 そこでは、よりあたえられた具体的条件に立脚した、作家的思惟とは別な意味の「必然性」が内在してくることになる。


 そもそも「代用物」は抽象的でニュートラルな「素材」ではない。つねに実際的なレベルで、余分な(足りない)部分・文脈、ズレや誤差や偶然が同居しており、いわば「ブレ」を生得的に内包していることになる。それは同時にそれぞれの「置かれ具合」に関しても言えることである。抽象的でニュートラルな土台(ある種の基底面)が確保されているわけではなく、つねに実際的な「場所・状況」に付随する「ブレ」を内包していることになる。言わば「基底面」を形成するはずの代用物の置かれ具合―置かれる基軸そのものが、作家的思惟とは無関係に「揺らいで」いるのであり、その事を踏まえようとするのが「連置」なのである。