「転生―それぞれの地表面・流出・移植」について 2012
流出
津波に流された家内の実家を見舞った時、既にぐしゃぐしゃの異物と化していた瓦礫の山には、以前の面影は見えにくかった。
その後、自衛隊による瓦礫撤去作業の過程で、少しずつもともとの床面が顔を出してきて、ようやくそこになじみのなつかしい面影というものを見出した。その緑色の床面は、はじめて自分がこの家を訪れた時から、優しく自分を包んでくれるこの家の主調音のようなものだった。結果的には津波で何もかも無くなってこの床面のみが遺されることになってしまった。現在は雨ざらしになって変色しはじめており、いずれはそれもすべて処分され無くなってしまうだろう。
明治から幾代も代を重ねて受け継がれてきた店。三陸津波にも、太平洋戦争も、チリ地震ものりこえて、それが今、平らな面に成り変る。
そのような、取り残され放置され、あるいは流出・漂流した「それぞれの」歴史の詰まったそれぞれの家の床面を収拾し、さらにその先へ受け継いでいくこと。けっしてもとに戻せるものではないし、そのまま放置し破棄されるばかりというわけにもいかない。ささやかながらもありうべきあらたな「かたち」において存続させていこうと思うようになった。
移植
家の中にあって部屋の中心にあるテーブル。そこは食べ物を食べ飲むところであり家族が集まるところである。いわば茶の間―室内空間の「ヘソ」にあたるのがそこに置かれるテーブル面なのだと思う。
その家族の、家の、茶の間の、衣食住の、あるいは個人的な、私生活の真っただ中に、外靴で踏みしめられて見過ごされがちな床面―震災瓦礫―を持ち込むこと。
それは自分達がいとなむ日常生活の真っただ中に、震災を、その遺品を、その変質を持ち込むことである。
自らの内に持ち込むことは、自ら内において、その、、震災を受け止めることであり、考えることであり、ともに「在ろう」とすることを具現している。
それは震災を踏まえた震災後の我々の生き方の問題でもある。
「同じテーブルに着く」、「テーブルをセットする」、、というもの言いは、「他者」と関わる最初の共通の土台をセッティングすることを意味している。自分の普段の生活空間のヘソであるテーブルに、震災という「他者」を持ち込む―移植することは、他者とかかわり、よりよく知り、いかに共に生きるべきか、その下地を用意することでもある。
欠片の補完に身近なものを代用する。自らなじみの文物を通すこちにより、「それ」―震災―被害がどういうものなのか、実際的に受け止め少しでも把握し寄り添おうとする。例えばそれは母親によって継ぎ接ぎ縫われて、よりその家になじんでいくかつてよく見られた衣服の修繕のようでもある。自分なりのありもので継ぎ足し―自分の「現実」を踏まえて、刷新しながら共存して行く、新しい基盤としての「地表」が形成されれば、、。
床面をテーブル面に移植することは、足よりも手や目の空間に、より高く、より身近に、より生活空間内部に、移し替えることを意味する。
テーブルの土台により地表面が持ちあがることにより、大地から切り離され自立をはたす。
そのことはテーブルの形式が一種の台座の働きをも示す事を意味している。大地に張り付けられた人工の地表面―床面は、四本の足で持ち上げられ、大地から切りわけられ、移動可能なものとして自立する。床面は固有なものとして自律した存在物となり、見られるものとして地から図となる。
そもそも今回の震災で多くの地表面が、既にばらばらに流出することになった。漂流する地表面をそれぞれ個別のテーブルに寄りつかせ、移動性のある自律した「面」として安定的に継続させようとしているとも言える。
それぞれ別々の場所に縛り付けられていた地表面。それが震災で露出・流出することにより、普段の居場所を失い、新たな場所を求め漂流する。それぞれの地面からそれぞれのテーブルに(家具に)居場所を変える。以前は同一の場所にありえなかったそれぞれの地表面、、、それぞれの固有な時間、空間、歴史、文脈を背負ってきた地表面が、ある種「ニュートラル」である種「なじみ」のテーブル面として移植されながら、同時に任意の無根拠な場所に集められること。それぞれの既成の関係が断ち切られ漂流し吹きだまり邂逅する空間、、そのようなところこそ今我々がかろうじて立っているかりそめの足場なのかもしれない。