原風景?と震災         2012


 以前インドに行った時、体調を崩し動けなくなったことがあった。
 ラ―ジャスタン地方のとある安ホテルのベットから一歩も離れられない状況で、体からどんどん力が抜けていった。このままだと旅行行程が大幅に狂うだけでなく、最悪の場合日本に帰る飛行機に乗れないのではないかと動揺する。帰路の飛行機発着場所は何百キロも離れた町にあり、英語も話せず、金も無く、電車の切符を手にいれることもままならない。手に入れたとしても正確にその列車に乗り込めるかはわからない。しかも沢山の荷物を持って、、。しかも長い道中、身体が持つかどうか、、。どこもかしこも不潔で、街中がたかり屋の様なインドにうんざりし、体調の悪化に不安が絶頂に達する。
 突然そのような時、印象深い夢をふたつほど見た。どちらも今まで日本にいて一度も見ることのない種類の夢だった。


 一つ目の夢は、いくつもの幾何形体(二等辺三角形や正方形など)が中空に浮かんで少しずつ動きながら精妙な均衡を形成してくものだった。例えばカンデンスキーの幾何形体のタイプの作品空間が少しずつそれぞれに動きながらモンドリアン風に秩序を形成していくという感じで、観ていて気持ちが静かに落ち付いてくる様な気がした。


 二つ目の夢は、家内の実家である岩手県宮古市鍬ヶ先の現実的情景で、実家の食堂や茶の間、義理の祖父や母が視界をかすめ、なつかしい日本のみずみずしい空気、陰影、静けさとのどかさに満ちた奇妙にリアルな夢だ。まるで本当にいま自分がその茶の間に座っていたかのような、夢から覚めた現実の方が夢で夢で見た宮古が現実であった様な臨場感あふれるものである。


 いってもればどちらもその時の自分をとりまくインド的現実といちじるしくかけ離れた世界だった。
 全てが汚れ、埃っぽく、手垢にまみれ、何一つ思った通りにならない、不誠実きわまりない歪んで入り組んだ(と、当時の自分はそう感じていたところの)インド的雑踏。一方で全てがきっちりかっちり整った整然とした晴朗な秩序、静かに落ち着いたみずみずしく澄み、慎み深い信頼に満たされたなつかしい世界。
 たぶん危機的状況に接した自分の身体が、自動的な防衛本能を作動させ始め、心の安定を即し調和とバランスをとりもどそうとしてくれようとしているのではないか、、。そんなことをおぼろげに感じ、とても不思議な感じがしたのを覚えている。
 それにしても、自分の中に幾何形体が埋まっていて、しかもその秩序ある均衡を供えているということ。また自分が生まれ育ったのではないはずの家内の実家・宮古鍬ヶ先の情景が、ひとつの日本の美しい象徴的具体世界として、ここまで自分の内に沁み入っていること。これは自分にとってひとつの大きな驚きであった。
 普段日本では、幾何が苦手で敬遠しがちな、有機的フォルムの好きな自分。仙台から遠くかけ離れ、また一定の緊張を強いられる何しろ「義理」の実家(一方で仙台の自分自身の実家の面影はまったく出てきていない)。


 この二つの空間は、極限的な状況で、自分の潜在意識から発動したイマジネーションに類するものではあったが、実際的世界の側では、くしくも今回の3.11東日本大震災によって破壊されてしまうこととなった。
 人工的近代的秩序空間は、地震・津波などにより、大きく歪み、整然と区分けされた境界は侵犯され、全てが無秩序に混ざり合った混沌空間になり変った。
 宮古・鍬ヶ先の町は津波に襲われ、ほぼ壊滅し、実家も消滅してしまった。
 震災後の自衛隊の行きかう騒々しい雑然として、埃にまみれ異臭の漂うくすみ瓦礫化してしまった商店街跡は、まるであのインド空間の延長線上にあった。祖父、曽祖父の代より受け継がれた、礼節と伝統のしみ込んだ日常空間はこの世から永遠に消えてしまったのである。そしてこの動揺は終わりなく余震で揺れ続ける現在進行形のものであり続ける。

 被災現場へ行くと、心の奥で理念化されたイメージと、実際の変わりようとのギャップに唖然とさせられながらも、いまだにどこか非現実のようでピンとこないというのが正直なところである。まるで以前インドで宮古の夢から覚めて、インドの雑踏に引き戻されたのが逆転してしまった様なもので、何か悪い夢でも見ている様でさえある。
 とりあえず変質してしまった現実の欠片(かけら)を手にし、その「以前の姿」を思うしかない。
 だが、この世での幾何学的秩序となつかしい日本的生活空間の実際が破壊されたとしても、自分の心の底にはあいかわらず、そこで培った幾何学と宮古の印象が生き残っているはずなのであった。

 だが、このまま自分のコアなイメージが現実から遊離したまま、心の底にただ取り残され干からびて行くことは許されないように思われた。それは現実や自分自身から目をそらし続けることを意味しているのではないだろうか。
 そもそも実際的感覚から蒸留されてできてきたはずの自分のイメージ・原風景を、もう一度その発端となったはずの実際空間に重ね合わせてみること。現在におけるそのギャップ、距離を把握し、その変質の在り様を知ろうとし、実際何があったのかということを、自分の内奥を通して実感しようとすること。「作品」はおそらくそのためにある、、というかそういう必要性の中から生み出されてくるはずではないかと思った。あの膨大な瓦礫の物量に対し悲しいほどのちっぽけさに身を震わせながらも、、。
 もう以前のようには戻らないだろうが、現在の欠片と以前の姿をすり合わせること、、、そうした作業は自分には必要不可欠なことのように思える。震災を「本当に」体験するとは自分にとってそういうことなのかもしれない。もしかするとある種の「体験」は、事後になってようやく時間をかけゆっくりと生成されていくものなのだろうか。「作品」はその事後における「体験」の過程でかたちづくられ、結果的にそれが「物」としてのこされることで、その体験が結晶化され保存され他人へ伝達されうるのではないだろうか、、。

 そのような場合「作品」は、「なおす」と称していても、既に単純に「もと」の状態の復帰を意味する云々の次元ではなくなっているのが知れる。「体験」が事象と当事者の間によって引き起こされてくる「何ものか」であることによって、単なる事象でもイメージでもなく、また一人一人異なったものである様に、そうした「体験」に沿いながら生み出されてくる作品もけっして単なる下界の写しにもなりえないし、自身内部のイメージの投影に終始することでもないわけである。おそらくそれは、それ自体、そのつど生成してくる唯一無二の自律した固有な「何か」なのである。