水源をめぐるある集落の物語―東京・井の頭AD2017〜BC15000

 

まだ学生だった1990年の夏、下北半島の恐山で自分はとても困惑していた。
 以前ある霊能者から、「母方三代前の曾祖母が守護霊になっている」と指摘を受け、それならばイタコの「ホトケオロシ」で対話してみようと、はるばる恐山に来てみたのだった。だが、いざその場になると「おろして」もらうのに必要な「彼女」の基本情報がわからないのに気付かされた。名前と命日のメモのほか東京に住んでいたということしか知らなかった。せっかく順番待ちで並んでいた列を離れ、実家である仙台の母へ公衆電話で問い合わせる。が、「東京、、、吉祥寺、、、ガードをくぐってすぐ」という文言をくりかえすのみ。「吉祥寺」が墓のある寺の名前なのか地名なのかさえよく解からなかった。
 
戦争があり疎開もあった。空襲もあった。祖母も急死した。祖父の再婚もあった。縁も切った。既に祖父も故人となり、何もかも解からなくなってしまっていた。それでもなんとか少ない手がかりで「おろして」もらうことにはなったのだが、はたして遠く離れた吉祥寺からいまここ(青森)に「彼女」が来ていたのかどうか。それは今もって解からない。いずれにせよこの時、自分ははじめて「吉祥寺」という土地を意識した。

それから26年たち、この度、武蔵野市立吉祥寺美術館から、現地をフィールドとした新作展の打診を受け、運命を感じた。
 22歳のあの時、自分があいまいにしたままだった大切な問題を、今ようやく掘り下げることができるのではないか。
 この土地をあてどなく歩きまわり、偶然出会ったり、掘り出してきた様々な欠片。近隣の家々から提供され集まってきた家具や物品。それはそれぞれどこか別の時空につながって行く何かの「配線」の様でもあった。それがどこから来てどこへ通ずるものなのか十分理解し得るわけではないのだが、地中深くから引っ張り出してきて、別の配線とつなぎ合わせたり、新しい配線を継ぎ足したりしながら、新たに電流が流れ巡る様に、入り組んだ配電網を生き返らせていくように、作業が進められ、この作品はかたちづくられていった。

  2017年7月 武蔵野市立吉祥寺美術館での展示に際して