やってきたこと・やっていること

 

 自分は1992年ころから「修復・再生」等をテーマとし、97年ころから身のまわりで拾った欠片を「修復・復元」するような作業を続けて今日に至っている。
 それは通常の創作活動の仕組みでは扱いにくい問題をより重要視したためであった。
 例えばひとつには、「他者」なる別の文脈や時間を、「造形」から排除することなく、共存させていくことはできないかと考えてきた。
 その上で、長年、「なおす」ことに関する様々な試みを考察し実践してきた。
 (「もと」の姿にできるかぎり近づけようとする復元。あるいは後付け部分をあえて判別できるようにする復元。あるいはより理想化しようとする復元etc.)。
 多くの場合、現在まで継続しているプランは、できるだけ拾った欠片の物理的状態に立脚しようとするタイプの復元である。そうした場合、補完される最終形態の姿―大きさ、形、色、様々なディテール、、、は、当初の欠片の物理的状態から導き出され左右されていくことになる。
 2000年代に入ってから、さらに「代用・合体」による復元の試みを本格化させてきている。それはあらためて日常生活で修復の実際を観察するにおよび、身のまわりの有り合わせによる代用物で穴埋め的にすまされる、日々の修復作業―メンテナンスの実体に感化されてのことだった。考えてみればしょせん人間の創作活動に用いられる素材とは、結局何がしかの意味で「代用物」ではなかったか。そんな思いもあって、身のまわりの文物―特に既成の生活用品―箱、器、箪笥、テーブル、書籍などが代用素材に用いられて行った。
 その過程で導き出されてきたのが「連置」というプランだった。代用品を複数集積し、より大きな体積を確保しようとするもので、より大きな欠片の復元作業に対応するためにも有望なプランだった。
 そのような折の2011年、東日本大震災が発生し、自分の「身のまわり」が震災遺物にのみ込まれることになった。結果的に拾われるものも震災遺物ばかりとなる。一方で、その修復・復元に用いられる資材―代用物としては、震災から無傷の「身のまわり」の中古家具類があてられた。
 「なおす」こと―そして「代用・合体、連置」という以前からのプランが、はからずも、傷を負ったものと無傷のもの―二つの異なる「身のまわり」による共存のかたちを紡ぎ出していくことになる。
 このように自分は、具体的な「なおす」作業をとおし、「他者」に寄り添い、出来事を刻印し、ある種の波動を単体から場へと浮上させる。そして今現在、軋みながら立ちあがろうとする何ものかを垣間見ようとしている。

2014年2月 青野文昭