<なおす・再生の位置>

 

 「なおす」いとなみは普遍的な人類の本性である。どんな場合でも以下の構造が共通している。

1、「完全像」の形成と「欠落」の認識。
2、「欠落」した現実と「完全像」の比較、摺り合わせ。

 「なおす」はなんらかの「欠落」を意識しなければはじまらない。「欠落」は「完全像」に対する相対的な認識である。どちらが先かは解らないが、同時に相補的に意識に浮上してくる場合が多い。この構造は車の修理、友情の修復、社会制度の改善、部屋の掃除、世界認識の是正、、全てに共通する。
 この構造は例えば『芸術と幻影』でゴンブリッチが重要視している「図式」と「修正」というものに直結している。 「自然の創造物を模倣することを目標とする美術は、次のようにして源を発したと考えられる。すなわち樹木の幹とか土の塊等の中に、ある日偶然なことから、ほんのわずかに手を加えるだけで、何らかの自然の対象に著しく似た格好になるような外形が発見された。このことに気付いた人々は、その外形からちょっとした手加減くらいでは完全なものにならない場合には、申し分ない類似にするために、まだ欠けているものは何かを考えてみた。こうして、対象そのものが求めているやり方で輪郭や面を適応させ移動させることにより、人々は望み通りのものに仕上げたのである。」  と、いうルネッサンス人アルベルティの説に触れながら(その他、星座、洞窟壁画、心理学実験など様々な事例を引きつつ)ゴンブリッチは次のように主張する。  「イメージを創造するいとなみは、図式と修正のリズムを踏まえないわけにはいかない」。  「図式」とは、時代や社会、文化、視覚、心理等に起因する様式、慣習、生得的形式等のことである。
 ゴンブリッチはこの図式-修正の構造がこれまでのあらゆる美術(洞窟壁画、概念的表現、自然主義的表現、、)に共通する根源的な問題で、様式、趣味、機能、技術等の問題に先立つものだと主張している。  さらにはそれは以下のように知覚の構造をも支配していると分析する。  「知覚のプロセスそのものも、すでに見てきた再現のプロセスを支配しているのと同じリズム、つまり図式と修正のリズムに基づいていると言えるかも知れない。それは推測し、その推測したものを経験に照らして一部変更するという私達の側の不断の活動を前提とするリズムである」。
 この「図式」と「修正」の構造は、先に指摘した「完全像」と「欠落」の摺り合わせとしての「なおす」いとなみとほとんど同じであることが解る。  「創造すること」、「知覚すること」、「なおすこと」は、見かけ上の違いとは裏腹に、その中身を支配する構造が同質なのである。その構造こそを問題にしなければならない。  それは「無」からの創造・形成ではない。すでに在るなんらかのイメージ(ゴンブリッチでは「図式」)が最初の出発点になって、擦り合わせ-「修正」-「なおす」いとなみが深く関与していくことを物語る。  そしてこの構造は美術的創造よりもむしろ「なおす」いとなみの中に露出しているように思われる。  後述するように通常の美術的創造では、この構造は隠されてしまい、十分に触れること、意識化することができない。しかし「なおす」いとなみではこの構造を綺麗に抽出して見せてくれるのだ。私が「なおす」ことにこだわってきた理由も半ばそこにある。  「図式」-「修正」という構造の上にのっかりながら何かをつくるのではなく、その構造そのものを抽出すること。そしてその構造そのものに秘められる人間能力の謎を掘り下げること。それは「なおす」いとなみを一つのモデルとして実現される。「創造」というものが持つ生命力の源泉がそこにある。