<基底面について>

 ここでは議論を解りやすく進めて行くために、「一つの表現、イメージが形成される場」を「基底面」(註1*)と呼び、問題として行きたい。
 通常の美術、タブロー作品などの場合、「基底面」は単一で、キャンバスの支持体の性質、文脈に依拠している。そこではあまりにもあたりまえの前提となっていて顧みられることは少ない。
 一方「なおす」行為では、「基底面」があくまでも後発的に浮上、類推されて行く。「基底面」はアプリオリに、単一に、前提となるものではない。拾ってきた「断片」に依拠する「基底面」と、新規の修復部に依拠する「基底面」相互の影響関係(註2*)の中から、「全体」を生み出す「基底面」がしだいに複合的に生成してくるものである。前提とされる「基底面」上にメディウムがのせられるのではない。「基底面」そのものの生成がメディウムの形成と一体化しているといえる。それゆえより本質的な「生成」に立ち会うことができると言えよう。
 この点こそが先に主張した「なおす」いとなみの可能性である。ここでは「つくる」ことが始源に持っていたはずの異種混合のダイナミズムを具現し、ゴンブリッチの言う「図式」-「修正」の構造に直接触れることができる。
   ひとまとまりの単一性を保持する作品形態でありながら、基底面が多層的。逆に、複数の「基底面」であるにもかかわらず、それらがバラバラに分離せず、共通の「基底面」を生成させ、同一面上に共存しえるという特質。これらの性質は、複雑で多層的な実際世界の分裂を食い止めている「なおす」いとなみのみならず、私の作品全てに言えることである。
 また、一つの断片ではなく複数の断片の集積、合体によって修復される場合、さらに多くの「基底面」が同時に浮上し、せめぎあい、その「勢力」如何により、様々な意味合いに枝別れして行くことになる。「タイトル」にもっとも影響を与えるのはこの「基底面」の方向性である。後述したい。


 (註1*)  「基底面」は、復元されるべき「完全像」とは異なる。最終的な完全像が具体的に形成されるために必要な、ベーシックな場・一種の地面の様なものである。
 (註2*)  例えば後述するように「延長」、「復元」のように一つの断片による作業では、拾われた断片と新規の修復部の「基底面」相互の間に、過去/現在、他者/自分、工業製品/手作業などの差異が浮上してくる。それは独特な対比・融合関係を造り出し、「なおす」行為ならではの独自な創造性の核となる。