《 つ く る こ と を 可 能 に す る も の 》 1999年
−−クリエイションの内的構造に関する一考察−−
以前、坂口安吾は「日本文化私観」において、ブル−ノ.タウトが褒めたたえる桂離宮 や法隆寺、庭園、茶室等、日本を代表するとされる文化遺産に対し、有名な疑念を提示し
た。
例えば桂離宮が日光東照宮より高尚であり日光東照宮は下品、俗悪であるといった一般 的風潮に、ことさら異をとなえる。一見脱俗的かつ高尚な精神性をみせる桂離宮や茶室も
芭蕉や良寛の「無きにしかざる」の精神からすれば日光東照宮と同じ「有」の所産であり 「詮ずれば同じ穴の狢」にすぎないという。しかも「無きにしかざる」の精神は、欲を捨
てるというのではなく、逆にそれがあまりにも深すぎ、豪奢でありすぎ、貴族的でありす ぎたため、「絶対のもの」があり得ないという立場から中途半端を排撃したあげくの精神
であるという。
そして安吾は「無きにしかざるの精神から、それとして、とにかく一応有形の美に復帰 しようとするならば、茶室的な不自然なる簡素を排して、人力の限りをつくした豪奢、俗 悪なるものの極点において開化を見ようとすることもまた自然であろう。」と述べ、秀吉 のつくったものこそ「人工の極致」「最大の豪奢」と言う。彼のこのような視点は「およ そ自分の性情にうらはらな習慣や伝統をあたかも生来の祈願のように背負わなければなら ない」武士道、軍隊、天皇制等の精神性と管理機能としてのからくりを厳しく見つめると ことから発している。日本人が自らの内なる欲望に、もっと率直になるべきであり、人力、 人工、俗悪なる発露こそが、「健康的」であり「健康的な美」につながるのであるという 一種彼流の倫理感からきている。
しかし、彼はなぜ日本の代表的「有の所産」の多くが西洋のそれや秀吉のそれと異なり 「人工の極致」、「最大の豪奢」へいたれなかったか、いたりようがなかったかという本
当の理由には到達しえていない。(秀吉にくらべ、家康が本当の天下人の気概を持ってい なかったからだという個人差で説明しようとしている。)かれの場合、日本人も西洋人も
古代ギリシャ人もない人類という普遍の次元としての前提を持っており、結局は人間とし ての混沌とした生に根ざす欲や活力を肯定していく信頼感が漂っている。
しかしあらゆる人間が欲するその「絶対的なもの」のあらわれが、共通しているわけ ではないというのがこの文章の出発点である。
日本人は現在もなお人力の創造、人工物を「つくりごと」「つくりもの」「からくり」 と言って人為的な非本質的で表面的な矮小なものとしてとらえる性質を持っている。しか
し古代ギリシャに発する西洋文明の一つの特長は、人力、理性への聖視自体にある。それ は肯定といったなまやさしいものではなく、究極の人知、人力は一つの理念として神聖で
偉大なものとさえなるのである。この「人力」に対する感性の決定的違いは、「有の所産」 に大きく影響してくる。この違いは日本人と西洋人が欲する「絶対的なもの」の質が異な
るからなのであり、後述するように大変根深いもので、太平洋戦争で消えてなくなるもの ではない。安吾の暗示するごとき「人間」としての生の普遍的カオスへ回帰することです
むことではない。なぜならば後述するように、人間としての生の普遍的レベルにおいて 西洋人が「有の所産」を残したわけではないからである。それは西洋人なりの特殊な発達
(?)によっている。いづれにせよ安吾の疑念の本質的なところは東西の様式論、趣味論 を超え、さらに「有の所産」も超えた人類としての絶対なるものへの欲望という根源的地平から投げかけているところであろう。
人間のクリエイション(安吾の言う通り「無き にしかざる」といって創造活動へ向かわないことも入れて)の源である「絶対なるもの」 への根源的衝動がどこからくるものなのか、何者なのか、人をどこへつれていこうとする
のか、そして古今東西のクリエイションをいかにかたちつくってきたのか、そうした疑念 と試行錯誤の結果によってようやく我々は今日のクリエイションを思考しうる地平に出る
ことが許されるのではないか。
後述するが、この「絶対なるものへ」の衝動は生物としての本能からくるものではない。 むしろあらゆる過去を通じて消耗、破滅へ導いてきた人類のみにみられる特種な過剰なる ものとして考えることができる。この根源的衝動=クリエイションという図式をそのまま 最大の「善」として、その上で文明や芸術、絵画、彫刻等を位置づけ、今日のさらなる展 開を希求する精神は失わざるおえない。文明は今、文明を生み出してきた自ら自身にたち かえり自己批判する。美術もまたおのれ自身(それは美術形式自体ではなく美術を生み出 す人間内部)を見つめなおすことをせまられる。美術はその時美術を超え、人間という一 つの生物が担うクリエイション、そしてその未来を見つめる最も根源的な「問い」そのも のとなる。それは一つのパラドックスとしてある。美術が今日ありえるとしたらそれは美 術ではない「他の何か」としてしかない。しかしそれは今にはじまったことではないのだ けれども。
《「絶対なるもの」という欲望》
「絶対なるもの」は絶対ではない、不満足な欠落したもの、それはつまり現実そのもの を前提としている。(後述するようにどちらが先というわけではない。) そうして、もっとも重要な点は不満足な現実において、「絶対なるもの」を希求する場合 人には2つの道しかないのだということである。 一つは絶対な完全なものを(不満足な)現実以外の他に見出そうとすること。 もう一つは(不満足な)現実を絶対な完全なものへ近づけよう、つくりかえようとするこ と。この両者は後述するように同じ目的でありながらまったく正反対の道である。 私がそれに気づかされたのは、森の絵を描いていた時である。森を描こうと思った気持ち には「スゴイ」絵を描きたいという気持ちと、森という奥深い多様な神秘性への好奇心が ないまぜになっていたのである。作品としてのビジュアルな造形性や調和を精緻に追及す ればするほど「奥深い」という森の神秘感を失ってしまう。逆にどこまでも森の深さ、多 様性に触れ合い、殉じようとすれば、それは視覚性を超えた体験となり、強い確固とした 造形性、構築性から離れ、人工物としての作品に執着できなくなっていく。これと似たよ うなことが西洋でもイコンを描く、つくることの困難となってイコノクラスム、聖像の世 俗化という問題が常につきまとってきたのではないか。森と人型神のちがいはあるが人知 を超えたものへのあこがれと、それを手にしたい、はっきりと目に見えるようにしたい。 人力によって有の所産にしたいという気持ちの葛藤。造形のもつ根本的な矛盾がそこにあ るように思う。
・不完全な現実を完全にしたい、完全なものを現実につくり出したいという衝動−−@
・人智を超えた領域に触れ合いたいという衝動−−A
この絶対なるものへの2つの衝動がどのようにしてか、すりあわせられたときにのみ、 内実のともなったクリエイション「有の所産」が生まれるのではないかと思うようになっ
た。なぜなら、先の森の体験のように@だけなら自己満足のチッポケな趣味性へ陥り、A だけなら作品へ結実する必要がなく、「有の所産」になりえない。
まさに古代ギリシャに発する西洋の古典精神における「人力−−聖」という回路こそ@ とAの合一を可能にした数少ない神話であった。 【@とAの衝動の対比において、クラシックとバロック、古典主義とロマン主義という概 念をあてはめるのは不適当である。なぜなら結局バロックもロマン派も「有の所産」であ り、古典精神、古代ギリシャ文明の末裔とし、同じ穴のムジナなのである。バロックやロ マン派の概念は結局造形への聖視を前提としたもので、「無きにしかざるの精神」の文化 からすれば、相対化され普遍性が限定されざるおえない。】
@完全性の実現欲求、A未知(聖性)との接触欲求。
この2つの欲望がどのように生ま れ、どのように異なり、どのように人の営みを形成していくのか、しばらく推察していき たい。
人は他の生物と異なり、生活パタ−ン、種々の反応が遺伝子によってキチッと決められ ていない。つまり本能の自然な働きでは生き残ることのできない特異な生物と言われる。
オートマチックな反応システムのかわりに人工的な象徴体系・言語システム−−文化をつ くり出す必要があった。遺伝子によるオートマチックなシステムとのちがいは、それが後
からの恣意的なものであるため、しばしば体験の全体、こころの全体からズレており矛盾 が露呈するし、一人一人がバラバラの反応をする危険性と逆に全体的統制による個々の反
応の制御、抑圧という危険を常に抱えている。基本的に象徴体系−−言語システムは、世 界を恣意的に分節化し、その多くを切り捨て、隠蔽する性質を持っている。無限の可能性
と広がりを持つ体験が言語システムの分節化によって、そしてそこに根づいた感性によっ て限定的に体験され語られる。いわゆる「言語にならない体験」をつかまえつくすことが
できない。そもそも自己とは、世界(自己以外の全て)と切り離し、分断したところでは じめて成立するのであり、自己を持ったまま世界とナマに直接的に触れ合うことは本質的
に矛盾する。ゆえに本質的に人は世界の全体性を内包しえない、一体化しえないという意 味において欠落した存在である。
欠落している自己は、常にその欠落を埋め合わせる「完全性」への野望を持ち続ける。 この完全性を希求し、欠落した自己を埋め合わせたいという欲求が、根源的な@−「完全
性の実現」へ人々をかりたてていくと思われる。この完全性を希求せずにはいられない不 安な欠落した人間は、完全無欠な世界、国家、都市、を神の異界へ夢見つつ、この世に具
現しようとする。この完全無欠な世界、国家、都市、心を、神の国、異界へ夢見るところ が、A−「未知なるものとの触れ合い」の欲望とつながるように思われる。つまり自分の
内にない−−現実においてない(欠落しているので)完全性を、自らを越えた(と思われ る)大いなるもの−−未知性の領域、時間に投影してその未知性に聖性を付与し、触れ合
おうとし、欠落した自己の完全性を取り戻すため、一体化を希求するのである。ところで 「未知なるもの」とは自己の欠落した存在を浮き彫りにしてしまう不安と戦慄の源であり
ながら、自らの全体生を回帰する見果てぬ夢、ノスタルジーの源でもある。この不安とノ スタルジーの両者にかりたてられつつ、未知なるものへ出会いを求めていく−−A、それ
とも完全性の実現へ向けて自己内へ外部を編入、つくりかえていく−−@、のか立場が分 裂するように思われるが、それは後述したい。結論として、私の推察では、@、Aの根源
的衝動は本性として欠落している人間が、完全性を希求する所から発していると考えられ る。
この2つの根源的な衝動に対応するように心理学者、岸田秀は自我成立の地平から興味 深い考察をしているので触れてみたいと思う。
「本能が壊れた」人間は、まず生まれると「ナルシズム」の状態にあるという。ナルシ ズムの状態とは、「空想と現実、世界と自我がまだ区別されていない状態である。」「知
らないことの存在を知らず、できないことの存在をしらず、したがって主観的には全知全 能である。(客観的には無知無能だが)」しかし、次第に全知全能性が崩れていく。「こ
の全治全能の原自我=原世界から切り離され自我は、全知全能性を失った無力な自我であ り、当然のことながら不安に怯えている。」「全知全能性は、自我と区別された世界の側
に残される。この時期の世界とはまず母親であり、母親が全世界である。」「不安に怯え た無力な自我は、世界と区別された世界おのれを放棄して、再び世界と融合し、全知全能
の原自我=原世界を再現することによって、あるいは全知全能の母親に依存し、全知全能の母親に全面的に保護されることによって不安から逃れようとする。。」これが自己放棄
的、依存的自我−−彼が自我の最初の形態と呼ぶものである。私なりに要約すれば、欠落 した自己を越えると思われる全体性(ここでは母)へそれを投影することであり、自己の
「外」へ完全性を投影することであり、大いなるものへ欠落した自己がいだかれ、それに あやかり、同一感を求めつつ全体性を回帰するものであり、まさしく自己放棄的なもので
あり、A未知なるものへ向かう衝動と重なりあうだろう。
しかしいずれ全能の母と現実の母はくいちがい、保護は抑圧に転じ、「彼の自己放棄と 依存の企ては不可避的に挫折する。」、「挫折した依存は怒りと屈辱感を呼び起こす。」
「個人はそれまで全知全能性を自己に取り戻し、自己において実現し、自己を拡大しよう とする。。」「自我は自己拡大衝動に支えられる。」この自己拡大衝動こそ自己の内へ全
体性を投影しつつ、外部を自己の内へ編入し、自己拡大してゆくことことであり、外部を 位置づけ、意味付け、完全なるものとしてつくりかえていく欲望である。これは@完全な
るものの具現欲求とかさなるだろう。「それからのち個人は自己放棄衝動と自己拡大衝動 との正反対の二つの基本的衝動のあいだに引き裂かれることになる。」この二つの欲望の
分裂について、岸田は的確に発達段階をふまえて論じている。いずれにせよ欠落した人間 が不安に耐えられず、全体性を(支え)を求めてとる二つの衝動のパタ−ンがあるわけで
ある。
自我をその外部へ放棄して一体化しようとする −−−A
自我へその外部をのみこんで一体化しようとする−−−@
そして彼はこう言う。「言うまでもなく、自己放棄衝動(没我)も自己拡大衝動(我執) も本能ではない。動物にはいずれの衝動も存在しない。いずれの衝動も未熟な状態で生ま れ、長い間他者の世話にならなければならないという人間特有の条件から生じる人間特有 の衝動である。」このクリエイションへかりたてる、また自我を成立させる根源的衝動は、 人間特有の一種の欠落からきている。そしてこの衝動が人間性そのものでありながらも、 生命的、宇宙的な根拠のうすい、地球にとって未知なるものであることがわかってくる。 それは、容易に正、負の価値づけ付されるものではない。かつてのようにクリエイション が神話に支えられ、無条件に尊いとされる時代は事実上終わった。ここでは生命の存在維 持に最低限必要な「有の所産」と、完全性への衝動に導かれ、そこから過剰化していく大 規模な有の所産や造形芸術をわけて考えなければならない。現代、未来において、我々は、 「それ」を自覚しつつ、人間、おのれの「サガ」をじっくり見つめ続けるほかないのでは ないか。
本論の意図するところは、有の所産へのクリエイションを無条件に「本質的」とするか わりに、むしろ特異なものとしてとらえ、突き放してその根になる完全性への衝動を考え
ていこうとするものである。
基本になる考えは述べた。
次にクリエイションの中でもとりわけ偉大にして特筆すべき もろもろのものを取り上げ、いかにその基本構造によって、その内実の世界があきらかに されうるか見ていきたい。ここではそれをできうるかぎりシンプルに行いたいので、多く のことがらを切り捨てざるおえず、かつその独壇的意見を論理的に実証しようとするとこ ろのものではない。結論からいえば大規模で高度なクリエイションは、しくみはいろいろ だが結局2つの根源的衝動が合一されることによってはじめてなされる。 そしてこの2つの合一は歴史的、世界的において稀なことであり、かつ一瞬の出来事、 一つの通過点のごときおもむきを持つものであること。必ずその頂点を境に衰退すること。 ゆえに各時代、各地方、各国家各人に常に恒常的に大規模で高次元のクリエイションが見 られるわけではない。ましてや後世の我々がいうところの「芸術」というジャンル、そし てその中の「絵画」というジャンルにおいてはなおさら稀な、むしろ特異な存在としてと らえられるべきであること。
ゆえに「〜世紀の〜美術は・・・」という語り口、「ドイツの絵画」、「ハンガリ−の絵 画」、「日本の絵画」というとらえ方自体が、美術、絵画概念の普遍性、恒常を前提とし ていて本論において真先にさけされなければならない形態である。 しかし、逆説的、ある程度そのような区切りのつけ方をとることにより、その虚構を自 白の下にさらす考えでもある。とりあえずは、芸術、絵画、彫刻という言葉をさけ、もっ と範囲の広い「クリエイション」という言葉を使用しているが・・・。
〈古代ギリシャ〉
古代ギリシャは西洋文明のル−ツの一つであり、遠く現代にもつながってくる。さらに 「芸術」とか「美」とか「調和」とかそのような「価値」の発生源であるとされる。
しかし、後世の人々から「最高の芸術」と讃えられていたとしても、後世の言う芸術観 からかなりズレたものであったと考えられる。まず一つに、後世の人々がギリシャの遺品
を「美の規範」としたとしても、あくまでそれは遺品、断片に過ぎず、当時の共同体から 切り離されていることで、モノとして自ずと自立した存在であるかのように印象づけられ
てしまうことである。
最も大事なのは、古代ギリシャにあっての建築彫刻やレリ−フ等のクリエイションはあ くまでサクリフィス(供儀)と混在する形でなされているということである。後世のごと
く美術館というものはなく、ほとんどは、神殿や公共の場の付随物として、個人や共同体 が神々や公、英雄(マレだが)に対して、捧げたものである。このサクリファイス−捧げ
るという行為、内的衝動が奉納者のみならず、作り手の心にもある程度宿っていただろう。
サクリファイスの衝動は、先程の考え方にすれば、典型的な自らを超えるものへ交わろ うとする−−A−−自己放棄的衝動である。自己の持つものを投げ出す行為である。奉納 品の多くは、動物や、労働で得た産物、象徴性の強いものなどである。ギリシャでも多く の文学の示すところ様々なサクリファイスがなされている。
この行為によって、人は神と交わり関係し、運命を占い、共同体を再構成する。サクリ ファイスは普遍的なもので、どこでもいつでも(日本では絵馬など)あるわけだ。
しかしサクリファイス的衝動−−自己放棄的衝動だけでは大いなるクリエイション−− 造形物を生み出すことに直結しない。そこにはギリシャならではの美の神話が必要であり、
このギリシャ的「美」への聖視がサクリファイスと結びついてはじめて、クラシックな遺 品が後世に残ったのだと考える。ギリシャ的「美」とことわりをつけたのは、単なる「美」
であれば、(金、宝石、美女、牛、花、他)を他民族のように供物とすれば足りるのであ る。ギリシャ人が目指した至高の美とは、人間性−−正しくは神性を基盤にした美であり
価値であった。神々は人間の身体をしていることから、人間性のうち、もっとも優れてい ると思われる身体上でのプロポ−ション、調和が美の規範とされ、さらに理性の内に神性
が宿るとする。神性がそれら人間の内の優れている部分に分有されていると考える。そこ では自らの優れている要素、あらわれとしての美(身体を基準にした)や、理性を最大限
みがき、追求することが神に近づく、崇高なこととされる。それゆえ哲学する行為や、美 を追求する造形行為が神性へ交わる行為とつながり、かつ自らの一生をそれに捧げること
でサクリファイス的行為となりうる。
古代ギリシャの最善の造形は、二重の意味でサクリファイス的衝動−−Aが宿っていた。 つくり手の美への探究、そしてその「作品」をつくらせた側の神への富の蕩尽。(先程か
ら言っているように、これ自体は造形物でなくともよい。)時代が下るにつれ古代ギリシ ャでも、職業として、芸術家と芸術、画家、彫刻家が自立していく。そのような時代にな
れば、ギリシャ彫刻も緊迫感を失い、技巧的な、繊細な様式にト−ンダウンする。
古代ギリシャの最善のクリエイションは、こうして@−−完全性の実現(自己拡大)と A神(大いなる物)との交わり(自己放棄)が合体したものであった。それはギリシャ独 自の美の神話−−人の身体、人間性の極致を神聖視するところから成り立っていた。そし て、Aの衝動が薄れていくにしたがい、造形は矮小化し、趣味的になっていく。それとは 反比例して、プロとしての作家性が強くなっていく。後世の者が、ギリシャ美術を考え、 規準として、美の規範とする時の過ちは、先に示したとおり、遺品を通してなので、Aの 衝動を軽んじ最初からあったごとく、芸術、彫刻、絵画というカテゴリ−を用意してしま うところである。
またもう一つの注目すべき点は、その後の「芸術」観を決定する「ナチュラリズム(自 然主義)」の原点がここにあるということである。美の聖視だけならば、先に示したとお
り、宝石、金、美女、動物の他に、宝飾品とか、銀でできた宗教用具とか工芸品、そして 建築物でもよいのである。ところが、神→聖性→完全な身体というつながりの神話がある
ことから、最も尊いものとしての人体(もしくは、人体比例から導きだされた[秩序、比 例、幾何学]を具現した建築物他)が位置づけられる。それゆえスポ−ツすることと同様
に造形としての彫刻、レリ−フ、絵画は、完全な身体を持った「神々=人体」を中心にし た表現となる。身体の模倣−−自然主義は、このようなギリシャならではの神話に深く結
びついていて、西洋人がこの神話から自由になるのは20世紀になってからだろう。西洋 美術の自然主義という語は自然に目で見えるように、そこにあるように表現するというこ
とだが、これだけでは多くの誤解を招く。あくまで、神性(自然じゃないもの)→完全な 人体、秩序を自然に見えるように表現することであり、なんでもかんでも見えるように表
現するわけではない。それでは表現の内実が抜け落ちてしまう。ゆえに写生とか写実とい う語と本質的に異なっており、その前提において「神性の表出」ということが暗黙の了解
になっている。この神性と人間の目の両義牲が自然主義といわれるクリエイションに混在 していることを忘れると、後述するように、ルネサンスのクリエイションを一面的にとら
えてしまうことになりかねない。つまり、中世(観念的)−−ルネサンス(自然主義)と いう対比において、自然主義から神性をぬきさり近代的な世界観を被せてはならない。古
代ギリシャもルネサンスも、自然主義は神性表出を暗黙の了解とする上で生きることがで きたのだから。ところで欠落を埋めるべく異界へ投影した全体性が古典精神のごとき人間
性そのものの上に立つ理想像と重なる神話のない他の文化では異なる様相を示すことにな る。後述するが、日本では基本的に自然信仰であり、自然に自らの欠落した全体性を投影
する傾向にある。その時、自然を切り崩して打ち立てていく反自然的な自己拡大−−@の 衝動と、Aの衝動が対立し、歯止めしあうので、なかなか超脱した有の所産があらわれに
くい。
私の考えでは、Aの衝動が何に投影されるかで、その文化のあらわれかたが大まかに決 まってくる。西洋古典精神と日本の違いは、大きく言って自我の内部へAを投影するか、
外部へ投影するかの差であると思える。(厳密にいえば、自我内の理性、知性の内か外で あろう。)
〈古代ローマのクリエイション〉
ギリシャ人の不思議なのは、すぐれた彫刻や神殿、哲学をはじめとした思索、文学を残 したが、実用品においては、他民族と比べそれほどの飛躍をみていないところである。
一方、ギリシャ文明の影響をうけ、それを全ヨ−ロッパへ浸透せしめたといわれる古代 ロ−マ文明は、実用品において大いなる飛躍を見た。 ギリシャ人の英知が実用の公共施設、大ド−ム、道、水道、さらに法律、社会制度等に おいて、それほどの役割を見せなかったのは、人間性の内における階層(価値のヒエラル ギ−)がロ−マ人にくらべ、狭く、きつく、厳密だったためではないだろうか。それは、 日々の生産や肉体労働に属する事柄を思考な理性の分野からしめだしてしまったためでは ないのか。 一方、ロ−マ人は、この実用的なテクノロジ−においてこれまでなしえなかった偉大な る人間力、人知、一つの理性を探究し、開化させた。それは人間の拡大、人間の勝利であ り、ギリシャ人と幾分同じで、幾分異なる範囲での神性と人間性の交わりであったのだ。
例えばコロッセウムやカエサルがガリヤやゲルマニアであつくらせたという橋は世界初 の純粋な自覚的実用建築なのであり、ただの実用品であるためにかえって逆説的に、実用
を超えた「文明」の偉大なるシンボルとなりえた。それは、これまでの人間を超えたとい う意味で超人的な聖性をおびることとなったのである。ここでもロ−マ人なりの神性→超
人→人間力の探究→クリエイションという神性との交わりの回路がある。ひとつのル−ル で世界を秩序だてようとする@と人間力の開化−−Aがロ−マの拡大とクリエイションへ
合体している。
〈中世ヨ−ロッパのクリエイション〉
サクリファイスへの余剰エネルギ−を「美」の神話によって造形に結びつけた古代ギリ シャに対し、中世キリスト教のクリエイションも、サクリファイスをキリスト教的神話に 結びつけることによって、教会、十字軍という垂直、水平の拡大を成し遂げたというより も、そうすることによってはじめて、中世ヨ−ロッパ社会ができあがってきたのである。
偉大なクリエイションは過剰な富の蕩尽が前提条件である。そして神性なる世界との回 路であるサクリファイスの営みを何らかの形で集中化し、「有の所産」に結びつけること ではじめて生まれ得るのだ。そこには、それを支える神話が必要である。
中世ヨ−ロッパでは、私的に地下の世界、祖先と結びつきつつ各々サクリファイスして いたものを、教会という一つのチャンネルに集中し、かつ、この世、神との契約、終末、
最後の審判という一回きりのスト−リ−にまとめあげてしまう。各人が各地に、死者の国 をつくり、富を地下へ持ち去るのではなく、富は教会を通して、最後の審判での神と己の
関係のための約束を保証する抽象的な絆となりかわる。このような世界観により、富は教 会にたまった。
キリスト教の文化がギリシャのような表現を偶像崇拝として否定したとしても、「無き
にしかざる」「有の所産の懐疑」にいたらないとすれば(しばしばその葛藤が繰かえされ る→ギリシャ正教の「イコノクラスム」やプロテスタントの宗教改革他)どんな神話によ
ってなのか。そこでは、神は野や山、木々、大地と切り離された反自然的というよりは、 非自然的な超越性を持っており、よって反自然的な人間力と正面から矛盾しないばかりか
キリスト教神話コ−ドに則する範囲において、Aの自己放棄的衝動をベ−スに、@の自己 拡大−−完全性の実現要求までが最大限に許されうる。 この非自然的性質は、教会建築以上に、その都市そのもののあり方に最も色濃く現れて
いる。ヨ−ロッパならではの教会と広場を中心にした、石畳の凝縮した都市空間は、徹底 した人工空間であり、人間精神において管理可能な極限的空間である。ルネサンスの遠近
法はこの空間をベ−スに生まれる。これは、聖書中の「天上のエルサレム」という理念と しての完全なる都市空間をモデルにしていると言われるが、当時の彼らにとって1つの秩
序を持った完全なる都市そのものが、神の国の写し、再現であった。ゆえにゴシック寺院 −Aの衝動、完全なる都市−−@を表し、教会と都市が一つになって@とAの衝動を一つ
たらしめていたと言えるのではないだろうか。
単純には言えないが、@とAの衝動のあらわれ、その合体は大に小に繰り返され、教会 そのもの、都市そのもの、教会と都市その全体に反映され、人々の内実に伴うものとなっ
ている。
ところで、古代ギリシャが人間的スケ−ルに完全性を希求していったとすれば、中世の 教会はあらゆる意味で、人間的スケ−ルを超えようとし(逆に人間性、人体を矮小化しよ
うともする)ている。その天上へ向けられた塔もさることながら外観、内観のめくるめく 光の戯れ無重力性は、人々にこの地上を忘れ、己の日常性を忘れ、ついに自らまでも忘れ
させる眩暈の感情を呼び起こす。教会外壁の各々のレリ−フには、各々の意味の体系があ り、読みこまれるものではあるが、実際それ以前に、人々に宗教体験−−1つの眩暈を呼
び起こさねばならない。その時、キリスト教コ−ドの偶像を刻んだレリ−フであろうと、 抽象的なコ−ランを刻んだモスクのレリ−フであろうと、同じ眩暈を導く装置として同じ
役割をはたすことになる。いわばこのような宗教建築の意志は、人間性、地上性、意識を 眩惑し、超越するために、人力の粋を凝らすという一種倒錯した性質を共有していること
を、ここで触れておく。
この宗教性→眩暈へ向かって、@−−神の国の実現(自己拡大)、A−−神との交わり (自己放棄)という2つの矛盾する衝動が一つに合体しているといえる。
《ルネサンスのクリエイション》
ルネサンスの特異な時代を近代への一歩として位置づけしないこと。造形においては特 にルネサンスがではなく、ルネサンスの挫折が近代を用意したのだということ。
人間中心の世界観とは、人間が一番で、人間だけがいるというのではない。例えばネオ プラトンズムにおける一つの観念では、天(神)と地(動物、物質)の間に人間が存在し、
上にも下にも近づくことができ、かつそれを繋ぐ存在にもあるというそういう中間の存在 としての人間中心であって、天を否定したわけではない。むしろ、天と地、神と人を仲介
し、結びつけようとしたのである。この理念をベースに、人類において記念碑的なルネサ ンスのクリエイションを見ていこうと考えている。
芸術という観念、絵画という観念は、ルネサンス以前はほとんどないか、忘れ去られた 観念であり、ルネサンスにおいて再生、発生し、生きることができたのである。このルネ
サンス人の希望、「天と地の交わり」の中にでこそ、芸術そのものが、絵画自体が、遠近 法が意義を持ち得た。この事実を無視したなら、なぜにルネサンスが一度しかあり得ず、
なぜアカデミーが受け継げなかったのか、なぜ今日造形芸術が死を迎えているのか、その 全てを見失うことになると思う。
ルネサンスのクリエイションは、特に絵画において考えたいが、大きく五つの次元で考 察していくことにする。
(1)イコンの実体化→自然主義の再生
ルネサンスは古代の復活を希求したのだが、古代ギリシャと異なり、唯一神キリスト教 を持ち、かつ、中世都市空間をもっていたのでおのずとそのクリエイションも違うかたち
になったと考えられる。
平面的なイコンや祭壇画への執着は、キリスト(ロ−マカトリック)教の偶像崇拝に対 する中途半端な態度、消極性から生まれた苦肉のはけ口であったように思う。ゆえに、そ
れは古代ギリシャ彫刻に比べ、より非再現的、非実体的な平板さを選びつつも、次第次第 に平板なものとしての実体的価値を増し、かつより再現的、より自然主義的な現実感を獲
得していくというまことに奇妙な「進化」をとげることになる。
ゆえに、その後展開するルネサンスのもろもろの絵画、彫刻は、量感豊かでありながら、 きわめて正面性(一つの視界から見られることを前提としている。)が強いといわれてい る。いわゆる古典主義的な正面性の強いまとまり感も、ファサードや祭壇画、十字架のキ リストの表現形態に由来するだろう。それは彫刻でありながら、絵画のように、絵画であ りながら彫刻のようにいわばレリーフ的性質にある。
古代ギリシャの絵画が残っていないのでわからないが、おそらく平板な絵画に対しキリ スト教のイコンのような実体的価値、信仰心を持ちえないように思われる。ルネサンス芸
術の最大の偉業である絵画の自立と発展は、あくまで古代とキリスト教の伝統の複雑な抑 圧と結合を前提としてはじめてあり得るように思う。
ところで中世的なサクリファイスを基盤にした、@とAの合一は、あいかわらずルネサ ンス、十五世紀以降も存続してはいた。ただ、新たに自然主義の復活、聖書神話により現 実的な表現を導入することは、その造形行為それ自体の中に、@神話世界のリアルな現実 化、A神話世界への交わり、という@とAの合一を実現しえている。自然主義表現の増大、 深化は、チマブエ、ジョット、マザッチオ、レオナルドと数百年のルネサンス絵画全体に 通底しているものであり、それは、天と地が交わり調和することを希求したルネサンス精 神を最も端的に反映している。その意味で内実の伴った自然主義の原点を示している。自 然主義は、ここでは後世のごとく単に様式として、習慣としてあるのではない。それは、 「造形」を通して神性と具体的に交わろうとする至高のテクノロジーであった。造形はま だ宗教性から分離していなかった。
(2)遠近法
ブルネッレスキによって見出された遠近法は、マザッチオによって聖母子像、三位一体 十字架図、聖書物語等、つぎつぎと伝統的画題に導入されていった。その重要さは、言っ てみれば、絵画に遠近法が導入されたのではなく、中世以来の表象世界に遠近法が導入さ れることで、後世でいう「絵画」が生成してきたと言えるところである。(同時に後世の 絵画観を越える次元も想起される。)マザッチオの絵は、後世から見れば、一見変哲のな い愚直な絵に見えるけれども当時の背景をもとに、よくよく考察していくとき、いかに一 作一作が絵画そのものへの実験の積み重ねであり、一作一作が「絵画」という表現自体の 飛躍であったことがわかる。ここで精細に述べられないのが残念である。
遠近法は、よく言われるように、主/客の分離、見る主体の自覚、世界の数量化合理化、 という人文主義的近代的な意義でありえたわけではなく、それは結果の一つでしかない。 むしろ、聖なる世界と現実の世界をより理知的に交わらそうとする極めてルネサンス的理 念が流れている。
幾何学は、それ自体現象の背後にあるような形而上的なものである。中世でも尊ばれ、 様々な聖表現において、二次元的に投影されてきたわけだが、現象世界とは別の次元の抽 象世界を三次元世界の中で具体的に展開することを可能としたものが、線遠近法である。 それは、よく言われるように、知覚の幾何学であり、幾何学の人間化であった。つまり、 形而上世界と形而下の世界の結合の意味にあった。また別なレべルから考えれば、遠近法 のベースになっているのは天上のエルサレムを模したキリスト教圈の中世の人工空間−− 都市である。阿部謹也氏によれば、中世の都市から近代の「公」の意識が芽生えてくると いうが、この人工的秩序においては、神が目に見える形でいなくともその秩序のすみずみ に偏在する形で一般化され、それが「公」の意識へつながってくるということである。つ まり、その秩序そのものが聖を帯び、かつ世界観の基盤、認識の基盤となっていく。この 都市の暗黙の秩序、システムを画面へ、平面上にそのまま持ち込んだのが遠近法的作画シ ステムである。
それは神が描かれなくとも、神が一般の人間と同じく小さく、脇の方へおかれても、一 つの全体なる秩序を実現しうるものであった。都市全体に偏在する公の意識と同じように
画面上のあらゆるものは、一つの焦点から発する秩序を映しだしていく。それは形而上の 幾何学と天上のエルサレム神話と形而下の都市秩序に裏付けられた崇高にしてリアルな世
界像だった。
このように遠近法自体、神性にして現実的な両義性を孕んでいた。この両義性は、ネオ プラトニズムの天と地の中心に位置する人間存在の両義性とパラレルな関係にあるようで 興味深い。マザッチオはこのような遠近法自体の持つ両義性を駆使して、聖書コードをよ りリアルに、そして同時により崇高に表現しようとしている。それは、世界認識における 一種の空間体験装置としての絵画が発生している。これ以後、絵画は空間装置−−一つの 世界観、世界認識をイメージとしてよりも、空間として示す道が用意された。その点フラ ンドル絵画や後期ゴシック、そしてその影響の濃い、多くの十五世紀の描写上のリアル化 とは一線を画するといえる。
このような遠近法−−空間体験としてのメディアとして絵画を位置づける作品は、大変 少ないように思える。ましてマザッチオのように遠近法の使用が単純素直にしてその表現 内容に直結し得る例は稀である。ピエロ・デッラ・フランチェスカにしても、ウッチェロ にしても、複雑な遠近法の探究の跡が見られるが、表現内容と分離していくように思われ る。遠近法的まなざしの聖性は、一瞬しか続かず、あっという間に神話を世俗的、リアル に再現する一つの方法になってしまうか絵画表現から遠近法の複雑な探究が分離してしま うかするように思う。
(3)調和
完全な身体がそうであるように、画面上の秩序は、完全な調和を持ち、余分なものがあ ってはならず、全てが造形的に必然性を持って関係づけられた秩序であること。このよう な画面秩序が、遠近法と幾何学にダブりつつ実現されていく。それは、聖書上の人物が描 かれているから聖なのではなく、画面秩序そのものが一つの聖性を帯びた構築物であるこ とが希求されている。このような理念は、当時の都市空間や自活都市国家フィレンツェの 共和制の社会的なきわどい調和への理念と現実感覚とダブって考えられるべきだろう。共 和制が崩壊すると同時に、このような秩序感覚の現実性が崩れ、アカデミーの中に「芸術」 という現実でも宗教でもない第三の世界へ形式化していってしまう。いずれにせよ、絵画 における古典主義の原点はここにあり、これは古代ギリシャの「美の神話」の延長、絵画 版であり、造形芸術において、@とAの合一を保障する長きに渡る西洋独持の神話である。 しかし、古代ギリシャの彫刻や神殿においての実現に比べ、絵画上のそれは、常にポーズ、 身振りの大げさな演劇性、形式化に陥りやすい。それは、常に現実性、リアリティを失う 危険性を持つ。なぜならば、このような抽象的な幾何学的秩序世界は、本来再現的自然主 義表現とそりがあわないものである。このように自然主義的表現と人工的幾何学秩序が重 ねられる奇妙な「有の所産」こそ、西洋の世界史上特異な絵画表現を生み、かつそれを普 遍性の名のもとに支えつづけてきたのである。
(4)造形と科学
ゴシック後期から顕著に見られる外界への好奇心、自然、大地の事象への現実的な関心 がルネサンスの自然主義表現へ影響している。レオナルドが徹底したフィールドワークの 中から、作品を作りだしていったのは、その極致であろう。人体、自然界の中へ、神の調 和、秩序を希求し、しばしば挫折する。冷徹な科学的まなざしは、ルネサンス的理念(幾 何学的調和)と大地の実際との多くの矛盾、深い謎を露呈していったと想像される。だか らフィールドワークにのめり込み、かつ動揺させられつつ、制作が中断することが大変多 かった。 レオナルドの苦行の中に、芸術と科学そして宗教の統合された最終的局面を見る。科学 的探究心は、まさに創造主、宇宙との交わり−−Aであり、それに裏付けされた形での絵 画世界の実現こそ、創造主の孫がこの世に生まれる−−@ことであった。
このような自然観察に基づく知識と思考が、先の古典的幾何学的調和に結びつく時こそ、 西洋絵画の極限的理想像が誕生する。レオナルド以後、科学、宗教、芸術は、空中分解を
し、各々自立的に歩みはじめる。それ以後の芸術は、レオナルドのレベルでのスケールも 探究心も持ちえない。芸術、絵画というジャンルが職人工房から自立し、組織されてくる
のはこの頃であるが、これは、大いなる虚無である。つまり芸術は、生まれると同時にそ の母体となる理念はほとんど死に瀕していたのである。
(5)ゆがみ
遠近法や古典的秩序の聖性と現実性の結合は、長くは続かず形骸化し、あたりまえの、 しかも、虚構性に陥る。ローマカトリックの世俗性が、ルターによって批判されるのと時
を同じくしている。もはや上記の「方法」では、造形−−有の所産からAの衝動が抜け落 ちざるおえなくなる。岸田秀は次のように述べる。「強い自我」とは、「神の『強さ』が
いくらかは自我に移っているが、まだ神にも残っているという過渡期の危うい一瞬の間し か存在し得ない。」「その一瞬の一瞬前には、自我は神に隷属した無力な自我(他の人達
に対しては『強い』が)であり、その一瞬の一瞬後には支えを失って宙に浮いた自我であ る。」ルネサンスにおいて近代自我が芽生えたとするならば、このコトバほどルネサンス
の危うさ、はかなさを言いあてるコトバはない。神に隷属した無力な自我とは中世の自我 であり、支えを失って宙に浮いた自我とは、ルネサンス終末の、特に共和制の夢が消えた
にもかかわらず高度にソフィストケイトされたフィレンツェ市民のよるべのない自我その ものである。 この時「造形芸術」は、最初で最大の、そして今日まで永遠に続くところの危機、本質
的矛盾に直面した。まさにそれは「有の所産」の本来的矛盾である。ルネサンスに見い出 された「造形芸術」の母体は、このような一瞬の危うい精神世界に根づいており、後世か
ら見られるような普遍的、恒常的なものではないのだ。
マニエリスムと呼ばれる人々の作品では、意識的に、遠近法をオーバーにしたり、複雑 にしたり、歪ませたり、無視したり、また古典的調和をズラし、崩していく。そうするこ
とで、逆に、絵画の世俗化に対しては超現実的に。絵画の虚構化に対しては、現実的不安 定を導入することとなる。カトリックの反宗教改革への対抗としての非世俗的神秘性の強
調という方向ともリンクしていく。しかし、ここでは人工としての造形行為を支える古典 的神話が半分以上屈壊してしまっている。知性と理性、完全なる身体比例に裏づけられた
人力への聖視が根本から揺らいでしまう。マニエリスムの画家にはその不安と絶望が感じ られる。ここからルネサンス的クリエイションもしくは本来的なとも言うる造形芸術その
ものが衰退する。
〈絶対王政化の芸術〉
ヴァザーリは、ミケランジェロを頂点とするルネサンス(フィレンツェ)芸術の一連の 成果を集大成し、アカデミーを組織する。これは、その後ヨーロッパ中の宮殿へ波及して、
各王立アカデミーの基礎となっていくとされる。自治都市国家の市民から、絶対王政下の 封建領主の宮廷内へ芸術は居を変えたわけだが、今まで述べたようにそもそもルネサンス
に見出された成果のほとんどは、自治都市国家フィレンツェ共和制の理念と現実、風土に 由来しており、まさに形式のみが輸入され存続したと言っても過言ではない。そこでは宗
教権力にかわる世俗権力の地位の聖性を示すシンボルになる。いわば古代の自然主義的表 現が形式としてとり入れられかつ、その形式−−古典形式自体が特権階級のシンボルとし
て権威を持つようになる。つまり古典形式をとること自体が−−A(神聖との交わり)を 実現してくれる。
実際のところ王宮のクリエイションでは、古典主義の静かな調和、人間的スケールとは かけ離れ、超絶せる大きさ、眩惑的きらびやかさに至っており、形式のみが、古典主義に 由来する自然主義的人体像であるにすぎない。ここでは、非地中海的な、そして幾分ゴシ ック期の宗教建築のような「眩惑」の感情を人々に呼び起こす点、一種の宗教的クリエイ ションに近い。それをルネサンス以来の自然主義的表現においてなされている点、奇妙な 「複合建築」になっている。逆にいえばこれこそがもっともヨーロッパ的「芸術」像を生 み出しているのだ。それは、内実のともなわない複合建築的クリエイションである。つま り、知性と理性の自然主義的理念と、非理性的な「眩惑」とは、相矛盾するのである。古 典、自然主義形式を採用することで、Aの内実を保障してくれているようで、実は、バロ ック的「眩惑」によってAの内実を満たしている。しかし造形することの後楯には「眩惑」 ではなく、古典形式採用とその神話を建前にしているというねじれた分裂。「有の所産」 を残すパワーは、温存できたとしても造形自体における内的探究と内実は、分離し、虚構 化、演出的になっていく。
〈バロックの光〉
レオナルドは、空気遠近法やスフマートでもって、人体を光、水、空気の影響下にあら わしめた。それはある意味で、至高の人体、完全無欠なフォルムへのフィレンツェ的理念
の外へ出てしまうことだ。以後、人体、フォルムは常に光と闇と同等、もしくはその影響 下に翻弄されていく。ここで、次第にウエイトは、人体、フォルムから光へおかれていく。
しかし、その光は中世キリスト教の光とは違って神聖であると同時に、現実を照らしだす リアルな光でもある。天と地を結ぶルネサンスの両義性は、光の両義性へ生きながらえて
いく。光の表現を強調することによりリアルでかつ神性な感情を定着することができた− (明暗法)。
レンブラントやフェルメールが世俗的なフォトグラファーに陥ることがないとすればそ の光の神秘性においてであり、かつカラヴァジォが演出的虚構に終わらないとすればその
光のリアリティによる。 〈新古典主義〉 フランス大革命とナポレオンの登場は、芸術の担い手を貴族からブルジョワ市民に移し た。フランスの絵画と古典主義は、今度こそ原点に戻り、現実に足場を持つことによって
@とAの合一が可能となる。しかし、ナポレオンの陥落が早く、古典主義の絵画は充分の 成熟に達することができなかったように思う。ダヴィットの弟子アングルの時代には、す
でに時代は変わってしまっていた。必然的に新古典主義は形式化し、新しい支配階級のス テイタスシンボルとして、ちょうどルネサンスの成果が絶対王政下で湾曲され虚構化され
ていったのと同じような結果をみた。
〈新古典主義以後〉
ナポレオンとその理念は、一つに本来的人間像への回帰であり、本来的人間像とはフラ ンス三色旗の、自由、平等、博愛といった古典的でキリスト教的なもので、基本的に、知
性、理性に属するものであった。しかしその挫折を味わった市民は、宙ぶらりんの よる べのない状態におかれた。しかし逆にそのために、フランス、パリがようやく地中海の呪
縛からとかれ、独自の重大な歩みをはじめるのである。自然主義文学をはじめとする多く の重要な芸術作品におけるテーマが、古典的な意味での本来的人間像から別次元の隠され
た真実像にせまっていた。それは、本能、欲望、生命力、無意識、運命、個の固有性、自 然、日常性、貧困、非ヨーロッパ、オリエント、等といった古典的世界、サロン的世界か
らはずれた「外部」へのまなざしであった。(古典的虚構にあこがれる新興ブルジョワ市 民に非難されつつ好まれもしたところのものであった。)
非古典的世界像での出発点は、ちっぽけな自己の確認である。自己がそのちっぽけな自 己を意識化する段階で、大いなる外部へいやおうなく、その自己の身をさらさなければな らない。その時の自己のとりうる道は、単純化すれば以下の2つに限られる。そして、こ の2つは、しばしば一つの作品、一人の人生、一つの行為に混在するアンビバレントなも のである。
【Α】非理性の外部へ、理性でのりこみ理性の支配領域を広げていく。
【Β】非理性の外部と交流する−−非理性的な人間の在りかたを希求する。
【Α】はまさにナポレオン的かつ、近代帝国主義的なものとつながっていく。それは、 形こそ変われ、近代そのものであり現代まで直結するのである。−−@
ちっぽけな自己が自己の世界の聖性、完全性を実現するのは、外部への希求−−A、そ して外部の支配−−@、を通してはじめて可能である。それゆえに、外部を加速度的に浸
食していくことになる。@とAは永久に分離したまま、イタチゴッコのように追いかけあ う。それは前方へ加速し続ける永久機関のごとくである。「進化」、「発展」することで
もってはじめて生き続けられるアナーキーなしくみである。そして本来的自己、世界は、 未だ見果てぬ領域へ投影されることで、「進歩」、「発展」そのものが価値づけられる近
代特有の精神状態が生まれる。
ロマン主義は、生命、野性、愛欲、オリエントへ、リアリズムは今までかえりみられな い日常の事象へ、バルビゾン派は自然へ、後述するがマネ、印象派もその流れにのってい
るが、絵画形式という外部への探究が重ねられていく。
【Α】の状況の問題は次のとおりである。
非理性−−外部へ −−−A
完全性の実現(外部を理性で支配)−−−@
理性の外部に引かれ、しかし理性でもってしか我物にできない。実現したものは常に否 定されるべき理性の枠におさまるのでAの衝動を満たすことができない。永遠の分裂、永
遠の不満、破滅、古典主義の時代、もしくは古典主義が信じられていた時代、理性そのも のが聖性と合一していたため(そのような一つの神話が古典主義、そして中世神学)一定
の安定を保っていたわけである。近代主義は、閉じられたコード(神話)をひらいたもの にしたと言うが、まさにこのことであって、開くことと、不安定はここでは同義である。
このような心情においては、作り手も見る側も常に外部を志向せねば内実を保てない (Aが消える)ため、新しいもの、今だ見ぬものへ進出するハメになり、同じ次元の作品
を二度と同じレベル(内実)で作ることができなくなる。作品の内実を保持するためには、 次から次へと未知へ突き進むほかない。
さらに、非古典主義以後の表現における矛盾は、主題と形式の分離現象が、この時(本 当はルネサンス後期のマニエリスムの人々で)以来、現代まで続くことになったことであ る。 古典主義−−人体中心(人間性)の美の神話では、自然主義表現、画面構築、調和、絵画 そのものの存在、主題(古典モチーフ)がセットになり結合していたわけである。主題の 聖性、リアリティが死ねば、調和も自然主義的表現形式も、絵画そのものの存在の必然性 までも揺らぎ見失うこととなる。本来、芸術イコール古典主義、もしくはそこに発生する 神話なのであった。
ジェリコーやドラクロワ、クールベが、非古典的世界にひかれつつ、自然主義的表現、 構築的作品(有の所産)を示すのは、ある部分「芸術」という残存要素の慣習的使用にと
どまらざるおえない。非古典世界においては、「有の所産」へ結実する安定した形式を欠 いている。 芸術形式の側へ立つなら、主題、それを支える内容に欠いている。まさにこのような実
に現代的表現の混迷は、この時はじまっていたのである。(というよりルネサンス後つね に宿命的にそうだったわけだ。)
〈クリエイションにおけるモダニズム的要素〉
主題と形式の分離は、クリエイションを成す動機づけの大義名分をおびやかし、画家自 身の存在定義もおびやかす。「小さな自己」が、外部へその「あだうち」に血眼にならざ
るおえないことは先に述べたが、(しかもそれが「有の所産」に結集することは自己矛盾 である。)ここにいたって最大最強、最終的ないかにもヨーロッパ的な神話に結実するの
である。つまり、目標領域を下層民やオリエントという外部にするのではなく、これまで 主題の背後に隠され続けてきた、灯台下暗し的外部、芸術形式、絵画形式自体の固有性へ
設定すること。
真の絵画へAの衝動を向けることで、未だ見果てぬ真の自己自身の実現が重ねられるこ とになる。ここで、クリエイションの動機づけの無さ→自己の存在不安が一気に解消され
うる。作品をつくること@自体がAの大いなる領域との交わりを実現するので、@とAが 合一することとなる。いわゆる芸術のための芸術的要素は、 近代において、内実のともなったクリエイションを実現するほとんど唯一の方向となら
ざるおえなかった。ロマン主義的孤独な自己、隠された自己が、自己実現の神話において 芸術内部形式の探究に結びつくとき、「モダニズム的兆候」が生まれるべくして生まれる。
この方向が、画期的であった証拠に次から次へとおびただしい優れた作家が十九世紀後半 〜二十世紀初期にかけて現れたことだ。それは、クワトロチェントのフィレンツェ、古代
アテナイのクラシック期につぐ3度目の大転換期であった。マネや印象派、スーラ、ゴッ ホ、ゴーギャン、セザンヌ等、それ以後の重要な作家のほとんど全てにこのモダニズム的
兆候があり、露出してくる。しかし、それに終わるわけではなく、様々な矛盾をも抱えて いた。モダニズム的兆候そのものが優れた作品の指標になるわけではない。むしろ人体中
心主義、自然主義表現を離れた、より根源的世界像への欲望と探究が重ねられる形で優れ た作品が生まれていった。それは、抽象芸術に顕著である。
〈問題点〉 Aの衝動を、芸術言語の固有性へ投影すればするほど、閉鎖的、マニアック的、非現実 生活的な結果へいたってしまう。なぜなら芸術形式自体は、自然や神と違って所詮人工物 であり、かつ絶対にいつの世も誰にでもなくてはならないものではないからである。それ は未知であってもたかが知れているし、美術関係者以外(隠された自己を美術以外に投影 している全ての人)に本質的な問題とはならない。枯渇するし、行き詰まるし、一般の人 から分離してしまう。しかも、他の近代主義と同じく、絶えず未知を未だ見ぬ絵を追求す ることでしか、絵の内実が保てないので、加速度的に各人各様、細分化していく。戦後の 美術もこの延長にあり、美術は美術自体を問いつづけることでかろうじて内実を保ち得る ことができた。イメージ、アクション、物質、身体性、配置等のいままで造形芸術の統一 体としてあった、様々な要素に他者性、外部性を見い出しつつバラバラに分解し、とこと ん掘り下げていった。
結果として、造形芸術は、表現領域を拡大していったようでありながら、コナゴナに日 常性に溶解して行き着くところまで来てしまって久しい。これは、古典主義屈壊後、前述
した【Α】の立場から、必然的にたどり着いたモダニズム的神話(支え)の必然的な結果 である。
近代フランス、パリから生まれたモダンアートの強い光は、自分自身の身体を焼くこと で生まれる光に似ている。身体を焼きつくした後、自分自身もまた、光とともに闇に消え
ていく定めなのであろうか。
《日本のクリエイション》
先に記したように単純化して問題を際立たせるならば、日本人の欠落した自我は抽象的 で理念的な唯一神や人間自身の「すぐれた」要素−−知性、理性、完全な人体に、その完 全性、全体性を求めようとはしない。
それは、具体的で反人工的な自然に象徴される外部へ投影される。岸田は日本人の性質 であるホンネとタテマエの使い分けが、世間、社会に依存している心理からくるというが、
もともとは、自然依存であった、と私は思う。そして具体的な自然は、日々の物質的生活 の場でもあるため、キリストのように単なる自己放棄のみを向けることができないし、そ
の日々の物質的生活の源であるための聖性をあわせもつ。よって日本人が自然に対する方 向は、二面性を持ち、くらしをたてる−−@自己拡大、くらしのルーツ(自らの)−−A
自己放棄、分裂と統合にある。神社や祭りにおいて、空間と時間を社会的にわけることで、 @とAの衝動をわけ、且つトータルとして合一させてきたということができる。ゆえにホ
ンネ/タテマエという言い方は、少しマズイ。ホンネだけでなく、タテマエ→自己放棄衝 動的行為も自ら進んでやるのであり、それによってはじめてよりどころを得て、心の平安
を得ることができた。自己拡大、自己放棄、どちらも人間にとって最上のエクスタシーな のだから。どちらもホンネなのだ。 この様な日本人の精神では、(抽象的、超越的中心をつくった天皇制、近代日本は別と
して)非自然的、反自然的行為は、日常の必要次元においてのみ成され、成されても、西 洋のように高貴さ、聖性はおびない。2つの衝動が、@−−反自然的、人工的営み、A−
自然、というように振り分けられ、歯止めしあうため、合一してエネルギーが直線上に有 の所産に結実することはない。
よく「日本には工芸があっても芸術はない」と言われるのも、ここに起因していて、日 本では、つくる−−人工、人知が、高貴さ、聖性、超越性、神、から分離していて、結び つき難い。それは、つくる行為が反自然的行為だからである。逆に、日常の必要物、何か 実用的な意味づけがあるジャンルにおいては、あらゆる人知、労力、才能が発揮され、次 第に実用を越えた過剰なる工芸が生まれていく、倒錯したところがある。そのようなわけ で、明治維新まで、実用品をはなれたところでの、かつ、宗教を離れたところでの別次元 の概念−−「芸術−対応するような発想は」希薄であった。
〈無きにしかざる〉
人工から遠ざかることでかえって全体像、完全性へ至ろうとする究極は、冒頭で述べた。 芭蕉や良寛の無きにしかざるの精神である。いわば造形−−有の所産には結びつきにくく、
大変きりつめたものか。その放棄へ向かう。 〈外来のクリエイション〉 中国の律令制度、平安京、仏教建築、近代文明、芸術、等々、我が国において、構築的
で人工的クリエイションのほとんどが、外来からもたらされたものである。
仏教を例に考えるなら、仏教がもたらされたとき、それは、内容云々以前に、国家支配 の一つの法として、使用され広められたのであった。その新しい、土地に縛られない中央 集権国家のシンボルとして、民衆の心にインパクトを与えたものは、壮大な仏教建築の構 築性であっただろう。そして、その構築性は、日本人の外からきたものであって、内発的 なものではなかった。 それは、外の世界−−唐、天竺といった神話的領域に発する普遍の法であった。ゆえに、 外−−自然への聖性と同様に、聖性を感じ、神仏混合ができるわけである。だから、外来 の構築性に、自然に対する時のように、超越性とありがたさを感じることができるのであ る。明治も同じであって、より進んだ文明のシンボルとして、鉄道や近代建築の構築性が 有りがたがられもしたのである。
日本人は、自ら自身の内発的な構築性には聖性を持ちえないが、自らの外の外発的構築 性へは、自然に対すると同様に、聖性を付与することができるのである。
これは、日本人のみならず、多くの自然信仰的文化にいえる問題であろう。問題は、日 本人は実用レベルのワクを越えたところで内発的構築性を持てるのか、同時にそれに聖性
を付与し得るのだろうか。空海や最澄が仏教改革をしたり、鎌倉仏教が、民衆に根づいた りといわれるのを考えると、常にそれは、山にこもったり、大寺院から外へ出、諸国遍歴
したりという具合に非構築的、非人工的回路へ向かうことによっている。
〈世俗的権力〉
日本において、構築性が内発的に展開される非実用的例として、封建領主の城、天守閣 があげられよう。(もともと実用的だったが。)巨大な天守閣の構築物は、もともと織田 信長の安土城からきているが、この建築は、日本において珍しい。五重の塔を超える(仏 教を超える)六重構造を持ち、自身が神となることを、意図したといわれる信長は、聖と 俗が合一した内発的構築をのこした−−すぐ焼けたが。(日本においては、巨大一権力の 象徴−−破壊というパターンが常々あるので、巨大なものは残らない。)それを継承した 秀吉のクリエイションは、安吾の言うごとく、西洋のクリエイションに比されよう。が、 しかし、それはどこの国にも時たまある絶対王政−−権力者のクリエイションであり、命 令をする人−−自己拡大と、労働するひと−−自己放棄が分裂しているので、権力者とと もに滅びるクリエイションなのである。それは、人間一般の普遍的次元での人工が聖なの でなく、ただ一人の支配者の人工が聖であるにすぎない。
〈投影、幻影としてのクリエイション〉
山水画、文人画、など、日本の「絵画」的→平面的クリエイションは、多くの人の言う ように、西洋の「絵画」にくらべ、実体性、物質としての聖性に乏しい。表現されるもの
と、表面の一致、「連続性」が、西洋絵画の理念として、暗黙のうちにあるのは、おそら く、キリスト教に由来するイコンという平面の物体性への信仰という奇妙な屈折からきて
いよう。これに古典精神が結びつき、芸術、絵画が組織されたことは先に述べた。 日本の平面は、作品それ自体が、信仰の対象となったり、世界そのものとなる実体性に
乏しい。むしろ、外の世界、そとにある理念、自然、理想郷を、家の中に、物質に、人工 に、一つの方便として、「投影」するという趣であり、峯村氏の言うように、「不連続」
である。というのは、日本人の心性において、常に尊きは、外にあるという前提があるか らであり、「これ」という迫力はありえない。また、やむなく人工物において、理念を表
出する場合は、より外からの投影であること、−−より虚像的、幻影性を重んじ、また、 できるだけ非物質性、非実体的であろうとする。非実体的であることによって、かえって
「外」とのつながりを接続することができる。西洋のような至高のクリエイション、@と Aの合一はありえない。 @の多くの部分を、余白、物質、筆の点々、庭づくりでの石や水、木、他、見る側の観
想に委ねてしまい、人力の痕跡を消そうとする。このような性質は、(結果的に人工に対し自然的だが、半面自然に対し、人為的なねじれた有の所産が生まれる)全て日本人の自
我の投影が、外、自然にあるからにほかならない。
日本人の「有の所産」が、神性と結びつくとすれば、常に、このような有の所産の属性 である多くの要素−−人力、実体性、労力を排除することを条件とする。日本の有の所産
の「オリジナリティ」は、このような本来、有の所産へ至り難い矛盾に発している。不連 続性は、有の所産の基本的属性である人力といわゆる外部性の非合一性にきており、日本
の有の所産は、外部性は外部性として、導入され、また、有の所産は、外部性をかりに呼 び込むための方便として存在する場合が多い。その必然性、価値が、有の所産への営み自
体に希薄なため、常に有の所産は、無きにしかざる精神から強迫されて揺らいでいる。日 本のその特長は、決して人力による優れたる部分によるものでないので、自然信仰と有の
所産の必然的で独自な関係のありかたを無視したところで、その特長のみを今日の表現上 (例えば、西洋美術の文脈)にとりだせば、ただの形式的な模倣に終わってしまう。
西洋では、先に記したように、古典主義−−人間の良いところ=神性という理念に基づ き、Aの衝動に、古典様式を介在させ、クリエイションを支えようとしていく。しかし、
古典様式は特権階級の欲望実現の建前として機能し、実際は古典性よりも、超人間的な大 きさ、豪快さ、過剰さへ向い、これも大変ねじくれたものとなっていく。西洋の「芸術観」
にはその理知的な理念とはうらはらに、このねじれが宿されている。そのようなわけで、 @とAがまことに結びつくクリエイションは大変稀である。日本、西洋の多くのクリエイ
ションは、内実と形式がねじれ、分裂し、しかもそれに無自覚なものである。
さてここでいかにも図式めくけれども、日本の文化観の欺瞞の構造を対置して結びとし たい。
まず、クリエイションの前提、@自己拡大−−完全性の具体化、A自己放棄−−未知と の交わり、を確認する。
日本では、先に言うとおり、@とAが分裂している。しかし、A の衝動として、自然、無為、型、日常性を介在することで、工芸、伝統芸能、茶道、そし て諸々の日本固有の建築、庭園、書画、仏像が生まれる。しかし、問題は、ほとんどの場 合そのAへの介在が「建前」となってしまっている点である。世俗性、俗、権力を自然や 平凡の記号で隠し、裏ではそれを、豪華さとともに主張するようなねじくれたものとなる。
自分の外を尊ぶ性質は、様々なレベルに見られるように思う。自分の内、自意識、作為、 意欲、試行錯誤を軽んじ、自然−「自ずから」、無為、無欲、非人為性、平凡を尊び、逆
転して日常生活のあるがままを尊ぶ性質もそれであろう。このようなところで工芸とか、 茶道とかが「芸術」に対せられてしまう。柳宗悦の『民芸論』は、ひたすらに「実用の美」
を強調し、西洋から輸入された芸術概念に挑戦的になるのもこの性質による。また、自意 識、人間くささ、人力を軽んじるところから、様式美とか、「かた」が尊ばれ、人為的な
ものでも人為性、私性が消されればありがたがられる。(さらに今日では、作者の名が入 ればなお逆転してありがたがられる。)これは、工業製品、既製品の非人間的な品が好き
な日本人の性質につながるものだろう。「日本画」でも下絵や試行錯誤の手の跡は見せな い、今日の「発注芸術」ともつながる私的なイメージが、工業の製品的な手法で生み出さ
れ、一種の一般化の幻影が生じてしまう。構築物をつくるとしても、その構築性はスルリ とすり抜けて、物だけ突然現れでてくる。 様式や型がありがたがられる一つの要因は、その表現が自分たちと同じ世俗のドロの中
から生まれる源を遠い次元へ隠遁し、秘密めかすからである。人間が世代交代し、「型」 のルーツが遠くなればなるほどありがたがられる。(実際はルーツから遠ざかるにつれ、
表現の内実は空洞化するものだが。)ひとたび「かた」が成立すれば、雪だるましきにあ りがたみが増大していく。日本人ほどものを平気で捨て去る民族はいないが、日本人ほど
長きにわたり無批判に「かた」をありがたがる民族も珍しい。天皇制が一つの「かた」信 仰の例であることはいうまでもない。
このように、日本においては、自然信仰と仏教がリンクする形で@−−完全性の人力に よる実現衝動への自己批判が大変強い。ゆえに日本の造形は、常に外来の模倣を別にすれ
ば、直線的に欲望を上や遠くへ押し広げていくものではなかった。むしろ、一度@を否定 し対象化するところから、またそれを肯定する円環的なもので、常に、空−−外部性を外
部性として宿している。常にそれは欲望と無を行き来し、揺らいでいるのだ。
《今日の地平》
今日の多様な表現の模索、特にここでは我が国の造形表現において大変ラジカルな試み を行ってきた。何人かの動向を誠に単純ながら本論の設定した問題意識の上で追っていく
ことにする。
本論の設定した問題意識とは、「造形」を聖化するというヨーロッパ的神話を前提とす ることなく、より普遍的立場でクリエイションの内的構造を見ていこうとするものである。
そしてクリエイションが大きな有の所産として結実するには、常に分裂している2つの根 本的衝動、完全性の自らの力による実現−自己拡大−@、完全性との交わり−自己放棄−
Aが合一されることが条件となること。
歴史上の様々な有の所産の内的考察を通し、いかにどの様な神話が、@とAを合一せし めてきたか考えてきた。そう、それは一つの神話なのだ。つくることを支える思想が全て 神話であることを露出してしまった今日ほどつくることの困難な時代はない。
問題としては、(もちろん、これを問題視すること自体がつくることと、人間力への愛 を示しているのだが)
@自らの力で、完全性を実現すること−−−Aが抜け落ちてしまい虚構化する。
A完全性(神性、未知)に交わる−−−@つくること、人力に結びつけられない。 有の所産にならない。
@の死、@とAの分離、というのが今日をして、有の所産を難しくして、虚構的、アイ ロニカルなものとしてしまっている。 ここであり得る態度は、
@の中にどのようにしてAを呼び起こすか。
Aに殉じつつ、@(人力、つくること)の変質を目指しつつなにがしかの形を残す。
この2つの態度は、既に古典主義の終末のところで触れた2つの在り方と重なっていく。
A非理性の外部へ理性でのりこみ理性の支配領域を広げていく。
B非理性の外部と交流する−−非理性的な人の在り方を希求する。
ヨーロッパ的伝統では、有の所産は、Bの態度ではあり難く、その後のロマン主義的精 神、リアリズム的精神、帝国主義、近代主義と全てAの態度の延長であり、その問題点に
は既に触れた。ここでは、Bにおいて考えていきたい。 (ミロやポロックの絵画はその点例外的とも言える構造を持っていて、Bの態度を持っ ているように思う。そのため非構築的、非造形的な浮遊する、もしくはオールオーバーな
特長を示す。
ポロックにおいては、まさにシャーマン的に外部と交流する一つの場としてオールオー バーな絵画が誕生してくる。「造形、対比に興味がない」とはロスコの言葉だったと思う
が抽象表現主義と呼ばれる絵画には、Bの態度を創造行為そのものの中へ持ち込むことに より絵画(というモダニズム的要素)そのものへの探究とクロスしてくる際どさがあると
思う。しかしその後の世代の「絵画創造」からはBの要素は消えてしまっている。)
〈李禹煥の考え〉
1960年代後半に、李は表象作業の否定を表明し、「あるがままの世界」に「出会う こと」それには、表象作業を伴う、作ることではなく、いわゆる「しぐさ」としての営み
を対置させた。
本論であつかったとおり、古代ギリシャ、もしくはクワトロチェントのフィレンツエ の 固有性から生まれてきた、芸術、絵画、彫刻が、常によりどころになる神話を見失い、現
実と遊離する危険をはらんでいたことを述べた。@とAの衝動の分離を無意識にせよ意識 的にせよくいとめようとしてきた。しかし、李は、@を意識的な表象作業としてそのまま
否定してしまった。ここには「分離」、「@の虚構化」という問題はなく、ただAの衝動 があるのみである。
必然的に西洋的な有の所産はありえない。先に示した「Aに殉じつつ@ではないある形 を残す」という方向にある。出会いを求め、それを持続させるための「しぐさ」そしてそ の非構築的、非表象的な「有の所産」は、その試みが成功しているかは別として、独自な レベルを示したことは確かであり、西洋の文脈を相対化し、かつ内発性を持ち、東洋的伝 統に連結していく大変しさ的なものだったと考えられる。(またほとんど同時期に、松澤 などの概念的な非物質的な試みもなされ、本論上のBの在りかたの一つの典型を示してい る。) 〈美共闘〉 美共闘の彦坂は、上記の動向を批判している。それは、単純にまとめると以下の点であ る。−−結局、モノ派やコンセプチュアルな動向、西欧美術の動向上での「否定」はある 点従来の「日本美術の非内外的屈伏状況」の延長でしかないとする。西欧美術コードの既 成事実化→受動性の増大(屈伏)→既成の価値観念の否定→アンチ・アンチの無限地獄と いう図式にどっぷりつかり、人間に本来的なポイエーシスまでも放棄してしまい東洋的神 秘主義へ逃げてしまったのではないか。
〈人間に本来的なポイエーシス〉
なぜかその批判で、彦坂は、アリストテレスのポイエーシス(作ること、制作、生産) を引き合いに出してくる。しかもそれを、「人間の基本的活動の一つだ」として、「問題
は、この人間の本来性が失われていることをどう自覚化し、現状をどのようにして変革す るかを明らかにしていくことだ。」と自分の理念を表明している。全くのところ、「作る
こと、制作、生産」は、「人間の本来性」の一つであろう。が、しかし、ここで問題の飛 躍がある。つまり、作ること一般の営みと、芸術の差を無視している。古代ギリシャの特
殊は、作ることに最も高貴な聖性を付与したことは、先に述べた。それ自体一般的な日々 の生産から飛躍した一つの神話であった。そしてその神話が普遍的でないことは、古代ギ
リシャ美術が古代ギリシャの一時期しか生まれ得ず、百歩譲って古典主義が内実の伴った 作品を生んだ地域と時代はヨーロッパ史の中でほんのわずかなことが証明している。生産
は普遍的、本来的だが、それを「美の神話」のもとに聖化するのは異常であること。特に 日本人の自我では、甚だ困難なことは、心理学的見地を待つまでもなく、あらゆる歴史的
有の所産が物語っている歴然たる事実であり、その自覚こそが我々の出発点であるべきだ。 古代ギリシャのクリエイションが神話に支えられていたように、その後の「芸術」も様々
な神話に支えられてきた。「造形芸術」(特に絵画)は、人間の本来的なものというより は本来的なもの(2つの衝動)の一つの特殊な結果なのであり、真に本来的なものである
のは、2つの衝動の存在の方なのである。
李達の方向を「神秘主義」と断ずるのと同じように、ポイエーシスを聖化する伝説を受 け入れることも一つの神秘である。そもそも非日常的有の所産は神秘的な神話、幻想に支
えられなければありえず、いつでも神秘的なものであった。問題は、その神秘を批判して、 その外へでようとするのでなく(外はない)、真に生きられる神秘の中で有の所産を残す
ことであるしかない、そして今日の問題はそれが難しいことである。全体性、完全性への 希求という自我自身の本来的欲望から考えるなら、東洋神秘主義も、古代ギリシャもモダ
ニズムも優劣はない。むしろ、それを「造形への聖視」において果たそうとする古代ギリ シャの伝統や今日の「美術家」の方が特殊なのである。
本来、芸術、美術をやること自体、特殊で神話的なものなのである。特に近代自我の美 術家は、一神教的で、他の神話(芸術それ自体以外の)を認めたがらない性質を持つ。こ の辺のところが、日本のインテリ、社会的美術制度内の人々にはわかりにくい。自らが自 虐的ともいえるおおきな重荷を背負ってしまう。
自らの自己実現、本来的自己像を未だ見ぬ美術、絵画、本来的な絵画、本来的日本の造 形表現へ重ね合わせた者たち、このスタンス自体が、近代芸術特有のものである、一部の
人にしか通じない狭い神話なのだ。ゆえに、逆に考えれば、李の神秘主義は、「美術とい う狭い神話」をもっと広く大きな神話に結びつけようとする働きがあった。古代ギリシャ
の概念を本来的なものとして、密かに理念化し、「プラークシス」による再組織化を試行 せざるおえないところが、日本的なある種の屈折をしめしているように思う。以後たった十数年において「美術的伝統」絵画形式、つくるこ
との安易な回帰が日本中をおおった。そこでは、モノ派の可能性と同じく彦坂の言論がし めした可能性をもせばめていったように思われる。
《結び》
以上、本論は造形芸術一般を人類のクリエイションというよりグローバルな立場から対 置し、様々な美術研究、形式分析、イコノロジー研究、美術史、美学等と異なる視点を得
ようと意図した。しばしば多くの美術研究は、後世の産物である美術館や博物館、アカデ ミー組織に深く立脚しており、造形芸術をジャンルとして分化、確立させた地点を前提と
し、それらを「産みだすこと」、「産みだす瞬間」について語りえない。
古典/ロマン、クラシック/バロック、美/崇高、エロス/タナトス、男/女、コスモ ス/カオス…これまで多くの二項対立の概念が用いられてきた。本論において、あえて造
形芸術、およびつくることの「本来性」をカッコに入れ、その根底に流れる2つの欲求、 全体性の構築(自己拡大)−@、全体性への出会い(自己放棄)−Aの分裂と合一におい
て、クリエイションをとらえようとしたのは、美術を前提とした様式論へ終始したり、も のをつくりだすことと関係のない議論に終始することをさけようとするためである。本論
において、このクリエイションを可能とする「仮説」が、古今東西の多くのクリエイショ ンの特質と変貌を考えるうえで有効性と一貫性を示し得ている、と期待している。
我が国日本は、明治以後の近代文明のうわずみのみの輸入に終始し、ある程度成功して きた。しかし、はるか近代以前の風土と歴史、神話に由来する造形芸術の移入は、なぜ造 形芸術が尊いのか、なぜ自然主義表現なのか、なぜ、人体か、なぜ絵画でなくてはならぬ のか?等々、全ての問いを不問にし、なされてきた。
本論で述べたように、非本来的である「造形芸術」は、地中海的風土、共和制小都市国 家社会の極めてユニークな「リアリティー」が土台になっている。それは常に背後から何
らかの「神話」に支えられる必要がある。だからこそ、近代、現代にあり難く、日本的リ アリティーとなじみ難いのは自明なことである。神話無き世界に造形が生き残りをかけた
唯一の道、モダニズムも非西欧人から見れば、西洋の芸術観から変形した一つの神話の延 長として見える。これは、日本が異状、「悪い所」、不得手、未開発だからなのではなく、
ヨーロッパの一部地域に由来する造形芸術、および絵画、彫刻のジャンルの自立が、非本 質的、非普遍的、非不変的であるためであり、それを無視した、近代以後の美術教育組織
の普遍視と大きなギャップを作り続けて今日に到っているからであろう。
さらに今日の資本社会の完成と蔓延は、日本と言わず世界中から「造形」そのものを虚 構化し、アイロニカルなものとしてしまいつつあり、二重の意味で日本人をして内発的な
クリエイションを生み出し難くしている。