展示を振り返って   青野文昭        *(展覧会カタログから抜粋)

 

はじめに

 今回の沖縄での滞在制作は、当初まったくの白紙からスタートした。というのも、沖縄に来るのは初めてのことだったし、なにしろ2011年3月以降3年以上もの間、生活している宮城県において、東日本大震災がらみの仕事しかしていなかったからである(*例外として2014年夏に韓国・済州島で滞在制作をしているが)。久しぶりに震災から離れた場所で、ヘドロから無縁の、自然に朽ちた物品を気ままに拾い歩くのはとても楽しいことだった。ある意味で震災以前の自分に立ち返る様な気分をつかの間だが味わうことができたとも言える。と、同時に震災以降の自分の仕事ぶり、そしてその展開の進行形がそのまま沖縄にも持ちこされ、震災以来培ってきたと思えるエッセンスを、震災と直接はつながらないと思える場所で展開しうるという、、、自分にとっては、今後ありうべき重要な機会となった。とは言え、おそらく東北や東京ではまだ当分(ひょっとすると、あるいは永久に)、このようなことが可能となる機会が訪れないかもしれないのだが。


健在なる野ざらし

那覇を起点にいろいろと車を使ってものを拾い歩いた。
 その中で今回の作品で用いることになった主な収拾物は、港川漁港でもらってきた解体された漁船の破片と、南城市周辺の道端で破棄されていた車のボディであった。特に後者の車が破棄されていた現場は、大変印象深いものがあった。
 破棄された車は、長年その場所に放置された状態になっており、草木が繁茂してひとつの塊を形成している様子だった。いわば野ざらしのすがすがしさとでも言ったらよいものか、ある種の俗世から離れた清らかさが漂い、既に自然環境の一部として小さな生態系を形成してさえいた。
 大きな廃棄物が長い年月の間、野ざらしになっている光景は、最近では自分の近所でもなかなか見ることができなくなった。
 社会的に活用されているような土地とは違って、役に立っていない、意味の無い、あまった、誰のものでもない、あいまいな場所。そういう吹きだまりのような場所には、何処からか流れてきた様々なものが寄りついて、積層しながら、放っておかれ、それぞれにそれぞれがもつれあいながら繁茂していく。それは自然と人工が溶け合いながら、自ずから育っていく何ものかの様である。
 例えば、それは、不遜かもしれないが「御嶽・うたき」の岩に繁茂した茂みのかたまりの印象ともつながる様な気がした(滞在中、斎場御嶽などを訪ねることができた)。破棄された人工物が、役割から自由になり、自然に飲み込まれながら沖縄の土壌を媒介としつつ、何か広い世界とつながって行く様に思え、そうした広大な領域へ通じる入口の様でもあった。
 そういうわけで、車を復元しつつも、車本体への関心よりも、その周囲の付随物の集積から形成されてくる場への関心が強かったと言えるだろう。
 そのような関心は、例えば、無理に後付けするとすればだが、、、様々な民族や文物や海流や台風が流れ着き溜まっていく、いわば「吹きだまり」の様な日本列島―および沖縄の島々の在り様とも重なってくるように感じた。


ダンボール箱

 今回は様々な事情もあり、ダンボール箱を主たる代用素材としてはじめて活用することになった。最近ではこのような代用素材として、木製の家具・タンスなどを用いることが多い。実際ダンボール箱を使ってみると、タンスよりもフラットで扱いやすいと感じた。ひとつひとつの単位が小さく均質なので、組み合わせると肌理が細かく、どのような形態を組織することもできた。また手に入りやすく軽いので、どこまでも大きく、高く、長く積み重ねることができる。かえって自由度が大きく制約が減ったため、どのぐらいの量で、どのくらいの高さで、どういう曲線で、となかなか決められず、かといって何かはっきりした根拠があるわけでもなし、かえって全体像を確定するのが難しかった。 またそういった物理的な影響だけでなく、ダンボール箱の持つ意味的な特質も作品に反映されてくることになった様に思う。現地で調達された中古のダンボール箱は、すべて沖縄をめぐる物流を支えてきた仮設の器である。自ずと箱には様々な記載事項がそれぞれに印されており、それまでのそれぞれの履歴が透けて見えるようになっていた。
 その箱に何が詰められ何処から何処へ運んできたものなのか。それが一様に偶然にもこの展示場所に集められ積み上げられ、一つの何ものかを形成しているということの漂流と定着がせめぎ合う感覚。
 そもそもダンボール箱は仮設的にものをパッケージ化し、保管―移動するための機能的な役割を担い、それに適する様につくられている。並べられたり積み上げられたりするのは、本来の在り方にかなっており、タンスやテーブルなどの家具類以上に、積み上げやすくまた違和感が無い。それは外観的に切り出された石材のワンピースに近いともいえるが、同時に輸送と保管を担う人工的な器であり単位としての形態であって、その属性が全体としての作品に混ざり込んで行くことになった。
 次から次へと持ち込まれるダンボール箱を、集積し積み上げながら、収拾してきたトラックのボディーや船の断片を組み込んでいく。そしてさらにまたダンボール箱を積み上げ、組み直していく。
 ここでは起点が複数となり、トラック側から、船側から、あるいはダンボール箱自らが形を広げ混ざり合っていった。
 その背景には、冒頭述べた、吹きだまりの破棄されたトラックの風景が作用し続けていた。様々なものが漂流の過程で、偶然ここに寄りつき繁茂していく。何かの種子は芽を出し根を張りツタをからませ、虫がわき、トラックの中にはやはりいらなくなったゴミが持ち込まれ詰められ、さらには、ボディーに何事か落書きがされる。誰かのつぶやきまでもがここに寄り付いてくる。

 

落書き

特に今回の破棄されたトラックには「GUN」の文字が大きく印されていた。
 あまり目立つので消そうかとも思ったが、拾った部分に極力手を加えないようにするのが、自分の作法なので、逆に反対側にアルファベットを延長することにした。もともとの固有な性質、ノイズもふくめながら、排除せずに、つながるための「絆」とする。傷跡もしかりで、自分の場合文字通り「絆」(キズ・ナ)として機能し、古いものと新しいものをつなぐ橋渡しとなる。
 展示初日のオープニングパーティーの時、幾人もの人達に、「この落書きは子供の時から知っている」と聞かされて驚いた。かなり昔から沖縄本島の様々な場所やものに、なぜかこの「GUN」という落書きがほどこされてきているのだそうだ。小さく書かれることも大きく書かれることもあり、沖縄で育った者は子供の時からこれを見て「なんだろうな」と思って育ってきたとのこと。誰が何の目的で書いているのか、またこの「GUN」が何を意味する言葉なのかはっきりしていないのだという。「ピストル――ガン」を意味するのか?あるいは「軍――グン」を指しているのか?いろいろな説があるのだと聞いた。自分はその話を聞いて、この収拾物が、自然の影響力の中でただ朽ちていくというだけの存在ではなく、たしかにこの土地や人々に繋がっており、積層しながら何ものか形成してきていたことを実感することができた。
 自分の場合、そうした繋がりを「ノイズ」として断ち切り、自律した造形物たろうとするのではなく、逆に、そうした収拾物の「なおし」を通じて、積層的に刻印されてきたもろもろのものやこと、時間の流れに接続し、それらを内包し、浮き上がらせ、繁茂させながら、一個の構築物の組成につなげようとしてきた。

 

漂流・物流・流用―多重再生

東日本大震災とその結果露出した、無根拠のまま不安定な常態であり続けるしかないという、この列島に生きるものとしての自覚。この揺れる大地、薄氷の上でいったいどのような造形表現が可能なのかという実践。それは沖縄にも持ち込まれ、やはりこの土地特有の不安定さと共振しつづけながら、持続されることになった。
 今回自分は、そうした実践のよりどころとして、冒頭から触れてきている沖縄の「野ざらし」の在り様に感化されてきたわけだった。
 偶然なのか必然なのか、吹きだまりに漂流物が寄り付き溜まって、野ざらしになりながら積層し、絡み合ってしだいに繁茂してく様。種子が運ばれ根付き繁茂して虫を集め土地の花を咲かせる。
 そうした何ものかの形成に関心を持ちながら、収拾した漂流物を、物流の果てに集まった様々なダンボール箱を代用素材として用いて――言わば「流用」することによって、何ものかを、やはりこの吹きだまりの様な空間(社会的に活用されていないという意味で、今回展示場として活用されたスペース)で、形成させていこうとしたわけであった。
 トラックの復元のようで、過剰に積み上がり山を形成し、反対側から見られれば、船の復元のようにも見え、全体としてはトラックのボディーや船体の欠片やダンボール箱を代用素材として、何らかの別な塊、あるいは空洞の内部を持った建造物―祠か何かのようなものが形成されていくようにも見える。トラックから見ればダンボールや船体は、自らの身体となるための素材と位置付けられる。船から見ればトラックの方が素材となり、建造物から見れば、どちらも素材となる。起点の取り方しだいで、自らが地にも図にもなりうる、というか、同時にそれが進行しており、それぞれがどちらでもあるように依存しながら共存している状態を目指したのだと思える。
 収拾した欠片から再生していくための、支持体とされる材料は、すぐそのそばの何かのものが活用されていくわけだが、それはさながらヤドリギが既にある樹木の幹や岩を支持体として、成長し繁茂する姿とつながるだろう。あるいは何者かが車のボディーに何かのメッセージや記号を記す―車のボディーが支持体となる。様々なメッセージを呼び寄せ、刻印し集積させていくこととも地続きだ。寄り付いたものがそれぞれ支え合いながら、素材としたりされたりしながら繁茂していく様子。
 寄り付き溜まり侵食し合い繁茂していくように、「なおし」が各所で相互に多重に行なわれ、結果的に何ものかを形成していく様。そんな道筋が見えてきてくれればと期待を持って励んだ10日間だった。