<神棚とパソコン>2001年

 

 東浩紀が述べている現代のデータベースとシュミラークルの二重構造と、私が先きに述べた民俗の二重性文化の同質性の当然の帰結として、自分のパソコンを通してつながるインターネットの在り方と、神棚を通してつながる神の時空間との相似について述べなければならない。
 神の時空間は我々の日常的世界のそれとまったく異質なものである。霊媒師の呼び掛けに応じ、九州の霊だろうが北海道の霊だろうが、距離と関係なく「いま・ここ」にやってくることができる。そこでは、どんなに離れていようと瞬時につながることができうる世界なのである。それは日常世界でいう「ある」という意味で手に触れる様に「ある」物ではない。しかし確かに「ある」ような領域なのである。

 同様なことがインターネットの網の目にも言える。それは瞬時に地球の裏側とも通じ、時空を超越した世界であり、かといって実際そのような世界を見たり触ったりはできない。また、アドレスで呼び出して、突如画面上に憑依し立ち現れてくる現れ方など、まさに霊が呼び出されて憑依するのに似ている。霊魂の感覚と電波の感覚はなにか似通っているのかもしれない。
 さらに類似しているのは、自らのパソコンに様々なソフトなど入れながら、日常の様々な要請にオールマイティーに答えられるようにパワ−アップさせたり、私有化していくことでしだいに、取り替え不可能なオリジナルなものにしてしまうところである。

 神棚も例えば、交通安全のお札、商売繁昌の稲荷、学問の神などいろいろな霊力をドッキングさせパワーアップさせ、オールマイティーになって、いかにも自分の家にしかない固有な取り替え不能なものになっていく。 (2001年)