戦利品



戦利品の動機


戦利品というものに関して考察してみたい。
 戦利品は一見特殊なもののようでいて、実は大変根源的かつ普遍的な心性に由来するものであり、人間文化のある本質的側面が露出してくる大変重要かつ興味深いものであるといえる。

 例えば自分が子供のころ、よく道端からきれいな花を摘んで、家で待っている母へ土産にしたのを思い出す。それは基本的に母親の喜ぶ顔が見たいという動機に発する行為であった。母は道端のしがない草花を受け取ると花瓶やコップに水を入れその花を生けてくれ部屋にかざり共に喜んでくれた。同じように遊びに出て何かとってきたり(昆虫やきれいな石やあるいはあるいはなにか珍しいゴミのようなもの)、学校から授業で描いた絵やつくった工作を持ち帰ったりする場合の何か誇らしい気持ち、母親を喜ばせよう、驚かせようという気持ちは、他国を蹂躙、収奪し得た戦利品を自国へ持ち帰り、待つ人々と悦びを分かち合う心持とほぼ同じものであるといえる。いわば土産も戦利品の一部と言えるだろう。土産とは読んで字のごとくその土地の育んだ固有の産物を持ち帰るところにその意義がある。土産は品物だけでなく「土産話」としてもありえる。戦争での活躍―武勇伝なども含む。ゆえに戦利品は戦争によって奪ったものというだけではなく、もっと広く想定されえるものであるべきだし、そうした方が戦利品の本質がよく理解できる。


二種類の戦利品

 そういうわけで戦利品には大別して「自然からの戦利品」と「人間からの戦利品」の2種類があることになる。
 「自然からの戦利品」とは言ってみれば狩猟による獲物であり、採集や農耕における収穫物である。時に長期にわたる危険な狩りによって得られた獲物を、共同体へ持ち帰り、共同体全員で分かち合う。あるいは収穫の一部を神に捧げ感謝を表す。
 「人間からの戦利品」では、戦いに勝った時、負けた相手の持ち物、富や財産、命、象徴物を奪って持ち帰るのは人間普遍の習性である。自然からにせよ人間からにせよ、それが「戦利品」的ニュアンスにあるのなら、単に飢えを満たしたり、実利的な収奪の意味にあるのではなく、相手に勝ったこと、相手の持ち物であった事、それを自らのものとしたこと等ををことさら誇示し際立たせようとするだろう。戦利品ならではのそういった来歴の明示・ある種の「表現」のしかたが大変興味深く重要だと思われる。


 
戦利品の使用方法


奉納

 戦利品らしいもっともオーソドックスなイメージとしては、たとえば古代ローマ帝国が、他民族との戦争に勝利し、大々的に凱旋パレードを催す姿を連想する。おびただしいオリエンタルな獲得物・戦利品が荷車に山と積まれ(その中には奴隷となった敵国住民や兵士もまざっている)、皇帝や将軍、兵士ととともに大行進しながら凱旋門を潜り抜け、ローマ市民にお披露目させつつ、勝利と帰還をみんなで祝福する。その上で、おそらくもっとも重要な戦利品はローマの神殿へ捧げられあるいは飾られる。
 日本でもちょっと以前までは、もらったお祝いや賞状、通信簿など重要なものを一端家の神棚へ上げておくという習慣は、良く目にしてきた。同様に戦利品の多くはまず共同体の原点であるところの代表的な神殿へ奉納されることが多い。それはすなわち共同体へ持ち帰ったことそのことを象徴する。それは私物化したのではなく、公の行動であり、公の利益であるとする象徴。さらに再び勝利することが祈願される。
 写真は気仙沼・リアスアーク美術館に展示されていたこの地方のお供え膳。捧げられる大根に興味深い特殊な切り込みが入れられている。自然物―産物へ人工的な加工が加えられ普段の大根が非日常的に聖別されているかのようである。このように「奉納」には、時として人為的な加工―破壊もともない、生贄が殺されたり焼かれたりすることともつながって来る。

飾る

 奉納されるとは神殿に飾られることを意味する。食べ物など保存しにくいものであれば、奉納後一端もどされみんなで食べたり、捨てられたりする。花などの捧げものであれば、美しく神殿に飾られる。蝋燭や線香であれば火がともされる。宝物であれば、やはりしかるべき場所・神殿の収蔵庫や「ギャラリー」に配され飾られ公開される。生きているものであれば神の前で生贄として殺されることで供犠が成就されることもある。殺されたあと骨が飾られたり、生皮がはがされ保存されたり、獣であれば毛皮や剥製にされやはり飾られる。
 アイヌのイオマンテでも熊の頭がい骨が保存されしかるべき飾りが付け配される(イオマンテやアステカ族の獲得物―熊や捕虜は一時的に捕縛され飼育されたうえでしかるべき儀式のときに象徴的に生贄として殺される)。スペイン人が南米アステカに侵入した時、アステカの神殿にスペイン兵と乗っていた馬の生皮が剥がされてお供えされていたという記録がある。通常戦いで倒した敵兵の「身しるし」を持って帰るのは普遍的で、それがなければ自分が何人倒してどのような手柄を立てたか知らしめることができないからでもある。「身しるし」は、軍旗だったり、紋章、武器、髪の毛、耳、首などいろいろある。日露戦争終結時自決を申し出た乃木将軍の述べた理由は、西南戦争の折に自軍の軍旗を奪われたことの責任ということだった。武蔵坊弁慶は決闘した相手の武器を収集していたし、「取る」という漢字の語源は「耳」を切り落とすというもので、戦利品としての「耳」に由来している。
 「首狩り」はもっとも一般的で、世界中の多くの地域で行なわれてきた。特に日本人はつい最近まで有力な首狩り族の種族であったと言える。切り取られた首は、綺麗に洗われ、髪なども整えられながら、手柄交渉で各自持参提出されたという。1868年の戊辰戦争時でさえも会津軍が古来の風習にのっとり、倒した相手の首を切り取り自分の腰に括りつけていた。沢山首をくくりつけると重くなり戦闘の邪魔になっていたらしい。その意味でも戊辰戦争とは文化と文化の戦いだったといえるのかもしれない。
 通常首狩りされた首は神殿や境界に飾られつるされたり、頭蓋骨として保存されたり、干し首として加工されたりしてきた。加工に関しては後述したい。奉納品ではないが狩猟の獲物を一部記念に保存する習性は最近でも珍しくなく、例えば西洋人のハンティング・トロフィーは大変一般的であり、インテリアの一部と化している。
 




 コレクション

 戦利品が奉納され保存されながら飾られたり訪れる人々へ公開されたりすることにより、「コレクション」、「展示・公開」という近代博物館・美術館につながる展開の端緒となったと考えられる。神殿等に集められた奉納品はそもそも公的性格を持っていて、西洋などでは、そのまま現代における@@@修道院付属美術館、博物館として展示されている例は多い。一方世俗権力―貴族や王様、金持ちの収奪、獲得してきた品々(戦利品)は公開されない場合が多かったが、近代になって国家財産とされるなどして大美術館として公開されるようになっている。たとえばルーヴル美術館は典型例で、ナポレオンをはじめ歴代のフランス王が世界中から収奪した戦利品が学術的装いのもと体系的に陳列されている。戦利品の収集はその覇権のおよぼす大きさに比例し、植民地を多く持っていたイギリス等は、世界各地から様々な物産を収集し、後の科学興隆の基盤となった。
 このような戦利品―収奪され、コレクション化された遺品は、それが戦利品・コレクションであるかぎりにおいて、その姿かたちを損なわずに、来歴を記憶されながら保存される。それは例えば材木や鉱物、石油や油といった資源としての収奪物とは異なるものである。スペイン人はアステカやインカの宝物を鋳つぶして金塊に変えてしまったというが、本来戦利品はもともとの姿をとどめおかれようとする。とどめおかれることで価値があるのであるから。もとの姿、来歴がとどめ置かれることにより、結果的に後世の博物館が生まれ、学術資料しての価値も発生したのである。鋳つぶした金塊は単なる富にしかならずいつのまにかどこかに消えてしまうのである。そうは言ってもやはり戦利品も、おおもとの土地から、部分的に切り取られてきた一部分であり、それを生み出し育んできた母体から切断、分断されているのは事実で、そういった特定のコンテクストからの離脱と近代的学術の興隆は表裏一体であり、深く結びついていると考えられる。


再利用・転用

 戦利品はあえて意識的に、あるいは無意識的に(経済的な理由から)再利用されるケースが多い。以下考察していきたい。

 獲得された戦利品の最たるもの―人間は、連行されるや否や奴隷市に上げられ、競り落とされ奴隷となる。それは共同体を支える―労働者―下部構造へ編入されることにほかならない。ギリシャアテネの「市民」などはほとんど日常労働をこの奴隷に任せていたようだ。後に自分達が奴隷に身を落とす時代になると、多くのギリシャ人が技術、学芸専門の奴隷として活躍していく。奴隷各人の能力や技能におおじて職種が異なるが、やはり多くは日常的労役に従事していた。そうして考えると鋳つぶされた金塊や材木や鉱物といった資源としての戦利品と重なる部分がる。そうした人間の資源化の極限はナチスドイツの捕虜収容所のシステムであろう。まさしくここではそれぞれ固有に有する宝物を、一律に鋳つぶし資源化してしまう恐怖の思考回路に基づいていた。

 敵側の勢力を自身の下部構造へ組みこみ、支配・同化することで、自身の力を誇示・増大させようとする転用のしかたの典型として、自身の共同体を象徴する建築物の礎石や柱に、そうした敵側の戦利品、およびその象徴を混入するというのがある。例えば現在のメキシコシティー中心部は、攻め滅ぼされたアステカ帝国の神殿の上に、その資材を転用されながら築かれたものだという。あるいは、「転用」の項で先述したベネチィアのサンマルコ寺院にちりばめられた戦利品の例が典型である。また具体的にそのもの自体ではないとしても、敵側に象徴的な意匠が施される場合が多い。毘沙門天は下部に「邪鬼」を配し、それを踏みつけ押しとどめる様に仏法の守護神が立ついで立ちである。踏みつけられる下部構造は単なる虐待されるものとしてではなく、下部を下支えする、全体の一員として組み込まれ構造化されようともする。そういった構造を表出させた造形はダイナミックな対立と統合、調和の魅力に富んでいて優れたものが多い。
 西洋の教会建築でも、例えばグリーンマンと呼ばれるような、かつての森林文化、土着信仰を彷彿とさせるモティーフが随所に組み込まれている。というよりも、これらの教会建築の、柱、窓、装飾などは基本的に植物がモティーフになっており、石造の森林を連想させる。それはキリスト教の下部構造として土着の自然・森林、そしてそれら自然の伸びゆく生命力を組み込んでいるのであり、みごとな統合の感覚をつくり出している。このような自然の意匠の採用は、そもそもの建築資材である材木などが自然を切り崩してもたらされてきていることにも由来し、石造建築に受け継がれてきているとも言えよう。
 さらに戦利品―獲得物を身にまとうものとして転用する場合がある。ヘロドトスによればスキタイの民は倒した敵兵のナマ皮をはぎ、ポシェットにしたりして身にまとっていたようである。頭蓋骨、骨の一部分、牙などを魔よけとして装身具にする例は多いだろう。メヂュ―サを退治したペルセウスは、切り落としたメヂュ―サの首を盾に使ったとされる。メヂュ―サの目は相手を石に変えてしまうので、敵の武器を自身の武器として防御に転用する典型的な例であろう。恐ろしく強力な敵は逆にひとたび獲得し、反転させれば心強い武器となる。このようにして強力な敵の「身しるし」は、そのまま魔よけとして活用されるケースが多い。




 
 織田信長

 我が国の信長の所業を見てみると、この「戦利品」的文脈において興味深い事柄を多く散見する。例えば「ランジャタイ」という貴重な香木に関すること。足利将軍と対抗する様に、信長はこの香木の真ん中を四角く切り取っているのだが、この収奪の痕跡がいかにも信長らしくて興味深い。これみよがしに、無造作に、無粋に、もっとも目立つか所にもっとも大きく切り込みを入れている。アンフォルメルな流動的な香木にこの四角がいかにも唐突感あふれ、一人の人間の意志を誇示しつづけている。奪い取られた戦利品・香木の断片よりも、収奪した痕跡―消滅した穴の方が象徴的に保存され、能弁にその行為のいきさつを語っているのは珍しい。今日では奪い取られはげ山になった森林山河は数知れないが、このようにあえての収奪をこれ見よがしに刻印し続ける傷跡は、マイナスの戦利品といえなくもない。
 また信長のつくった安土城も大変異質で興味深い。城の石段などには寺から持ち出されたと思しき仏像が刻まれた石が数多く混ざっているという。しかもあえてわざわざ人々が踏みつけにする場所に解かるように配されているという。仏教を踏みつけにして城へ上がるという自身の存在の一つの強烈な表現であるだろう。海外の異教、異民族同士の戦いではよくあることだが、日本では大変珍しいと感じる。その意味でも信長はまったく異質な次元を志ていたといえるだろう。
 さらに印象深いのは信長がつくらせたという髑髏杯である。敵であった浅井長政、朝倉父子ら3人の頭がい骨をくりぬいて加工し、杯として部下に見せているという記録がある。これほどに勝利を見せつける行為・「造形」?は無いだろう。信長の明快すぎる激烈な思考を象徴している。髑髏杯自体は、チベットなど他の地域では宗教上の意味合いもあり、ときたま散見できるもののようだが。
 また南米では頭蓋骨に加工を施すことにより、実用品ではなく、ある種の特別な宝物にしてしまっている。




 
 まとめ 
 
 このように一口に戦利品といっても幅広く、様々な例がある。ただ最も重要なことは先述している様にそれが戦利品である限りにおいて、その「黒歴史」をけっして隠さない。恐るべき犯罪行為、残虐行為も、隠されず、気をとがめられることなく、かえって誇るべき蛮勇、英雄的行為として誇示されるということである。それは一種の「表現」行為であり「表現」物であるといえるだろう。そこではあえて収奪、加工のプロセスが強調され、収奪品(素材)の由来、来歴、文脈が大切にされる。素材や手技を隠蔽し装おい洗練された「完成度」を希求する一般的なものづくりとは異なっている。だからつねに戦利品は人間のいとなみ・「ものづくり」の本質を露出しつづける。自己とは他者を前提とし、創造とは破壊を前提とする。生かすとは殺すことをともなっていくものである。そこから目をそむけては何も始まらない。
 ある意味戦利品とは無邪気なもなのかもしれない。しかし、人間の呪われた所業を刻印するものとして、おぞましいものではあるが、だからといって、何事も無かったかのように隠蔽され忘却されるよりはよほどましである。現代はまるでアウシュビッツのように、何事も鋳つぶされ物質化、数量化され、有用な資源と、不要なゴミに振り分けられ処理される恐怖の世界である(その意味でナチスの捕虜収容所とは近代精神の一つの極限化されたものとして考えられる。なにしろそこでは人体から労働力、油や髪の毛、金歯、、、が効率よく抽出されようとしてきたのだから)。しかしそうした現在の文明に対して、アウシュビッツのようにはだれも痛みを感じない。「クリエイタ―」、「アーティスト」と称する者の近現代の創造もやはりそういう意味でアウシュビッツ的なものの延長線上にあると言える。自然状態にあるものを、何らかの一律の尺度によって当然の様に切り分け、利用できるものと廃棄するものに振り分けつつそうした分別自体に注意を払わない。そういう時代にあって、黒歴史のこびりついた「戦利品」は、かえって異質なもの同士の結束点を浮上させうるものとして新たに注目されるのではないだろうか。戦利品は信長の思考のように無慈悲な冷徹さと激烈な始原のダイナミズムを孕んでいる。しかしそれはつねに我々自身の所与する事実としてあり、どこまでも事実を事実として表出されんとするものとしてある。