柱考
柱は屋根を支えるものというだけではなく、柱自体に意義がある。
けっして建築物の一部としてだけあるわけではない。そのへんのところをふまえないと
建築物の一部となった柱の意味性も解からなくなる。
柱はまず何らかの印、起点として作用する。起点は広がりの発信源であり中心点ともなる。
同時にアンテナとして天と結びつき、天と地、異界とこの世をつなぐ懸け橋ともなる。
例えば、日本書紀のイザナギ、イザナミでは天まで届く御柱を立てその周りをそれぞれ異なる方向に回転するところから、国生みがはじめられる。
柱を重力に抗して立てるとは、意志力ひいては行為の象徴となる。つまり人間世界、地上世界形成のはじまりとして。それは構築の第一歩を印す象徴となる。
例えば7年ごとに柱を立て替える諏訪地方の御柱祭では、そういった柱にまつわる原初的な象徴が、段階ごとに積み上げられており興味深い。まず神木として選ばれたモミの大木を山から切り出す。そうして切った木を所定の里まで運び出す。山の急斜面から滑り落とす。あるいは川に浮かべて運ぶ。これは祭りのひとつのポイントとして盛り上がる。人が斜面を落とす木の上にまたがりいっしょに滑り落ちる。この時に毎年多くの怪我人や死者がでる。。次の段階では、そうやって運んできた大木を、時期がくるまで寝かせておく。やがて決められた特別な日に神社の所定の場所(社殿の四隅)に、立ち上げる。合計4本×2社=8本立てる。基本的にはクレーンなどは使わずに、テコを活用した人力で少しずつ立てて行く。ここでも人々が木にまたがり木と共にせり上がっていく。 ここが祭りのクライマックスである。大木は所定の位置に立ち上がる瞬間「御柱」として「神」となる。今年はここでワイヤーが切れて柱が倒れ死者がでてしまった。これらの過程を何日にもわたりひとつひとつ経ることによって、柱の神話性が人々に共有されていくのであると思える。
依りしろの柱化・柱の依りしろ化
多義的な意味をあわせもつ「柱」だが、基本的には「依りしろ」と「柱」は異なるものである。
ただ両者の特性が合わせられた時、強い象徴性を帯びる。
単なる媒体としての依りしろが、それ自体物体性を増し、それ自体が象徴物になる。逆に単なる物体としての柱が、異界と交信する媒体としての性質を帯びることにより、実体として広い領域と繋がっていく。
その意味で、単なる屋根を支える柱とは異なる、自立し、聖別された「柱」とは、それ自身既にもっとも原初的な意味で、優れて「二重性の表現」物となりえている。
そういった「二重性としての柱」は、あえて屋根がかけられていないことにより、かえって目に見えない無限空間―異界を取り込んだ、大いなる建築物を想起させることができる。逆に具体的な屋根がかけられ、空間が閉じられるなら、そのまま聖別された神域を形成する神殿建築が成立してくる。
そう考えると、神殿建築物とは、依りしろ的柱の二重性の延長線上にあることが理解されるだろう。神殿建築とは人間の住居が移行したものではなく、聖なる柱(依りしろとしての柱)から移行したものであると、少なくとも心理的レベルでは理解されるべきである(同時に人間の住居も、雨風をしのぐためではなく、まずこの聖なる柱に発していることになる)。
柱の造形化(モニュメント化・彫刻化・壁面化)
切り出された大木という未加工な柱を崇めるということから、屋根がかかる建築物に転じていく方向ではなく(後述する)、あくまでも単体の柱のままで、ひとつの造形物に変貌していくものがある。例えばインディアンのトーテムポールが有名である。其々の部族に伝わる象徴的な意匠がほどこされる。木は彫られ、絵が描かれ、着色され、時に別な木が付け加えられる(羽など)。ある意味で細長い彫刻に近づいていく。近代彫刻家のブランクーシなどは、逆にこういった「柱」的彫刻?をのこしてもいる。こうした造形化された柱は、それ自体巨大化した依りしろでもあるかぎりにおいて、単なる物体オブジェを超えた、優れた二重性の表現たりえている。
トーテムポールにかぎらず、この種の柱はどの場所にどのように立てるかも重要であり、それは異界と交信しようと立てられる依りしろと同様である。特定の場所から引き抜かれて移動させられた(時に博物館に移動させられた)トーテムポールは半分の機能を失っているのであって、表現力が限定される。
トーテムポールと同様に、象徴的に立てられる柱とは、特定の場所(例えば革命のはじまった広場、虐殺のあった場所)、特定の事件(戦勝記念、革命記念など)をふまえて、立てられることが多い。ここではしだいに一種の柱のモニュメント化がおこなわれる。柱は様々なデザインをともなう。最上部に彫刻がつけられたり(この場合、柱というよりも細長い彫刻台座ともいえる)、記念すべき事件が文字やレリーフで刻まれたりする。有名なローマのトライヤヌス記念柱では、異民族との戦役のあらましが、順序どおりレリーフとして刻まれている。それはさながら絵巻物が柱に巻きつけられているようだ(しかも螺旋状に)。壁面化した柱と言えよう。
また、そうした記念柱それ自体が、戦利品として他国から、柱のみ切り出されて(まさに山から大木が切り出されてくるように)、象徴的に立たせられる場合も多い(「戦利品」の項参照)。たとえば、ローマにはエジプトからもたらされたオベリスクが沢山立てられている。
また、かつて古代ローマなどでは自らの業績などを誇るために、石碑の様な感覚で、単体の「記念柱」がモニュメントとして立てられていた。こうした感覚は古代世界の遺跡の一部のようでもある。奉納金、寄付で神殿や祠を建てるのとつながるのだろう。日本でも祠、石碑、灯篭、五輪塔、鳥居などを奉納し立てることが多い。が、柱そのものを立てるのはあまり見たことがない。
柱の建築化
よい建築とは、上述してきたような柱の一本一本の意義・二重性をそのまま持ち込み持続させていると推察できる。
柱をどこそこから切り出してくる、建築―構築―世界創造の礎として、天然自然から切り出してくるという、破壊と創造のもっともダイナミックな象徴性を示す始原的例としては、我が国の伊勢神宮の式年遷宮があげられるだろう(伊勢神宮参照)。かつてはどの神社も同様な式年遷宮が行なわれていたらしい。このような定期的な破棄と再生の繰り返しは、神の超越性・天然性と人為的な造形(建築物)化・視覚化という相互矛盾する次元を、二重的に同居させえるすぐれた構造を示している。それはどこまでも人為的な造形物として永続させようとする西洋的造形・建築の精神と鋭く対比されるだろう。
また、「材料」として犠牲になるという意味合いが核となり、象徴的な表現力に結実されている例としては、「人柱」状のモチーフによる柱や、柱の礎石部分に邪鬼や魔物をデザインしたりするものがあげられるだろう。ここでは伊勢神宮の式年遷宮とはまた別の仕方で、その起源としての破壊と創造の結束点、および屋根―重力を支えるという犠牲的役割としての柱の建築化―建築への奉仕・従属を、半永久的に刻印しようとしている(そもそも犠牲になることを「人柱」と言い、死者の魂や神々を「@@@柱」と表現してきた)。
ゴシック寺院の柱や建築は、そうしたもののより深化・変質した例として考えられる。
ゴシック寺院では、全体として、またディテールとして、植物がモティーフとなっている。 柱は大木であり、屋根を支えるアーチ状の放射する骨格構造は、大木からひろがる枝に見える。屋根や塔の突端は植物の新芽にたとえられ、中心的な丸い窓は、バラ窓として花にたとえられる。
こういった植物のイメージは、かつてのの森林を開墾することによって切り開かれ都市が生みだされてきたという記憶。鬱蒼と茂る森林の闇を切り開き光の明るい世界を広げていくというキリスト教のイメージ。そのキリスト教によって邪教として破棄され闇に葬られていくもともとの土着的自然信仰の記憶。あるいはもっと端的に石材による建築以前の、木材による建築時代の名残としてあるように思われる。
しかしそれ以上に端的に重要な点は、植物イメージをとおして、その全体がいかに形成され、いかに支えられているかが一目瞭然・よく視覚化されようとしている点だろう。
建築物全体がひとつの森林空間にたとえられ、その建築物空間は其々の柱―木々の幹によって生まれ、成り立ち、支えられている。という事実が実質的に、しかも植物的表現によって視覚化されているといえる。太い幹、細い幹それぞれ各種がどのように伸び繋がり天井の骨格に連結し、重力を伝えかつ分散しかつ支えているのか、いちいちよく視覚的に把握できるようになっている。
それは単に屋根・建築物を支える下部構造としての従属する意味合いではなくて、むしろ上方へ押し上げる、伸びゆく力の表現として、成長する生命力の象徴としての生命の木=柱として登場してきているように感じられる。
ここでは柱は単に屋根や重さを支えるものとしてではなく、つまり建築物に従属するのではなく、より積極的に、建築物―森という総体の一部分として作動している。まさにこの点が古代の静的、幾何学的な石積み建築と、北方森林文化から生じた壮大なゴシック建築の石積みの異なる点ではないだろうか。
ここでは伊勢神宮とはまったく違った意味で、一本一本の柱が重視されている。
つまり柱からすべてが生まれ、壁も窓も屋根も柱から(あるいは柱と柱の間から)派生したものと考えられる。幹から枝が伸び葉が生え花を咲かせ森の空間をつくり出していくように。
ただ、そういった植物的イメージを実際の木材でつくりだすのではなく、木材とは無関係の石材によって生み出そうとするところが、西洋文化の奇妙なねじれた熱意であるといえるかもしれない。半永久的に動くことのない材料によって、みずみずしい植物的生命感を表現していく。不動の構築物としての建築を、生物としてのナマものである植物に例えるという特有の美意識。これは古代ギリシャの大理石による人型神像彫刻に連なる感覚である。人力による石造の森林。モニュメント化され半永久化され析出された森林としての建築。これは自然と人工が西洋ならでわの独特な有機的統合を果たしす希有な成果である。
古典主義の柱
いわゆる古代ギリシャ・ローマ時代の様式、意匠に関して云々とは別なレベルの重要性が際立たされる。
重力を支える必要性をはたしつつも、同時に空間を一定の長さで区切り、規則だてる一つの軸として機能してくる。全体としての合理的かつ秩序だった空間を現出するための枠となる。単体としての柱の長さ、太さ、複数間の柱同士の間隔は、厳密に全体的な比例関係から析出れ施されていく。つまりここでは一本の柱の意味性よりも、全体との関係性、長さ、太さ、間隔、配置が重要な問題となる。柱はそういった全体組織をあらわしむる重要な基軸となる。それは原初的な「御柱」的意味合いに見られた「世界の起点」としての在り方の進化発展したものと位置付けられよう。中心や始まりとしての単一の起点から、宇宙の秩序を、地上世界に刻む複数の起点として。そういった柱を配した古典建築とは、それ自体宇宙の秩序を具現すべき完全性を実現した創造物であり空間でなければならなかった。
モダニズムとしての柱
機能的かつ合理的な建築。コンクリートやガラスや鉄などの新しい素材と構造の一致。
そのような近代性において、垂直軸が剥き出しに表出されやすくなるにもかかわらず、「柱」はますます原初の意味合いを希薄化させていく。それは切り出される自然の生命ある木でもなく、わざわざ積み上げられる石積みの柱でもない。工業的にうみだされた素材、固まりゆく液体、はじめから棒状に加工される鉄骨。
多くの場合、近代建築において「柱」の存在は、建築物のひとつの構造上必要な構成要素、ピースでしかなく、場合によっては不必要にすらなり、あるいはそもそもの「柱」的象徴性を排除しようとさえこころみられていく。
それは近代建築が自由と引き換えに、それまで建築に内包されてきたある大きな必然性を失うことをも意味してきた。
眞の透明性とは。
柱には柱としての意味がある。重力を支える部材としての柱もただの部材ではない。屋根のかかった建築物という前提からスタートするのがいけない。建築は建築であるまえにまずひとつの造形物・構築物であるという認識が重要である。屋根の無い建築物や壁の無い建築物もある。
まず「材料」を切りだしてくることから、スペースを開墾するところから、礎石を配するところから、柱を立てるところから、あるいは石を積み上げることから、すべて地続きに透けて見えてこなければならない。
つまり今日要求される美術作品と同じなのである。しかしそれは特殊な要求ではない。
かつての良質の造形、建築の多くがそのような「透明性」を持ち得ているのである。
柱がどのようにもたらされ、どのようにそこで機能しているのか。そこにその建築物の「透明性」が反映されていくにちがいない。
ここでいう「透明性」とは、今日好まれる「透明性」―軽やかさ、広がり、自由さ、という性質とは次元を異にしているのは言うまでもない。 今日の「透明性」とは単にベタな(リテラルな)「透明性」であり(つまり単にガラスで透けているとか壁が見えないとか、素材感が隠されているとか)、ある意味通俗的かつ偽りの透明性とも言える。
いずれにせよ、「柱」という垂直に立てられたある一定の太さの棒は、それ自身何らかの意味を生み、吸い寄せ、価値を育む。
「透明性」のある良い建築はそういった柱の価値を取り込みかつ引き出し、機能させることでそれを建築の力としてきている。