即身仏


「即身仏」は主に現在の山形県庄内地方を中心に継続的に行なわれてきた「風習」である。それは真言密教を母体とし山岳自然信仰・修験道を合わせつつも特異な進化を遂げたものであると言えよう。基本的には自らの意志で即身仏(ミイラ)になるべく修業と準備を重ね、土中に入り死んでミイラ化した状態で、取り出してもらい処置されしかるべき礼拝の対象として配される。現在残される即身仏ミイラは十数体あり、実はそれ以外にも数多くの修行者が地中に埋まったままであるという。驚くべき自己犠牲であり、自らの意志で自身の身体が文字通り半永久化され、礼拝の対象となるという、世界史上でも稀な位置にある。しかも近年(明治維新のころ)まで行なわれてきていた(明治政府が禁止したのでできなくなった)。


 このような「即身仏」を造形物的視点でとらえるのは不遜であるし、ややピントがずれてしまうかもしれない。しかし重要なのはこのような「即身仏」という特殊な身体感覚が、この地域の文化に後世どのような影響を与ええたのか?そのうえでどのような造形表現に結びつきえるのだろうか?という観点である。


 有名なエジプトのミイラは、王侯貴族の死後の永続性を願っての、あくまで死んだ後の処置であったし、ファラオはそもそも礼拝の対象であり、だからミイラ化された。一方即身仏ミイラは、生きているうちに自らの意志と準備でミイラになり、ミイラになることによって礼拝の対象となる(生前から英雄的な活動をして有難がられていた人も多いが)。自身の生の永続化ではなく、貧困や不幸に苦しむ人々を救うための祈りの永続化なのであり、生を絶った祈りが具体的な形として凝固した物なのであるという点際立っている。それは横たわる姿ではなく座った姿をとっていることに象徴される。

 イエスキリストの身体性―生身の人間の身体でありながら同時に神の子であるという両義性と比較してみても、その違いは明らかだ。即身仏は生身でありながら神性をおびるが、その生身は既に死んでおり、むしろ「遺骸」が聖視されることにほぼ近い。それは永続する「遺骸」ということで、「骨」にちかいかもしれない。しかし聖人の骨は骨が聖なのではなく、聖人が聖だから、遺骸の骨が聖なのである。即身仏はそのミイラそのものが―そこへ結実した精神のかたち・そのものの有り様が聖なのである。だからイエスキリストが十字架に架けられたその張り付けの姿そのままが、永続されミイラ化したと考えるといいのかもしれない。イエスの場合、自らの意志でそうなったというよりも、人間達によってその様に刑殺されるのであるが(そうした一種の「犠牲」としての運命を受けいれ、かつそうした意味合いを象徴するものとしてある)。イエスキリストの生涯と意味を集約した、磔刑図や十字架のペンダントが特有の具体性を持っている様に、座禅を組む即身仏のイコンがたくさんつくり出され、礼拝の対象になってもいいように思える。

 キリストの遺骸は死後消えてしまい、復活して蘇ったということになっている。それゆえイエスの遺骸のその後は、腐りもせず骨にもならずミイラにもならなかった。その生涯を象徴する十字架の印象だけを残して弟子達が後世その教えの体系を打ち立て大宗教になった。即身仏はミイラとして残りながら、どのような教え、メッセージをのこしているのだろうか?ある意味でかつてこの庄内地方にはいく人ものイエスが存在したといえる。がそれは「イエス」ではあっても「キリスト・救世主」にはなりえなかったともいえる。概してこの即身仏の地位は、神様仏様、如来、菩薩、、、の末席に位置し低いものである。それは寺における配置に表れている。どこまでいっても神にはなれない。しかし特有な畏敬と聖性はみとめられ、それなりの待遇はなされてきている(近年では様々な貴重価値が自覚され大事にされているが)。待遇や地位の低さだけではなく、その思想の広がりも限定的なもののように見受けられる。むしろ恐れ多いものとして隠されてきたきらいがある。聖書のような「ことば」による展開ではなく、自身の身体そのものにたえず集約していくような独特の性質も作用してか、いまだに秘密のベールに包まれている感じがする。とにもかくにもひとりの人間が生身でどこまでできるのか。どこまで神に仏に近づけるのか。そのような限界点を極めているとは言える。

 ところで、この即身仏への道のりは、基本的には地中に「入る」ことによって、現世を離れ、黄泉の国―異界へ没入・一体化するような方向性にあるわけで、修験道の山岳修行で山々の大自然と一体化しようという延長線上においてイメージすることが可能だろう。通常この没入型の一体化では、物質的・造形的なものには結実しえない。そこが「制作」にともなう修養と修験道的修行の異なる点である。しかしこの即身仏の場合では「もの」がのこる。「もの」と言っては語弊があるが、修業している自身の身体そのものが「もの」として遺される(というか、即身仏になる人物をバックアップする人々(お寺や教団関係者など)が、入滅後、土中から掘り出し、永続する「もの」として体裁を整える。いわゆる「即身仏」なるものとして、迎えられ、つくられ、世に公にされる。のであるから、ある点で共同作業の創造的要素も感じられる)。修業による没入的一体化は、自己を捧げ、放棄し大いなるものの懐へ向かうのだと思うが、結果的にそうした自分自身の姿・意志が丸ごと遺されるという点が得意である。自己を放棄し、同時にそうした自己を保管し拡大させる。拡大してついには「聖」としてあがめられる。この即身仏では自己放棄と自己拡大、「実」の放棄と「実」への結実が鋭く交差しているのである。

 このような特異な即身仏は何を我々に伝え残しているのだろうか?残念なことに十分にそれが見えてこない。祈りや意志を視覚化し永続させるとはまさに「造形」表現そのものであるわけだが、だからと言って、ことさらこの地域の造形表現が盛んであるというわけでもない。逆に自身の身体が直接永続化するとは、他の物質で代弁させるものである「造形表現」そのものの否定につながるという考えも成り立つが、この地域に限ってそういった否定的な流れも別段あるわけではない。さらには、生身の身体を用いる芸能がとりわけ盛んであるというわけでもない。しいていえば近年の「舞踏」、、、やや地域はズレるが、秋田出身の土方巽の特異な身体性が思い浮かぶかもしれないが。
 いずれにせよ、この即身仏的身体性は、あまりに特異すぎる地点にあり、おいそれと近づけない地点に切断され存在し、現代では「異物」化しているのかもしれない。今はただそのメッセージそのものであるはずの即身仏そのものに向かい合い、静かに耳を傾けるほかないのだろう。が、それにしては現在、寺の住職達が少々うるさすぎやしないか?


 
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