岡本太郎の縄文論をめぐって 2001年

 

 縄文土器の価値は、1952年岡本太郎の紹介によって世に見い出されたといわれる。その岡本の功績は、不滅のものであることはいうまでもなく、今では「日本美術」年表の最初に縄文土器が載るようになった。しかし縄文土器のエッセンスは、未だに我々にとって見果てぬ夢であり、だれも(岡本でさえ)今日の表現と連結できたものはいない。ここで少し岡本の縄文観をたどりつつそのことについて考えてみたい。
 岡本は例えば、縄文と弥生を対比させながら、流動性・アシンメトリー/静止的・シンメトリーという造形的美意識の違いを、狩猟・移動/稲作・定住という生活スタイルの違いに、結びつけて以下のように述べている。「縄文土器のもっとも大きな特徴である降線紋は、はげしく、するどく、縦横に、奔放に躍動し、くりひろげられます。その線をたどっていくと、もつれては解け、混沌に沈み、こつ然と現れ、あらゆるアクシデントをくぐりぬけて、無限に回帰しのがれていく。弥生式土器の紋様がおだやかな均衡の中におさまっているのにたいして、あきらかにこれは獲物を追い、闘争する民族のアバンチュールです。さらに、異様な衝撃を感じさせるのはその形態全体のとうてい信じることのできないアシンメトリー(左右不均斉)です。それは破調であり、ダイナミズムです」(『日本の伝統』)。
 以上もっともな指摘であるが、しかし単に、狩猟生活のリアリテイ−のみから、縄文の造形を説明することは無理である。なぜならかつて、人類の多くが移動、狩猟民族だったのであり(それは一部現在まで続いていることでもある)、それにもかかわらず、そのようなところに見られる遺品と、縄文の造形の間には大きな開きがあるからである。実際の日本(特に縄文の栄えた本州・東日本)には、せいぜいツキノワグマや日本狼、猪、マムシぐらいしかいないのであり、もっとどう猛な肉食獣や猛毒は虫類のいる、例えばアフリカのピグミーなどが、縄文以上に激しい造形を造ってきたかというとぜんぜんそうではないのである。そいうわけで、このようなライフスタイルから導きだされる縄文の心情とその造形の結びつきは、多分に観念的な色合いをおびているように思われる。
 ここで無視されているのはいわゆる「風土性」ではないだろうか。特にこの縄文文化論は風土を問題にしなければ、日本列島の狩猟生活者のみが、あのような造形を生み出しえたことからずれていくにちがいない。風土−とくに東日本の落葉広葉樹林および深い山、谷、川、海、そして活発な火山等が大きく影響してきたと考えられる。逆に弥生、大和朝廷文化は、このようなダイナミックな自然を、人工的にならし、改良していく文化だったのであろう。
 岡本は風土性にほとんどふれることなく、狩猟期の人間心理に肉迫しようとする。「しかしこのはげしく強い神秘的美観の根底にある精神、そのドラマの本質が私にはビリビリと感じられるのです。それは狩猟期の生き方そのものの内にある悲劇的な複合精神、アンビバランス(一つの対象にたとえれば、愛と憎しみのような相反する感情が矛盾のまま同時に、心のなかに存在すること)です」。
 自然(神)−獲物−生きるために必要なものを殺さなければならない根源的矛盾の指摘は大変重要であるが、それ自体は、世界中の狩猟民に共通しうる心情であろう。縄文の造形には直接結びつかないのである。しか彼は、その生の根源的矛盾を強調することにより、結果的には(現代人の考えている悲劇、葛藤とは違うと言っているのだが)、自分自身の関心事である実存的自己分裂の文脈に近づけていくのである。
 また、弥生のシンメトリーと縄文のアシンメトリーの比較も、私には少々疑問である。弥生にシンメトリー、水平垂直の特別な価値、美意識が芽生えていたことはうなずけるのであるが、それだからといって、縄文が、アシンメトリーを意識していたわけではないと思うのである。弥生のように、シンメトリーに対して特別な価値が見い出されていなかっただけであり、アシンメトリーを意識していたことと、シンメトリーを意識していなかったこととはまったく異なる問題である。そもそもアシンメトリーは、シンメトリーができて、その上で見い出されるものであるはずで、この違いは大きい。別なところで岡本も言っているように、縄文は流動的であるが、精密であり洗練されてもいる。年代、地域、部族によりそれぞれの様式が確立しており、しかもそこには、それぞれ一定の進化、洗練、衰退の経過が見て取れるほどのものなのである。いずれにせよ岡本の縄文論は、狩猟期の根源的矛盾の心情と、アシンメトリーな「反美学的」な要素を強調するものであったと言える。岡本のせいではないが、その強調が、その後の日本において、既成の伝統主義に対する、ある典型的なかまえを象徴してしまったのではないだろうか。前衛芸術の展開、土俗文化の解釈が、時として、非形式、矛盾、渾沌、情念となり、確かな造形形式に到らず、むしろつねにその逆を試行してきたことを彷佛とさせる。
 岡本太郎自身も、弁証法やアバンギャルドの精神をよりきわだたせたような、それでいて今まで見てきたように、仮面や縄文の心情に通ずるような実存的自己分裂にうらずけられたところの「対極主義」を主張し、数々の作品を造ってきた。しかし結果的には縄文文化の造形、そしていわゆる「二重性」の文化とかけ離れたものに終ったように思う。それは、岡本の「対極主義」が、対立する要素の極限的な矛盾の緊張感に生きるとしたのに対し、「二重性」の造形が、あくまで対立を抱えながらしかも同時に結ばれているという、独特の統合形態を造り出してきたことの差であると私は考える。しかも岡本の例えばタブローの場合、タブローという根底の受け皿を不問の前提としているため、対立しているのはつねに画面上の形象やその表象間のことでしかなく、本当に彼自身の主張が実現されているとはとても思えない。 そういうわけで、縄文文化の造形の真価とは、そのような「岡本太郎的」、「渾沌」、「アンチ」などとまったく異なるもので、流動的な生命力や根源的な矛盾が、結果として風土と生活に裏付けられながら統合され、ひとつの造形に結実しえたということこそ特筆すべき点なのである。そしてそれこそがその後まったく受け継がれえなかったところでもあるのだ。