「え」と「絵画」・依代的文脈の「え」
日本における「え」という造形表現も、今まで述べてきた「二重性」の文脈からあえて考察してみたいと思う。西洋においては、「え」において、いや「え」においてこそ徹底的に、「同一性」の融合が成立していくのである。それは人工物でありながら聖化され、時に礼拝の対象ともなり、16世紀以後はそれ自体が「芸術」として聖視されるようになった。それは先にふれたように、人間性(身体、理性)と神性をつなぐギリシャの伝統、キリストの唯一神でしかも両義的存在の伝統、共和制都市国家の伝統、などが複合的に重なりあって可能になってきたものだと私は考えている。一方「二重性」の文化では、基本的に「外部」(聖)と「内部」(人為)がどこまでも融合することがない。
日本において「え」は、様々な形式、場所、用途、人々においていとなまれてきたが、西洋のタブローのような、「え」自体として見ることを純粋化した形式は生まれなかった。しかし時代におうじて、中国や仏教の様々な「え」の影響を受けてきており、単純にこの「二重性」を当てはめることも限界がある。しかし元来の自然信仰的体質が失われない限りにおいて、いかに大陸から輸入された物であっても、その表現を内発的に行うためには、なんらかの形で「二重性」が機能してきたと推察される。
「え」というのは、西洋近代の「絵画自体」の意識以前は、つねに「絵画」であるまえに、「何ものかのえ」であった。それは「え」である以上つねに、描かれたものの物質的欠如を意味してきた。「えそらごと」とは、その具体性の無いことを否定的にいった物言いである。しかしそれも「依代」という文脈から考えるなら、その不在が逆に、物質世界を超越する−神・自然−「外部」との結びつきを生み出す肯定的なものに転化しえるのである。