床の間

 

床の間という小さな空間は、日本固有の一種の体験装置と言えよう。神仏と交わる神棚や仏壇のような、宗教、呪術とは異なるレベルで「外部」へつながるもうひとつの「通路」なのだ。それはちょうど中身がからの祠かなにかのような、一種の欠如をともなう「間」として、「外部」の流動する「気」を一時的に呼び寄せ、住まわせるかのような趣である。誤解を承知で例えれば、床の間とは、一種の社か依代であり、そこに掛けられる様々な掛け軸、置かれる置き物は、そこに憑依する「気」なのだ。生活のまっただ中に設置されたそのような「間」は、実用的生活空間と相互補完的な関係をつくってもいた。それに接する住人のまなざしも当然のごとく、展示場で累々と並んだガラスケースや額縁に入った作品を見ることと異なっている。現代では家に飾る「鑑賞用」の造形物というと、逆に眼を楽しませるだけの軽蔑の響きすらある。しかしその「鑑賞」もピンキリであって、本来生活の中で育まれた「鑑賞」は、もっと幅が広く時に生活空間にあけられた「外部」ヘの通気口のごとく、大きな役割を果たしてきたと思う。「正式」な展示場、美術館、博物館が整備されたことによるのか、生活の中の「鑑賞」がひどく貧弱なものになってしまったように思える。掛け軸・屏風・ついたて・扇 床の間に掛けられる「掛け軸」の書画は、季節や来客、気分におうじて掛けかえられ、各々そのつど異なる「気」をその部屋にもたらすはたらきがある。「言霊」というのがあるが、似たようなことが「掛けかえられる」書画にも当てはまり、それらはたんなる部屋の装飾品ではない。「掛ける」、「開く」ことによって一種の霊力を発散させて、人々に与えるはたらきがあったということもできる。開かれ、掛けられる「え」とは、ちょうど床の間という「祭壇」に憑依してくる「外部」の精霊のごとき存在でもあるのだ。それゆえそれは、一種の窓のような働きのある西洋流の額縁絵画とは性質が異なるのである。 

掛け軸と同様なことが、屏風、ついたて、扇などに描かれる「え」にもいえる。これらも室内に設置され、開かれ、立てられることで、「え」が現れて、その空間を一時的に変質させてしまう(屏風はハレの場を演出したり、仏教行事の背景となって宗教的空間をつくりだすことなどにもつかわれた)。それらはいわゆる壁画と違い半永久的に設置されるのではなくて、一時的につくられ、生まれてくるその特別な異空間とともにある。興味深いのは、それらが完全に閉じた壁面になりきるのではなく、あらかじめ仕切られたかりそめの仕切りであることを隠さないところである。それは人間が仮面をかぶっていることを隠さないのと同様であり、つくりものの空間でありながら、それが一時的に日常の中で、「二重的」な関係を造り出しているように思える。

 タブローの無い非西洋−日本の「え」において、掛け軸、屏風、ついたて、そして後述するふすま絵は、基本的な形式である。それらに共通するのは「え」が一ケ所に永久的に確定されえない流動性である。「え」はそれらの形式とともに移動し現れ閉じられる。そしてそのような性質は期せずして、自然信仰における「神」の不確定で流動するリアリテイと通じてくるものでもある。しかし明治に組織された「日本画」とは、そういう在り方に、完全に逆行するものであったわけである。額縁展示は、「え」を固定し観る者の姿勢、立ち位置、視点までも固定してしまう。「え」は現れたり、動いたり、消えたりする非物質的な流動性を失い、半永久的なモニュメンタルな物質性に固め込まれてしまった。「二重性」としてあった表現形態が、西洋流の「絵画」として「同一性」の形式のもとで、人為的なものづくりが強調された時、タウトが言ったように、むりに引き延ばされ、強められ、つくりこまれた人為性ばかりが目立つようになり、「外部」性が消えてしまう、たんなる自然を装った「つくりもの」に落ちてしまうことになる。(2001)