変質と分離―美術と「民芸論」2001年
ブラックバスが在来の魚を食い散らし、日本の河川の生態系が破壊されてしまうのではと危惧されている。在来の生態系へのブラックバスの侵入と、明治の美術概念の上陸とをここで比較してみるのもおもしろいかもしれない。
河川の生態系と書いたが、在来の造形表現においても、もともと蓄積され、緻密に関係しあって育まれてきたところの生態系を想定しなければならない。例えば貴族、武家、町人、農民等の身分階級であるとか、用途のちがい、聖俗、宗派のちがい、材質の高低等いろいろな軸が絡まりあって、「美術」とは異なる意味での「ジャンル」分けがなされ共存していたに違いない。
そのもともとの生態系を粉々にしてしまった「美術」の強さとは、一言でいえば「美・視覚性・純粋性」という新しい超越的な物差においてである。「ファインアート」と「視覚芸術」という概念が重なる時、「視覚としての美の純粋性」こそが、美術を美術たらしめる最も本質的な価値となってくる。この新しい価値は、在来の生態系をかたちずくってきたところの様々な尺度を超越するものであった。視覚美の純粋性を軸にして、絵画、彫刻、書、建築、工芸といった分類とヒエラルキーが確立されてくることになる。このヒエラルキーは、貴族文化の様式だからとか、金が使用されているとかいないとかといった価値を超越するものである。
この生態系の変質は「ブラックバス」という原因を取り除けば復元されるといったものではない。外敵が在来種を食い散らかしているという問題ではなくて、むしろ在来種のそれぞれの細胞自体が変質してしまったのである。
ここで具体的に工芸というジャンルを一つの例として、この難しさを考えてみたい。民芸運動の立て役者である柳宗悦は、工芸的要素の普遍性について次のように述べている。
「中世紀以前の古作品はほとんど凡て実用性を持っていたのである。単に見られるためのものではなく用いられるための作物であった」(『工芸文化』)。
しかし実用的要素が含まれるということと、近代に確立した「工芸」であることとは全く違うのである。柳は結果的にはそれを混同し、近代的概念の「工芸」を超歴史的に絶対化する。北澤は、次のように指摘する。
「『美術』なるものの純粋な在り方が追求されてゆく過程で、いわばそのネガティブとして『工芸』という枠組みがうみだされていったのである」(『境界の美術史』)。
柳は、視覚性の純粋美に対する実用という「不純」な、つまり「ネガティブ」な意味でうみだされた「工芸」概念を逆に押し進めるのである。そして「用の美」を主張しながら美術に対する逆説的な優位性を碓保しようとする。しかしそこでは、中世の時代、「実用性を持っていた」もろもろの造形における多義性は失わざるをえない。なぜなら、ひとたびジャンル分けが確立してしまえば、「ファインアート」的要素は「ファインアート」に吸い取られ、信仰レベルは「宗教」へ吸い取られ、守備範囲がおのずと限定されてくる。柳が工芸自体の価値、美を追求すればする程、工芸は平凡な日常雑器の「用の美」というところに収束してくることになる。柳の「工芸」に関する固有な価値の発見と指摘は、驚くほど豊かである(例えば実用性、反復性、低廉性、公有性、法式性、模様性、非個人性、間接性、不自由性など)。しかし結局その全てが、近代的な「用」という範囲に収束してしまう運命にあるばかりでなく、本来様々な意味合いにあった在来の「実用性を持っていた」造形を、「用」という観点で純粋化し、選別し、はみだすものを「げてもの」として排除してしまうことになったのではないだろうか。
このように明治期の生態系の変質は、単なる新しい概念の輸入に留まるものではなく、取り返しのつかないものであった。分離された部分と部分が、分離以前の状態のままレンガのように切り別れているなら復元は容易である。しかし分離した部分は、生き残るため、各個に自立し、それ自身変質していくのである。分離以前のそれは最早この世に存在しないのである。しかし後戻りできないことと、もとの状態を無視することは同じではない。この根源的な変質を見据えていかなければ、今日の美術の問題の根が見えてこない。
そういうわけで「芸術」概念の輸入は、芸術と生活と信仰をそれぞれ分離してしまうことになった。さらに美術、音楽、文学の自立は、それぞれ表現における見ること、聴くこと、読むことを分離した。当然と言えば当然なのだが、今日の視点から観て、複合的に混ざりあっていた在来の文化においては大きな変質である。美術の純粋化においての生活や信仰との分離は、逆に言えば生活や信仰から上質な美が吸い取られることでもあり、例えば在来のものづくり一般を指した「工業」という言葉からは、美が消えていってしまった。これを「美」から見れば、「美」が棚上げされ、現実世界から隔離されてしまったとも言える。また、「ものづくり」という観点から考えれば、「ものづくり」そのものが日常生活から離れるか、実用の奴隷になるかのどちらかでしかなくなったことを意味する。