<直線・統合>

 

目には目を、歯には歯をではなく、片方のほほをぶたれればもう片方のほほも差し出せというイエスの言葉が象徴するように、原始的な相互性―「循環」をせき止め一方向のみに方向づけるのが、キリスト教に端を発する西欧文化であり近代文化ではないだろうか。

両ほほを差し出しぶたれるままにすることによって、負を一方的に背負い込むことになる。その現世的な負債は、死後の世界―最後の審判で取り戻されうることになる。いわば現実世界における負債の見返りは、架空の空間に棚上げされ、現実空間に負債のみが一方的に蓄積され続けることになる。いわばただ一度の最後の瞬間(非現実空間に先延ばしされ)で帳尻が合うように構造化される。

最後の審判に向けてどこまでもどこまでもぶたれ、負を背負い込み、歩き続け、働き続け、稼ぎ続ける。その血と汗でたまりにたまった現実世界における余剰分の多くが、教会という現実世界における仲介装置へそそぎこまれていく。いわばキリスト教神話のコードにおびただしい富が一極集中し、この世ならぬ豪華絢爛なる現実空間が形成されという皮肉な事態が生じてくる。

キリスト神話において、現世はすべからず目的地(最後の審判後の神の国)への道程とされ、つまるところ、現実世界は、未熟で野蛮な混沌、とるにたらない素材とされてしまう。世界が素材とされる時、自然信仰的な畏敬と需要と供給のバランスを保ってきた「相互性」は消え、ある意味で自然は単なる収奪の対象と化する。後に、来生にあるはずのキリスト教的目的地が、古代ギリシャ・ローマ文明と結びつくことにより、「この世」そのものにすり合わせられようとする時(さらに産業革命と進化論に武装された近代文明が合体する時)、その一方向の収奪はさらに顕著となる。ルネッサンス以来の人間中心主義の世界観は、人間の理想世界実現のために、世界・地球を未開発な素材ととらえ、搾取と破壊の暴走を始めるからである。相互的で循環的な均衡関係は壊れ、目には目を、さらに歯も、さらに腕も、そして命も、、、と全て一方的に奪い取り支配しようとする。

 次々と収奪される領域は疲弊し、同化支配され、広がっていく。植民地主義は、実質的には今日もそれほど変わっていない。依然として地球は巧妙かつ野蛮に搾取され続けており、地球規模の環境破壊と資源の枯渇を招き、バランスを破壊し、自身の足場を崩している。

 

 近代文明は、そのような直線型の構造をもち、結局のところどこへ向かうかわからずに、しかしどこかへ向けて走り続けるほかない、ニヒリズムとアンバランスと妄想に支配されたものだ。少なくともそれは、本来各々分節されてあるはずの、この世とあの世、自己と他者、共同体と自然を、前者側の一方的な膨張でひとつに統合していこうとするベクトルを有している。

 

ファインアートなる装いの近代美術も、神話的なコンタクト回路―循環構造から自立した、ひとつのジャンルを形成するかに見えるがしょせん同根の一部である。そこでは交流するべき他者・外部が、常に人間世界―芸術を生み出すための素材とされる。素材とされ人間化されてしまうと、それは既に「他者・外部」ではなくなるので、また新たな他者・外部を探さなければならなくなり、その繰り返しによって、近代美術は探求されかつ拡張しかつ生き延びてきた。それはさながら森林伐採と同じで、作品化・人間化の領土は広げられ、一方その外側の領域は狭められる。新たな材木をもとめて次々と熱帯雨林を消費してついには枯渇してしまうように、近代美術の探求と進化は、行き詰まり停滞して久しい。

 循環型の文化が、わざわざ「他者」を「他者」としたまま、交互に行き来するするようにして、二重性のもとに統合をはたそうとしてきたのにくらべ、直線型では、その都度「他者」を「自己」が飲み込み自己に編入する同一化のもとの統合をくわだててきた。前者の統合は、混合物的マダラ模様のものではあるが持続的で安定しており、後者は同一の物質に化学結合しているかに見えて、持続不可能な不安定なものである。

近代文明と近代美術の終焉を経た現在の我々は、だからといってそれ以前の循環型システムに回帰することは既に困難になっている。いわゆる「ポストモダニズム」が、近代の使用後の素材の遺骸を再び用いたり、配列をかえたりしたとしても、事態は一向に改善しない。そういった表層レベルでの見直しではなく、根源的な次元で、循環型と直線型の差異を考察し、もともとの核であるところの始原的分節・交流のあらたな、今日なお可能な方法を探っていかなければならないだろう。

 

ここでそれぞれの世界観から導かれる造形表現の特質を以下整理しておく。

   <循環型> ・二重性のまま交互行き来し続ける動的統合。−「二重性」の表現(後述する)。  
   <直線型>  ・二重性を片方によって支配するゆるやかな階層的統合。―地中海的古典主義。 
    ・二重性を片方によって収奪編入同化しようとする文字通りの統合。―近代文明・近代美術。