<二つの時間・輪廻転生>
コンタクト回路において定期的に取り仕切られる異界との交流。それを起点とする文化では、当然のことながら定期的に繰り返される循環する時間感覚を自然なものとしてきた。天体の動き、日の出日の入り、一年周期の季節の循環、、、自然界の循環がそこに重ねられる。いわゆる死んでまたふたたび生まれ変わっていくという輪廻思想も、仏教以前から広く自然に育まれてきたと想定できる。永遠に繰り返され循環していく自然や共同体組織に比べて、自分自身の存在は相反し死滅し繰り返せないようなのだが、自然と同様に、ふたたびどこかのなにかに生まれ変わってくる、くるに違いないと考えるのが輪廻転生・循環的時間感覚の原点だろう。
一方で死滅し一回きりに人生という個人存在を起点にした時間感覚が直線的時間であろう。キリスト教でも、死者は蘇りはしない。煉獄で待ちやがて来る最後の審判を待って、天国と地獄に振り分けられ、天国で永遠の生命を享受することを願う。どこまでも自分自身であり続け、自分の人生をまっすぐ貫いていく。他の何ものかに置き換わるということはあり得ない。西洋的個人意識が反映しているというよりも、そのような個我はこのような土壌から育まれてきているに違いない。
輪廻転生の自己は、繰り返され循環する自己であり、同時に、他の誰かでもある複数の自己である。繰り返される一回ごとの時間―固有な人生・体験は、かならずしもそのつどゼロになり消えてなくなるわけではなく、どこかに残され蓄積重層されていることになる。この人生、自分という存在が、前世の、過去の、他の誰かと繋がっているという感覚。因縁が既に生まれる以前から張り巡らされている存在形態。
一方キリスト教では、旧約の言い伝えにのっとれば、共通の人類の祖先であるアダムとイブの失楽園以来、楽園喪失の因果が刷り込まれており、その負債を背負ってこの世に誕生してくることになっている。楽園への復権をもとめて最後の審判へ向かう人生は、しかしやはり共通の因果にのっとりながらも、まっすぐな一個の自分につらぬかれている。
このようなことから考えると、大きく見て、「循環」/「直線」の対比のほかに、「多重」/「一重」の対比があわせられているのがわかる。
すなわち、、、
・輪廻思想は循環的で多重的な時間感覚。 | |
・キリスト教や近代自我は直線的で一重的は時間感覚。 |
と、分類できる。
輪廻転生の文化では、同様な造形表現が定期的に繰り返され、そのつど役割を果たして、そのつど破棄されることが多い。いわゆる一回性の表現であり、逆にいえば破棄されることが重要な意味を背負う。例えば依りしろや伊勢神宮の建て替えの在り様を想起する。
一方、破棄されない場合では、毎回繰り返し時間と経験が積層され、複雑に重層され続ける造形が生まれていく。それは終わりがなく元の形が変容していく形態をとる。例えば奉納され祭られる神像や仏像のありようは、展示ケースに収蔵される美術品とはことなり、時間とともにオーラが付与され変容していくように思われる。いわゆるひとりの「作者」の思惑に規定されえない、作者の手をはなれて、様々な影響を受け、修正、後付け、改変が行われながら、別な意味が同時に重層し混在していく場合も多い。まさにそれは、現実世界に存在し生き続けるものごとの実際のありようでもある。自分はその様な特質を「後天的付加価値」と呼んでいるが後述したい。
それらに比べて、キリスト教的文化では、造形表現もその固有な自己存在を尊重され全うしていくことが想定されている。固有性、個別性が重視され、同じ繰り返し、反復は評価されない。そもそも作家・作者とは、創造神の末裔である。その創造は一回限りの特権的なものであり、作者のコンセプトは終始貫徹される。「作品」はやがて最後の審判で選別され、優良品は芸術作品として神の国で永遠の命を手に入れることになる。そこでは時間は止まり、最良の状態で風化し老いることなく保存される。作者―制作―作品―展示―美術館における収蔵という理想的なつらなりは、良きキリスト教信者の人生観そのものである。作者は最後の審判にむけて、自己の行いをより良きものにするように、固有な作品をよりよく丹精をこめつくりこむ。、
以上のことから、今日あたりまえになっている、美術、作者、作品、コレクション、美術館などに関する特権的で強力な近代的観念は、西洋文明に由来するものであったということができよう。
以下まとめると、、、
輪廻転生文化での造形表現 |
・一回性の媒体的造形 |
・積層する後天的付加価値の付与される造形 | |
キリスト教文化での造形表現 |
・いわゆる近代的概念における美術・ファインアートとしての造形表現 |
いずれにせよ輪廻転生文化圏における「循環的多重的」な造形表現の固有な意義への考察と言及は、今後の大きな課題であろう(あるいは一回ごとリセットされる現代の「ゲーム」的時間感覚と深くつながっていく可能性も示唆される)。後述していきたい。精細は『転生について』参照。