はじめに
人が歩けば道になり、道ができれば行くかう者も増え、
人とともに道は伸び、いつしか踏み固められ整う。
そうして道はついには世界を形成し人の生を規定するものとなる。
だが、はじめから道があるわけではない。
道が無限に続くわけでもない。
そこは切り開かれる以前の空間が広がり、整えられる以前の無数の枝道が分岐する。それは人々の歩かない、潜在する世界の外につながっている。今自分が立っている道がどこから来て、どこへ至るのか?そうしてその道がそもそも正しい道なのか?その道をただ行き来して、とどまり続ける者にはどだい解かるわけもない。
このホームページ(研究プロジェクト)の目的は、我が国において、今まで比較的短い時間の中で踏み固められ整えられてきた、「美術」という一種の太い道の途切れた奥、あるいはその始まる以前、あるいはその道のはずれを、もう一度見直していこうとするものである。西欧美術、近現代美術概念という太い中央幹線からは見えない、道の外に広がる未整理の領域や無数の枝道に注目し、ほかにあったかもしれない道、あるいは今後あるべき新しい道・表現の姿を指示していきたい。
明治以降我が国の美術表現は、その概念、ジャンル、制度自体の輸入からはじまり、つねに外来からの動向に左右され、その後追い的模倣とそのリアクションを繰り返してきてひさしい。中央幹線道路が各地域の現実から遊離した、支配者側の視点で突如もたらされ、わが国土を切り刻んでいくように、我が国の美術・芸術も、当初は官主導で輸入され、あるいは新しい国際的なムーブメントの一端として、そのつど有難がられながら受容され、一部の「特別な」人々によって指導、担われてきたのがその内実だ。我が国における美術は、依然としてそれぞれの地域の地政学的現実から生まれ、人々の暮らしとともに育ってきたような「生活道」−実質的文化にはなっていない様に思われる。いかにりっぱに整備されようとも、それを取り巻く現実からはつねに乖離していくのであり、道行く物資はその土地をただ通り過ぎてゆくばかりで、内発的で固有な表現に結びついていかないのである。
「表現のみち・おく」は、必然的に中央幹線の奥、外れという意味において、長い間西洋で培われてきた「美術」はもとより、輸入普及されてきたわが国の「美術」のありようや、それ以前の「正式な文化」−伝統文化のありようの外側を志向することになるだろう(稲作文化、大和政権、平安京文化、仏教文化、、、、など明治以前の伝統的な主要文化の概要も、結局のところ、そのつど外来して広められた支配者側・制度側の文化であり、かつその支配者側・制度側の視点に基づいたヒエラルキーを形成する源となってきている。それらがいかにこの列島の風土に長い時間のうちに根付いてきたものではあっても、明治以後の外来文化と共通の脆弱さを持っていると言える)。
この「表現のみち・おく」では、古代の風雅―「みちのおく」である東北(みちのく)、ひいては北海道や沖縄、あるいは非農耕的な伝統、さらには支配者層に対する庶民レベルの民俗文化といった、この列島における基層文化、ジャンル化する以前の原初的文化への表現論的考察が試みられる。つねに中央幹線道側から周縁に追いやられてきた在来の文化。そこで忘れられ、見失われてきた領域は、歴史上あまりにも広大である。さらには今日さかんな大衆文化―サブカルチャ―オタク文化といった、メインカルチャーと異なる独特な文化形態への考察にもつながっていくだろう。基準の成立しえない今日の文化状況・美術状況は、それを許容せざるをえず、これまでとは異なる次元において、多くの示唆に富む考察を、新たに我々にもたらしてくれるのではないだろうか。
何よりもそれは、この風土に細かくはりめぐらされた様々な古道、小道、枝道、けもの道、私道、あるいは道なき道、道以前の広がり、、を丁寧に自分の足で踏みしめ、新しい生きた道を自分たちの足で育んでいこうとする、ごく自然で率直な試みであると言えるだろう。
この研究プロジェクトの端緒は、そもそも自分自身の卒業研究テーマであった「森」への関心から始まっている。その後仙台の美術作家を中心にはじめられた「ウブスナ美術研究会」(1995〜2002)機関誌(1〜3)においてそのつどの思索がまとめられた。特に2000年「ubsuna・フォーラム仙台」第2回では、「表現のみちのく」と題し途中経過の形ではあるが私自身研究報告をおこなっている。研究会解散後もタイトル(表現のみちのく)をそのテーマ設定とともに、自分自身の中で継続させることになり、今回「表現のみちのく」を「表現のみち・おく」と改題しながら、とりあえずこのような形態においてまとめつつ公開するはこびになった。もとより未だ途中経過、現在進行形であることには変わりがなく、考察の進度とともに、少しずつ積み重ねられ、書き換えられ、組み替えられ変化していくことが予想される。以上初めのあいさつに加えここでお断りしておきたい。