スタンスの問題
「表現のみち・おく」では、「表現」と言いつつも、従来認知されている既製の表現ジャンルから外れる、雑多で、未分化な、あるいは原始的な事項の多くが考察対象となる。それらは普段民俗学などの対象にはなっても、表現論・芸術論の対象からは除外されているものである。日本では、外の何処かで既に成立した既製の外来文化―表現形態の輸入から表現論が形成される傾向がある。それは自身の風土的実態から生まれ育まれてきたものではないせいか、常に現実と乖離してしまう傾向にあることは序文でも触れた。表現の成立する基盤、根拠、根っこの部分を表現以前や周辺の領域からとらえ返し、理解し、現在の自分達における創造力として育んでいかなければ、内在的な表現の形成は有難い。
それゆえに一見すると従来の枠内では、「表現」とは思われない事象までも表現論的に考察されていくことになる。というよりもそのような既製の近代的「表現」概念そのものを、自らの物差しで俎上に載せ相対化するためにも、それはぜひとも必要なことであると信じている。以下そのような問題意識を踏まえつついくつかのポイントに関して記しておきたい。
例えばこれまで日本では、自らの風土に生きる様々な表現に関して、自ら語ろうとする時、おおまかにいくつかのパターンが形成されてきた様に思われる。
1・自分達の表現が絶対のもので優れたものとし称揚する方向性。
2・自分たちの表現をスタンダードに対する固有ととらえ、その上でスタンダードよりもある点で優れているとして、その固有性を称揚していこうとする方向。
3・自分たちの表現をスタンダードに対する固有ととらえ、その上でそれを劣ったもの、未発達なものとし、スタンダードに合わせて矯正していこうとする方向。
1では、しばしば国粋主義につながり、独りよがりなものとなる。島国日本では教条的伝統主義者、あるいはかつての鎖国的尊王攘夷主義者とも言えるべきものとなり、よくて一種の伝統芸能として棚上げされる。しかし見方を変えてみてみれば、その称揚が結局のところスタンダードを前提としているゆえに生じる一種の「オリエンタリズム」に連結していくことが多い。
2では、称揚される性質があくまでもスタンダードに対する固有なるものであるために、スタンダードな基準を前提としており、かつ必要としてしまう。そのもっとも解かりやすいかつ頻繁にみられるパターンは、基準のみスタンダードを採用し、モチーフ・味付けに固有を採用するものである。ありふれた皿にもられた、土地や季節に応じた特殊で新鮮な食材、ネタ、あるいはその付け合わせとしてのありようとなる。これはスタンダードからみた物珍しさ―オリエンタリズムであり、スタンダードに彩りを添えるために取り入れられたスパイスであるか、その活力源として搾取された土地の資源であり、つまるところ典型的な「植民地主義」となる。
3は、スタンダードに当てはまる事象のみしか認識されないかそれに値しないとされる。程度が強い場合、自分たちの風土そのものを無視したり否定したりすることになる。 スタンダードの普遍性、不変性を信じ輸入しそれを広めることに使命感すら燃やす。明治以降輸入された芸術―美術なるものの捉え方の基本的姿勢にあてはまるだろう。洋行帰りの留学の徒がその主たる担い手である。いわゆる「洋画」の文脈の基盤に流れるもので、今日の「現代美術」に至るまで我が国の特異な基本傾向となっている。
岡倉天心らが推し進めた「日本画」はおおよそ2番と3番の折衷型であろうか。東洋的な美意識、精神性、伝統的なメディウムの固有性を優れたものとして称揚しながらも、一方で西洋流の「美術」、「絵画」なるジャンルや規範をスタンダードととらえたことは確かで、視覚的純粋芸術の尺度で西洋絵画と同じ土俵に乗せて競えるように、在来の表現形式の多くを矯正し多くの部分を切り捨ていった。優れたもの/劣ったものとよりわけなが、在来の表現形式の性質を、スタンダードに対する「固有性」として意識していたことにはかわりない。
初期「洋画」がスタンダードのおおよそ全体を模倣したり、モチーフや色調といった表層レベルでのみ日本的現実を反映させるにとどまるのに比べ、「美術」、「絵画」、「彫刻」、、、といった既に確立され輸入された規範を取り入れざるを得なかったとはいえ、自分達の風土から見出した種々の「固有な」メディウム、対象の見方、モチーフ、支持体、、、といったレベルにおいて再構築していこうとする、日本画創出の試行錯誤は評価されるべきだろう。そうは言っても、結局その折衷的スタンスも、スタンダードな規範に「固有」なネタを取り込んでいくような「植民地主義」と同じ流れにある点では変わりがなかった。そうしてそれは、日本における「近現代美術」の歴史全体を通じて見いだせるもう一つの特徴となる。日本画が「日本画」であり続けるために、基本的な構造において早々と歩みを止めてしまったのに比べて、模倣からはじまった洋画の流れをくむ、「和製」モダンアートおよび「日本現代美術」の展開が、そのつど変転、変容(内在的な自己進化というよりも度重なる外来モード変容にあわせたものではあるにしても)していくのは皮肉なことである。しかし、「固有性」、「オリジナリティ」を探求、称揚しながら、実はその背後では外来の規範に規定され続けている(ことに無自覚ですらある)場合がほとんどで、いかにも気恥ずかしい。
4・それらとはまたちょっと違って、近年散見されるのは、「固有性」を劣ったものととらえながら、同時にしかしそれでしかありえないものとして、忘却、隠蔽、矯正することなく、逆に意図的に強調し、アピールさえしていこうとする奇妙なスタンスである。それは、ある意味での自己肯定であり、ある意味での自己否定である分裂した自虐性が浮かび上がる。多くが意図的戦略的にその劣勢遺伝子を強調ねつ造することにつながり、表現者の心性としては甚だ不健康な危ういものを感じざるを得ない。
本来希求されるべき姿勢は、自分達の風土から新しい別なスタンダードを確立していこうとすることである。
あるいは、自分たちのスタンダードにより、従来のスタンダードが相対化され、結局のところ「スタンダード」なるものが元来幻想であり、ひとつの地方性、ひとつの時代から育まれた固有にすぎないこと、とどのつまり、固有と固有が拮抗していくという開かれた多極世界を開示していくことが求められるように思う。 そのような至極単純な命題にかなう姿勢を保つ者は、実は大変稀であるように思えるが存在する。ただ十分にその真価が問われないまま、大多数の模倣者や植民地主義者とごちゃ混ぜにされてきたのが我が国の美術史である。
我々の表現、風土の固有性ともいえるもの−いわゆる標準的な美術基準からはみだすもの、美術ではないもの、美術以前のもの―例えば、前近代の民俗、自然、日常、オタクカルチャー、、、に対する、「ファインアート」なるものに携わる関係者(批評家、研究者、作家など)の態度には類型的なものがあるが、それを上述した考察を踏まえつつ考えてみると大変理解しやすい。
例えば、在来の文化、民俗的事象などというものは、美術以前の「原始美術」、「呪術」的なるものとして、ジャンル外のものとして無視されるか、未分化の未熟で未発達で雑多なものとしてその下位に位置付けられてしまう。あるいは、面白い新鮮なモティーフとしてそれを「美術」的にとらえ、「美術」の中に必要な部分のみを取り込んでいくいわゆる植民地主義的なものへ至りつく。
同じく、自然−神秘主義、日常−凡芸術、オタク―陳腐として、それぞれ無関係、無形式、無内容として無視されるか下位に貶められるか新鮮な材料として搾取される。其々の「美術」ならざるもの―「固有」な文脈を、美術に取り込みながら、時にはスタンダードに対する「固有」な表現が生まれてきたといえる。しかし、既製の基準を前提としている限りにおいてそれらの試みのほとんどは、外来の動向(基準値の変容)に左右され、その後追いを余儀なくされ、その上でのローカルな個性、ユニークな味付け―オリエンタリズムの枠に収められてしまう。問題は其々の表現形式を支える、根底の基準そのものを問題にしていかなければ真の固有な表現は発生しえない。
そこで必要なのは、このページの冒頭でふれたように、「美術」とそれら「美術ならざる文脈」(我々の風土に生まれる雑多な表現)の同等な位置づけ、考察による、既製の美術的規範の点検、相対化、刷新であり、新しい規範、新しい自分達の表現の構造的な構築である。
そのような意味において、考察されるべき対象も雑多であり、「表現」ジャンル化以前の混沌としたものごとであるが、その考察、語る仕組み、視点、立場も、美術史、民俗学、人類学、哲学、宗教学、社会学いずれに属するものでもなく、既製のジャンルをまたぎその比重もそれぞれ対等であらねばならないのである。しいて言えばそれは専門家ならざる、一個の人間存在―実存的感応力が母体とならなければならないだろう。
そのようなことを踏まえたうえで、例えば、これまでのパターン化された「東北文化」なるもの(あるいは同時に民俗文化、呪術などもふくめて)の語られ方、表現のされ方、位置づけを刷新していかなければならない。
典型的な従来型の東北的イメージでは、土着的呪術的情念的世界が暗く重々しくドロドロと表出される。岡本太郎の縄文論以来、アンシンメトリー、アンフォルメル、アンチ、アンダーグランド、恐山、イタコ、飢饉、寺山修二、暗黒舞踏、即身仏ミイラ、、、、が安易に連結していく。そのトーンはいつも変わらない。そのような雰囲気、濃密な世界はたしかに魅力的で、特に中央から期待されるべき東北像であるかもしれない。しかしそのような表出のされかたは、それが最大限効力を発揮した場合ですら、スタンダードに対する固有。ポジに対するネガ、というおきまりの図式に回収され消費されて終わる。しかもつねに同じ図式で見てしまう習慣ができてしまうと、はじめからバイヤーがかかって、同じイメージから抜け出すことができなくなってしまう。
実際今日、恐山に行ってみれば、また別種のイメージを抱くことができるのではないだろうか。宇宙的、原始的な包容力、清々しさ、明朗さ、人間的やさしさ、ダイナミズム、普遍性、共生、、、、、。おどろおどろしいイメージが多分に、ある時代に要請され強調、脚色されたもの、ひとつの表現されたものであることがわかってくる。
もっと別な、「普段」のスタンスで対さなければ、見えてこないものが多いはずだ。誤解を恐れずに言えば、例えばそれは1950年代に岡本太郎自身がとった態度でもある。「なんだこれは!」という正直で率直なまなざしが、当時の因習化していた日本文化論、伝統的格式、美意識そのものを相対化してしまったのだった(もちろんそれは彼のインターナショナルな知性、豊富な人類学的見識にうらづけられたものだったが)。それが上述したように別な形で再び図式的し因習化してしまった60年後の現在、また新たにそれをやり直さなければならないように感じる。
我々の「表現のみち・おく」では、そういった慣習化された図式から、東北、しいては様々な周縁におしやられてきた「道・の・奥」の事象を救い出し、別な可能性、創造性を新たに見出していこうとするものである。