「水源をめぐるある集落の物語:東京−吉祥寺・井の頭AD2017BC15000」について

 

<はじめに>

 現在の東京都武蔵野市吉祥寺周辺は、首都・東京の中でも特に人々に親しまれているエリアである。
 環境が良く便利で魅力も多い。少々大げさに言えば、戦後日本人が見出し得た、身の丈に合ったひとつの理想郷と考えることも可能かもしれない(事実そうした観点からの研究書などもある)。さらに、仙台在住の自分自身にとっても、この吉祥寺は、とても深い繋がりのある場所であった(参照)

武蔵野市でのフィールドワーク。

 落ちているものを拾い何がしかのものを復元すること。

とはいえそのなおされるものは、特定の際だった何かというわけではない。
 ひとつひとつのとるに足りない小さな欠片が結びあわされながら、ようやく生起してくる何ものか―場全体の想念とでもいった方が良いかも知れない何ものかを、浮かび上がらせようとする試み。
 そうしたおぼろげながらもこの土地を貫いている何ものかへ導かれていくこと。

というのも、この土地の印象では、何か特筆すべきもの―圧倒的な構築物だったり歴史的記念碑的なものがあるわけではなく、今を規定しているはずの、多くの際だった存在は、既に失われ−「日常的空間」とも言える「普段」の街の中に、隠されてしまっている様だった(もちろんそうした上で実現されているのが、現在の「暮らしやすい」市民空間なのだとも感じる)。
 過去現在の印象深い「もの・こと」は、痕跡としての小さな欠片として、バラバラになって砕け散りながら、街の目立たない隙間に、辛うじてその姿を垣間見せ得ていたのではないか。それはちょっとした地名や張り紙や郷土史の一文だったり、あるいは道端の小石に混じっていたり、井の頭の池のほとりに突然顔を出していたり、植え込みや公園の隅に余計なものとして寄りわけられていたりして、普段は誰にも省みられなくなっている様に感じた。
 自分はそうしたこの土地の時空に刻印されたわずかな痕跡としての欠片を、少しずつ拾い集めるところからこの土地に関わって行った。

 

 

<自転車から>

 とはいうものの、今回の吉祥寺近辺でのフィールドワークで基点となったのは、井の頭の公園側から提供された、破棄された自転車群であった。
 以前、池の中から無数の不法投棄された自転車が引き上げられ、全国ニュースになっていたが、今回提供を受けたのは、水中に投棄されたものではなく、広い園内に乗り捨て?られ、持ち主不明のまま回収破棄されようとしていた自転車達だった。
 そもそも、この街を歩いていて、自転車の多さに驚かされていた。このエリアは、基本的には平地で、道が細く入り組んでおり、街の機能が中央部にコンパクトにそろっているので、ほとんど自転車圏内で用事が事足りてしまう。自動車は走りにくく路上駐車が難しい。駐車場は少なく大変高額だ(現在では自転車駐車の取り締まりも厳しく、気楽に駐輪することはできないし、駐輪場も大変混み入っているのだが)。自分自身も美術館から借りた自転車でフィールドワークをしてきていた。騒々しい大型車が通れる大通りが少なく、散歩感覚で廻れるのもこの街ならではであって、自転車は、この街を廻るための象徴的な存在ではないかと思えるようになった。

破棄された自転車を再び立ち上がらせて走らせる。

その「走っている全体像」が彫刻となる様な作品。

さらには、自転車を漕いでいる人物や走っている道や街並みをも同時に想起されていくような立体。

それには、自転車単体の復元で完結するのではなく、自転車の進路に合わせて、作品の形状がどこまでもつなげられ、その過程の中で、その全体像が形成されていくようなものでなければならない。

そもそも、自転車は何を目的として何処へ向かっていこうとしているのか?

この地域での散歩がしばしばそうである様に、目的は棚上げされたまま、とりあえず井の頭の池の周りをクルクル廻り続ける、、、、と、かってながら想像してみる。


 調べてみれば縄文の時代から、散歩だろうが仕事だろうがなんだろうが、ここではこの水源の池を中心とし、その周りをめぐりながら、集落が形成し、育まれ、発展してきていたのではないか。
 何しろ水源の池は様々なものを生み出すと同時に呼び込んでのみ込む。
 この地域の貴重な水源となり飲料・耕作地を支え、さらには、様々な時代の災害の際、多くの移民の生命をつないだ。例えば関東大震災や東京大空襲時に多くの移民が集まって、そのつど集落は大きくなってきたという(もちろん井の頭の池のみが水源になってきたわけではなく、玉川上水道などの整備にともない発展してきているわけだが)。
 現在の中央線吉祥寺駅下車後でも、なぜか人々の足はこの池へ吸い寄せられていく(毎日実に多くの人々、観光客が何かに魅かれるように集まってくる)様に感じられる。
 おそらく池の中への長年にわたる不法投棄もその延長線上にあり、生命の源である「泉」は、様々な物事を吸い寄せ続けて来たと言えるのかもしれない。


 
そういうわけで、本作での自転車の軌跡は円環を描く様に構造化され、その過程で形成されてくる内部空間は、水源の池に重ねられていくことになる。そこへ、各地で拾い集めた、砕け散った無数の欠片を、適材適所で埋め込み、様々な方角で繋がり絡み合うこととなり、多層的な時空間を持ったドーナツ状の「地層」を形成させていく。
 それは、単一の「もの」の再生から、「ものとまわり」、「ものともの」、「ものとこと」の再生となって、ものがかたられていく−物ガタリ−水源をめぐる「物語」となっていった。    
 タイトルにそれを反映させてある。

 

 

<制作上の流れから>

 そうしたことは、自分の制作上の展開―近年取り組んできていた「代用・合体・連置」という考えからも予想された流れであって、今回のプロセスと程よくシンクロして行った。

「代用・合体・連置」の「なおしかた」だと、物理的には、代用素材(タンスなど)をどのような方向にも、どのような長さ、大きさにも伸ばしていくことが可能で、当初の収拾した「もの」以外の部分−「周囲の余白」?の領域が様々な個所に多く生まれてくることになり、それがまたある種の接着剤ないしはちょうつがいの様な働きをして、別な収拾物、および別な想念と並んだり、つながったり、融合していく余地が生まれてくることになっていた。言わば、単一のものとして立ちあがり完結するのではなく、ものとそのまわり、ものとべつなもの、、が同時に立ちあがり、単体の「もの」から「空間や場」、ものから何がしかの因果関係−意味性−「物語」的諸要素が生起してくる可能性にあった。

 

 <ディテール>

 制作中の作者の思惟は、作業を動かしていくが、生まれてくる物体としての作品と、かならずしも一致しているわけではない。それゆえ後から作者が自作の説明をするのは、いろいろと問題があるだろう。が、ここではざっくりと、制作中、どんなイメージが働いていたのか、一応、記しておこうと考える。そもそも観者はそれぞれこれらの言葉に囚われる必要は無いのだが。

・タンス 
 本作の基本的な支持体となったのは、武蔵野市市民から譲られた、箪笥類をはじめとする様々な家具群だった。中には戦前の古い桐ダンスなどもあったが、主力となったのは、自分が育ってきた戦後昭和3、40年代〜高度成長期時代の家具群だった。そういうこともあって、自分にとっては、生まれ育ってきた実家と地続きの感じがして、密着度の高い関わり方ができた様に思う。さらには、書物や文房具、様々な置きもの、衣料品、食器など、生活用品のありとあらゆるものも同時に提供を受けることができ、様々なレベルで生活に密着したイメージが膨らんで行ったように思う。
 特に、本作では基本的な支持体として並べられた箪笥の性質、構造が作品全体に大きな影響を与えて行ったと言えそうである。
 箪笥は通常の彫刻の素材とされる石材や木材と異なり、人工物であり、それぞれの家庭の歴史と記憶を刻印し、物理的には内部が空洞になっている。
 通常それぞれの家の室内にあるべき箪笥が外に露出し、一堂に並べられていく情景は、もちろん石材が並べられて行くのとはまったく違った趣を持つ。それは「引っ越し」や「夜逃げ」をも連想させ、災害からの避難民や移民で大きくなってきたという吉祥寺の歴史と繋がってくるように感じたし、自分の経験した東日本大震災後の情景とも繋がっていた。
 また、タンスは、内部が空洞になっているので、其々に表面と裏面、表層と内部を持っていたし、各箪笥をドーナツ状に並べると、箪笥自体の内部と、全体で形成し生み出された内部、という二重の内部空間を持つことになった。そうした空間の対比を、家の内と外、日常と非日常、現在と過去、見えるものと見えない記憶や想念、、、、などの対比として、作品の中で起動させようとした。その辺の「タンス」を用いることに関して、特に「artscapeフォーカス」掲載文等参照願えればと思う。

・タンスの中のデパートの包装紙
 武蔵野市民から譲られた多くの箪笥の引出しの中には、古い新聞紙やデパートの包装紙が敷いてあった。色あせているとはいえ、東京圏の有名デパートの色とりどりの懐かしい包装紙で、何らかの働きを期待した。
 最終的には、タンスの中−地中の中−閉じられた閉鎖空間−資本主義世界に埋め込まれた−近現代人−地中の今は亡き死者(祖先達)という重層するイメージの一部として機能していくことになった(参照)。

・縄文・貝塚と消費社会とリサイクル運動と戦争
 井の頭の池界隈の歴史は古い。縄文時代の集落の遺跡も確認されている。ちょっと掘ると縄文土器の破片が出てくるとのことで、事実地面の小石や様々な破片を精査していくと、縄文土器の破片らしきものをいくつか見つけることができた。
 様々な破片は、様々な文脈を持ち、様々な歴史と繋がっている。破片をタンスに埋め込み「苗床」としながら、様々な記憶や歴史を想起させていった。
 支持体としての箪笥は、分厚い地層に見立てられた。表面をさらしつつ、内部は見えない地層の断面。タンスの側面、内部は過去の時代の記憶や出来事が想起される空間となり、箪笥の上部は我々が今踏みしめている地上に見立てられた。地表に「落ちている」と「ゴミ」とされ、地層に埋め込まれると「遺跡」ともなる不思議。同時に地表に立つ人間は生きている人で、地表に倒れている人は死人。地層に埋め込まれている人は、無数の過去の祖先達というイメージの差を生み出す。
 さらに、大量に集中的に、収拾した破片や欠片、廃棄物を埋め込んだ場所は、縄文時代の「貝塚」のイメージに繋がって行った(参照)。現代の廃棄物と、縄文時代の廃棄物(ただし貝塚は、食べたものや人骨などもあり、等しく「いきもの」を埋葬するニュアンスとも感じられるらしい。ゆえに即物的な現在の資本主義社会的廃棄物との差も見えてくるかもしれない)の対比。

・東京大空襲
 戦時中、武蔵野市には、ゼロ戦の巨大なエンジン工場があったため、東京大空襲の最初の目標とされた。最初の空襲以来何度も爆撃を受けている。
 現在ではそうした痕跡は殆どかき消され想起することが難しい。戦後壊滅した広大な軍事工場は、アメリカ軍に摂取され基地となり、また「グリンパーク」なる公園となった。さらにそこに新しい武蔵野市の市庁舎が建てられ、「緑町」(グリンパークをなぞる)なる新興の町が形成された。最近では市が熱心に取り組む資源リサイクル活動の拠点となる施設がつくられた。
 現在のゴミの無い緑の多い暮らしやすい市民空間、後述する、徹底的な清掃活動、緑化政策、リサイクル活動、放置自転車取り締まり−駐輪場整備、はたまた、井の頭の池の清掃−復古活動などまでも、実は、戦時中の軍需工場とその爆撃の歴史の反動と見えてくる。

不発弾参照
 戦争の記憶は、この街ではあまりにも圧倒的だったためなのか、それを欠き消そうとする不自然な反動の情景として、現代に繋げられてきている。そうした市民を挙げてのムーブメントの網の目を掻い潜って、地面に散らばる小さな欠片のみが、辛うじてまっすぐ過去を垣間見せてくれる。
 実際B29の落としていった不発弾が、井の頭の池付近から見つかっている。地中の中から出てくる爆弾の形状は、見ようによっては、何かの大きな卵の化石の様でもある。地中の不発弾と卵。対極的な意味でありながら形状がシンクロしている。

・黒い人影−爆撃機参照1
 同じように、この街で拾った大きく肉厚な枯れ葉が爆弾の姿を連想させた。
 ぽとりぽとりと落ちてくる葉っぱと爆弾。
 日々通りの清掃を繰り返すこの街では、ほとんどゴミが落ちていない。枯れ葉がたまに落ちているぐらいだ。「クリーン」活動に邁進する原点のひとつには、おそらくあの東京大空襲の爆弾があり、それゆえ、余計その葉が爆弾に見えてくる皮肉。
 そんなイメージの連なりに加え、市民に提供された家具に混じって、戦後のジャンボ旅客機の精巧な置きものがあり、戦時中のB29との差を想った。また、拾った汚い帽子の形状(てっぺんにボンボリがついている)が飛行機の先端部を想起させ、合わせて自分でもよくわからない複合的なイメージを作り上げた。

 東京爆撃の犠牲者−十字架−街を覆う黒い爆撃機の影−戦後復興を象徴するジャンボ旅客機の模型街―過去に連なる無数の祖先・死者−帽子の文字「マイセルフ」―爆弾−地中の卵−落ち葉−木の根−縄文土器等に混じる不発弾−裏側の本棚−書物−言の葉。

 さらに、空襲が自分自身のルーツに繋がっている事実(吉祥寺に住んでいた祖母、東京大空襲で目黒の実家を焼かれ、宮城に疎開し父と出会い結婚し自分を産んだ母)(参照)。

この複合的イメージの形状は、この作品の核心部分と考えている。

・長崎平和公園・平和祈念像参照)
 戦争という連なりで言えば、驚いたことに、井の頭公園の中には、長崎の平和公園にある「平和祈念像」がつくられたアトリエがあった。そのプロセスや巨大なレプリカが井の頭公園内彫刻館にはそびえ立っている。以前からこの長崎の像が気になってきていた。どうしたらこんな「へんてこりん」(*申しわけないがどうしても自分はそう感じてしまうので、、)な像がつくれるのだろうか?また、どうしてこんな重要な場所のモニュメントになりえるのだろうか?
 それにしてもよりによって、この奇妙な像がこの井の頭でつくられていたとは。因果なものである。
 この像の作者である北村西望は戦前からの日本彫刻界の巨匠ということであり、長崎出身という縁の様だが、ちょっと調べれば、戦時中はあきらかに体制よりの仕事をしっかりのこしてきて、戦後「反省・反戦・平和」に切り替わった典型的な人物だと推測された。彼のこの像に対して残した言葉も驚くものであるが、何しろこの像の空虚さと、そらぞらしさ独特のものがある。かなりムリして良く言おうとすれば、まさに戦後日本を象徴する一つの得体のしれない何かなのかもしれない。彫刻館でもらった作者の詩が書いてある紙やあの像のイラスト化したスタンプを、この土地で拾い集めた欠片やゴミの横に張り付けようとする。現代の廃棄物の上に、この平和をシンボライズしたという奇妙なポーズと表情が君臨する。と、一時的に思ったりもしたのだが、自作の目立つ所に、この「間抜け」な顔があることに我慢ならず、もっと目立たない下部へ移動さることにする。

・ワニガメ参照
 井の頭公園内には、水生物園がある。ここで面白いのは、現在の井の頭の池―生物の水槽と、ありうべき今後目指されるべき理想の水槽が並列され提示されているところである。現在の方は様々な外来種が棲んでいる。特に印象深かったのが巨大化した「ワニガメ」の姿である。まるで放射能で奇形化したゴジラのようでもあった(このワニガメ自体は別水槽だったが)。目指すべき理想の水槽では、このような外来種は全て駆除されて、純潔の和風コロニ−が形成されていた。この純潔化−復古再生運動は、井の頭のそこかしこに看板、ポスターなどで掲示されていて、市民の熱を感じた。
 この近現代以前−戦前の「美しい」和風の池にもどそうとする活動も、やはり一連の爆撃反動的社会美化運動とつながっているように感じた。
 そういうこともあり、井の頭の池を暗示する、ドーナッツ状内部には、実際に見かけたクサガメやワニガメもチープに作成配置した。

・動物園、ジブリ美術館
 また、井の頭公園にはどういうわけか、動物園まであった。最近亡くなったゾウのはな子(何の因果か同時期にこのゾウをめぐる写真集が企画され話題となった)の檻には、おびただしい市民からの手紙や花束、絵、折り紙、プレゼントが積まれ、さながら現代の霊場の様で驚かされた。おそらくゾウのはな子は、この街の「アイドル」だったのかもしれない。
 この水源の井の頭の池をめぐるエリアには、一応何もかもそろっていて、世界がコンパクトに集約され、ここだけで事足りるかのようになっている。いわゆる小宇宙の様でもある。隣接するジブリ美術館もその連なりにあり、違和感が無い。
 様々なこの街に生息するマスコット達を、市民に提供された様々な生き物の置きもので代用させながら、作品内に埋め込み(箪笥裏側面にそれぞれの動物・置きものの形状に応じた小部屋をくり抜き、仮想動物園をシュミレートしてみた(参照)。

・蕨手刀−武蔵野参照
 吉祥寺には武蔵野八幡神社があり、その境内の大ケヤキの根元から戦前、大きな「蕨手刀」が発掘されている。蕨手刀は古代東北方面・蝦夷などに由来するとする刀であるが、なぜここに埋葬されていたのか?
 刀のおもちゃ(会津白虎隊のお土産)も市民から譲られていたので、作品中の木の根の部分へ、蕨手刀に改造して埋め込んでおくとににする。

・富士山と武士、五月人形参照
 武蔵野市の市民リサイクルセンターで手に入れた赤富士の絵と、提供を受けた五月人形−武者兜から、武蔵野−武士の土地にちなんだイメージを導いて行った。
 かつては吉祥寺でも簡単に富士山が見えたようだし、やはり「武蔵野」は富士山を中心とした景観を欠くわけにはいかない様に考えた。源頼朝は富士の裾野での大々的な狩りを挙行し、東国武士政権を知らしめている。吉祥寺の銭湯−弁天の湯(「弁天」は井の頭の池の井の頭弁財天からきている)の富士山の絵にもつながっており、富士山や武者のイメージは現在も細々とだが受け継がれている。

・タバコ禁煙人間の再生
 美観運動の一環か街中心部には沢山の禁煙表示がある。中でも地面に張り付けられた禁煙人間イラストは印象的で、それがゴミになって落ちていたのを収拾し、伸ばして箪笥に埋め込み、禁止のバッテンを背負いつつタバコをふかす戯画化した人物の全身像を浮き上がらせて行った。吉祥寺の「キャラクタ―」が赤い十字架を背負いながらシニカルに立ちあがってくる感じだ。

・遺跡のイメージ参照
 箪笥を並べ積み上げながら、そこに何らかの形象を刻み浮き上がらせる。
 それはユニットになった石材を積み上げて、表面にレリーフを刻む、、、例えばアンコールワット等の遺跡のイメージと繋がっていく。
 巨大な石材の塊である寺院などの表面には、王国の日常−庶民の生活の様子や、他国との戦争などの歴史的出来事が刻まれていたりする。
 一方吉祥寺の本作でも、石材ならぬ箪笥群の表面には、収拾し埋め込んだ物品から派生した、この街の外観・人々の日常風景の様なものが刻まれていく。
 消えゆく記憶、市民生活の様々な物語、、、大きな歴史的トピックとは言えないかもしれないけれども、あえてそれを刻み込みモニュメンタルなかたちに立ちあげ凝縮させてみること。モニュメントの遺跡の構造を重ね合わせながら、今日の生活を省みる造形。
 また、石材と異なり、内部空間を持つ箪笥は、もう一つの異なる領域をそれぞれ内蔵し、表面に刻まれてイメージと反応し合う。
 さらに、アンコール遺跡群でよく見かけるように、樹木が繁殖し、石材ならぬ箪笥に侵入して混然一体になる。破壊と成長の均衡。

大木・本棚・言の葉・子供参照
 収拾した木の根から、大木を再生する。上部はより高く積み重なり(吉祥寺美術館の展示室天井近くまで)。下部は無数の根を生やす。ちょうどそれは大きな本棚に埋め込まれ「繁殖」させられていった。本棚には、やはり武蔵野市市民から提供された古本などが詰め込まれた(その他様々な経路で本・雑誌を収拾)。自分に無関係な、しかも現代ではもはや読まれることの無さそうな本達。いかに自分の無関係な時空が広がっていたことか。と感嘆させられるほどのものであった。地中の本棚へ生え出してきた樹木の根は、これら無数の書籍と混じり合う。本棚からあふれた書籍群は積み重ねられつつ、人間−少年の姿となる。言葉の連なりから人が形成されまた次の世代へ受け継がれる。落ち葉は次の世代の土壌となる。
 無数の各分野の書籍は、「人類の」−とはややオ―バ―だが、これまでの人々の築き上げて来た世界―文明を暗示しているようだ。その歴史を見守ってきた樹木の葉っぱが積み重なって溢れるように、人類は無数の書籍―「言の葉」を発し、残し続けて行く。古くなってしまった書籍群だが、それを苗床として新しい世代が生まれて行く。

蛇・水のイメージ参照
 単体立体の内部には、市内の閉校する小学校の壁に掛けられていた、印象派モネの絵の模写である水辺の絵を中心に、密室小ギャラリーを組織した。覗き穴からのぞけるようになっている。この水辺の絵には蛇の抜け殻(実物)を張り付けた。言わば井の頭エリアの心象風景と考えている。水−蛇は普遍的なシンボリズムであるし、池のほとりの井の頭弁財天には、トグロを巻いた蛇に人頭が乗る宇賀神の像もあり、井の頭の池独自の白蛇伝説がある。
 またフィールドワーク時、この公園エリアで、何回か本物の蛇に出うことができた。

古いアルバムから参照
 市民から破棄された古いアルバムの提供をお受けた。おおよそ写真ははがされていたが、はがし損ねた写真の一部や、写真が貼ってあった部分と周囲の色あせの差など、様々なイメージを想起させるものであった。バラバラにページをばらしながら、壁面上に3冊分のアルバムを再構成した。いくつかの個所で、はがし損ねた写真の欠片へ後付け加筆している。連続する「本」の様に積層されていた各ページが、フラットな同一面上に並び、ページを横断して各欠片が反応し合い、何らかの関係を結んでいく。

路程の鉢植え参照
 街中の市民空間では沢山の鉢植えが各家ごとに配されており、毎日こまめに手入れされている様子だった。公共の道と私的空間の境界上に多く配され、長年の蓄積で積層し繁茂していく。鉢植えの並ぶ路地は、日本的市民空間の一つの典型的な光景なのだろう。提供されたプランターや鉢と書籍により、その情景の一部を再生してみようとした。これはいくらでも拡張できうるし、どのようにも配置できうるものだった。*偶然にも積み上げた古本には元東京都知事石原慎太郎著の教育論なども混じる。