絵馬    2001年

 

依代としての「え」があれば、供物としての「え」もある。「え」は様々な場所に現れうるのである。「絵馬」は願いごとを書いて奉納することから供物である。供物とは、神に感謝したり、怒りをしずめたり、願いごとをする時に、そのひきかえに捧げるあらゆるものことの相称である。供物はこの世からあの世にわたすものであってその逆ではない。それゆえ供物は現世的で人工的で物質的であってかまわない。「絵馬」ももともとは、本物の馬が奉納されてきたらしい。それが彫刻の木馬になり平たい絵馬に到る。しかし「え」といっても先きの依代的文脈の「え」に比べ、巻いたりたたんだりできず、さりとて壁画のたぐいでもありえず、平板でありながら木などを素材とした具体的物質感が強い。
 供物である以上、物理的な塊、重さをある程度必要とし、かつそれがマイナスになることはない。ちょうど先きの「祝い絵」と正反対である。それはペラペラの非物質的なものであり、神社から家にもたらされる。絵馬は物質感があって家から神社に持っていく。
 わざわざ本物の馬を「え」にした理由は、本物の馬よりも手軽いことと、馬以外の様々な「え」ー(象徴的な意味がこめられている)が描れることからも解るように、もっと具体的に個人的な、しかも実際のものでは表現できない「願い」に応じるためだろう。そもそも「馬」とは、高貴な人間の乗り物であったし、最も早い移動手段であり伝達手段でもあった。おそらくそのようなところから神の乗り物、神の使いとしてのイメージがあるのだろう。とくに誰も乗っていない馬の背の空白には、神が降臨する場となり依代ともなる。空の背の馬を奉納し、神がその馬に乗せられながらこちらに戻ってくるのであろう。そういうわけで馬は供物でありかつ依代でもあり、つまり第一に媒体なのである。ゆえに馬ではない様々な願いごとにちなんだ絵柄の「絵馬」は、しっかりした板の支持体自身が、一種の「馬」なのであり、支持体に概念的で非物質的な「え」−「願い」が乗せられ、神域に運ばれていくのであろう。つまり「絵馬」とは、願いをのせる「え」であると同時に「え」を乗せる馬なのである。
 このような供物としての「絵」は西洋では造形美術の源流になってきたものである。古代ギリシャの彫刻をはじめ、中世、ルネッサンスの建築、絵画、彫刻の多くが、神や教会や共同体に奉納された供物であった。ラスコ−洞窟のビゾンやウシもおそらく供物として絵馬的性質があったに違いない。日常の必要性を超えたものづくりは、このような神との交流システムにおける依代や供物といった文脈において、その役割を果たしてきたものであり、そのこと自体は西洋も東洋も同様な普遍的な形式なのである。ただ、供物ならば宝石や金や工芸や動物や「絵馬」でもいいのに、なぜ西洋ではある時ある地域で豪華で、高度な人力による絵画や彫刻的造形物が奉納されるようになったのであろうか。そしてその後どのような構造の変質によってそれらが自立(建築からというよりも、この交流システムから)してきたのか。そのようなことを考える上でも、この供物としての文脈、交流する原点をのこす「絵馬」は興味深い。
 石子順造の絵馬論(『小絵馬』)では、「表現という語を、送り手から受け手へと伝えるコミニュケーション過程としてとらえれば、小絵馬という表現の受け手は、神とか仏とかいうことになってしまう」と、その神とのコミニュケーションと近代美術の違いに関して少々触れられているものの、そのもとの西洋美術自体も、絵馬と同様の神とのコミニュケーションの文脈から発したというマクロな視野が欠落している。そのため絵馬は近代と前近代の混合する、ローカルでユニークなものとして矮小化されることになる。「絵馬は必ずしもその前近代的な価値観のカテゴリーで生きながらえてきたのではない。性的な願望や無事に帰還することを念ずる武運長久などをふくめて、近代と前近代とをともに使いわけて生きようとした民衆のアクチュアルな歴史体験の一所産として、今日なお命脈を保っているということではなかろうか」。「ぼくは、言葉とイメージの独特なかかわりあいを通して顕在化した、すぐれて日本的な文化の一標識として絵馬をとらえ、その変貌をすかして「現代」に一端をうかがいたかったのである」。
 このようなとらえ方は絵馬にとどまらず、「民俗文化」全体を矮小化し、何のためにこのようなテーマをわざわざ取り上げようとするのかさえ疑わざるをえなくなる。近代/前近代は、合理/俗信、たてまえ/ほんねという対比に変換され、したがって絵馬もこの文脈で捉えられるので、「絵馬」の考察というよりも、「今」に生きる絵馬ををとおして「日本」が考察されているにすぎない。石子のこのような述べ方では、近代美術の原点と同じく、近代社会の根源的な幻想性をも不問にしてしまうことになる。近代美術と近代社会の根底を不問とし絶対化する視点から、前近代的要素が残存する日本社会や表現の特殊性を述べる。そのような自虐性は、「美術」の根底にあった普遍性(神との交流システム)、およびその上での日本と西洋の違い、自然信仰と人形神の違い、といった根源的問題を永久に封印してしまう。
 (2001年)     (「造形における虚のはたらき」参照)