3・脱近代美術形式と前近代文化との類似
現代の混迷・拡散。美術形式の解体。いわゆる近代芸術的ジャンル、形式の溶解した、ポスト近代では、むしろ、芸術化以前、ジャンル化以前の民俗文化とより直接的な共通点が散見できる。日本では特に50年代からの「具体」、60年代の「読売アンデパンダン」・いわゆる「前衛」美術がさかんになり、それまでの輸入されてきた美術形式が解体されていった。そういった「解体」自体、海外の動向とも連関するものではあったが、同時に近代以前の「土着」文化に通じていくものでもあった。そのような脱近代と前近代の繋がりは、よく言われるような、無形式で、美術の成立しえない地方―非西欧の日本という「悪い場所」としての安易な連関とばかりは言えないだろう。なによりもそれは、模倣ではない自らに固有な表現を希求する真摯な試行と重なっていたのである。
交流回路復権としての「出合い」
日本の60年代後半に現れたいわゆる「もの派」の例えば「出合い」は、一種の「交流」としての近代版であったのかもしれない。
つくる―表象作業―人間化、ということで、これまでの西欧美術的な創造行為を相対化し、東洋的というか、この「表現のみち・おく」の文脈に照らせば、始原的な次元で、人間や作品世界の外側に広がる外界を外界として、近代以降の表現論としてはじめて尊重し、異界との交流、関わりというレベルをあらためて示す意義があったのではないだろうか。
ただ先述の『出合う』項目で触れている様に、そのスケールは矮小化され、十分な成果に結実しえなかったとも言える。
あらためてここでもふれておくが、「あるがままの世界」との「出合い」を希求するいとなみに対し、例えば「あるがままの世界の肯定は、完全に無差別なところまで徹底されなければ、ひとつの論理たりえず、神秘主義か現状肯定論しか生まれな」(千葉茂夫)という批判がなされたわけだが、そのような無理解はひとえに、この「表現のみち・おく」で主張する「二重性の表現」に理解がおよばなかったからに違いない。
再三述べている様に、外界に対し、一体化しきることも分離しきることも不可能な人間存在は、つねに「付かず離れず」、「行ったり来たり」、二重性を同時重層的に生きなければならない。それはけっして「不徹底」なのではなく、また「論理」足りえないものでもない。それはつねに「二重性」としての「徹底」した構造論理に基づいているのである。
『出合う』項目参照
挫折としてのポストもの派
もの派以降の「世界との関わりとしての美術」という括りは、もの派の意義を矮小化するもの言いではあったが、皮肉にも当時の「もの派」影響下の美術状況を的確に表現した言葉でもあった。事実、もの派以後の「素材感を生かした」作品群には、自然ー外部性ー他者性が欠落していた。自然をあいかわらず「素材」として扱い、その材質感、肌合いを生かすというレベルにとどまり続ける。それは先述した、二重性の表現としての例えば「まがい仏」で感じられる、岩山の畏怖すべき他者的存在と、仏教的表象・加工が其々同時重層的に交わり、お互い強め合うという構造にはなっていない。素材視されてもちいられた丸太や石材、粘土は、どこまでも素材でありつづけ、未加工な処理は、ある意味制作の過程でとどめおいた、単なる未完成品―それも意図的な中途半端さを示すものとなる。結局逆転して、「もの派」が距離を置こうとした表象化のプロセスを強調するかのような、自然物の素材性を通俗的に強調するような作品に至る。まさに本末転倒というか凡庸なエスキースをきれいに整えた感の作風となるのだ。
結局のところ、異界・他者との交流という本質が抜け落ち、安易な混同に溶解し、近代的な美術の枠組み(形式やジャンルなど)に再び回収されてしまう。
そこでは真に固有な構造―「二重性の表現」がついに自覚されえなかった。
交流装置としてのインスタレーション
そうは言っても、その中でも、例えば遠藤利克などは、「もの派」の開示した、原初的「交流」と造形表現の接点に自覚的な数少ない作家であり、その本筋において愚直にあるいは「ベタ」に取り組んできている様に思える。一種の交流装置としての時間と場が一体化した地点からその造形は生まれてきている。
近代的な形式―絵画(イーゼルペインティング)、台座彫刻といった形式から、逸脱していく今日の日本美術に対し、無形式への混沌化、解体・溶解ととらえる傾向が確かにある。それは現代の混迷やニヒリズムとしばしば重ねられていきもする。
あるいは、そういった西欧美術のポストモダンなムーブメントにただ影響されたものとしてとらえることもありえる。
さらには、ポストモダンと前近代のプレモダンが安易に連携していると懐疑的にとらえるものもいる。
もともと絵画や彫刻という自立したジャンル形成のない地球上のほとんどの地域(日本もその中に入る)にとって、脱近代形式が、混迷とか解体としてとらえられるよりも、一種の解放として、本来の地面を足で踏みしめる機会到来としてとらえる方が健全なことだろう。そしてそれをプレモダンとの安易な結合としてとらえるのではなく、自分たち本来の新たな表現構造のとらえなおしとしてとらえるのが自然であるように思える。そもそもプレモダンとモダンの解体を結びつける論者、結びつく作者というものは、プレモダンがやはり無形式で混沌としてあるかのような理解に依然として立っているのではないかと推測できる。
しかしこの「表現のみち・おく」が示そうとするのは、プレモダンにはプレモダンの固有な、しかしより普遍性のある構造が秘められてるということであり、より根源的・普遍的な構造において、モダン以後、ポストモダン以後を導くというか、それを凌駕していこうとするものである。
そういうわけで、今日インスタレーションと呼ばれる表現(絵画、彫刻、オブジェ、建築、工芸ではない)形態は、もともとプレモダンの世界では珍しいものではない。原始時代のストーンサークルをはじめ、「庭」としての表現など、具体的な場所に、一定の規則をもって配置される表現は数多い。それらは当然のことながら、美術が解体しあるいは「逸脱」してそうなったものではない。もともとそうあるべくしてそうなっているのでる。
ある種、天体の動きなど異界とのなんらかの交流の場、装置として機能してきたものであったはずである。もともと「庭」のルーツにもそういった、神々や精霊が降臨してくる場としてのニュアンスがあるらしい(「庭」の項参照)。
「あるがまま」 の出合いを希求した「もの派」の作家達の多くも、こういったもともとの「庭」的表現に近似していくように感じられるのもうなずける。積層した「庭」文化の歴史を紐解き、真に「交流」装置としてのエッセンスを表現形式として抽出することができたなら、絵画や彫刻に匹敵するもうひとつの固有なジャンルが形成されえる(た)かもしれない。
交流・媒体的表現としての一回性
近代的美術概念では、媒体として使用される一種の道具であり、使用後捨てられたり燃やされたりし、あるいははじめから壊されるように簡易な素材でつくられてきた、媒体的造形・依りしろ等の類いを評価することは困難であった。しかし近代が解体してくると、こういった一回性の造形も再評価されるようになる。インスタレーション的な仮設性がより、いま、ここのリアリティを高め、場の持つ力をより強く喚起しえると、見直されるというか新たに再認識されてきている。
これまで半永久的な耐久性や保存可能な材質、自立的な構造に制約されてきた造形表現も、より自由に、よりしなやかに、より雑多に、その表現媒体の範囲を拡大させることができた。
かつての「見立て」や「飾り」という仮設的な表現形態と結びついていくだろう。
このような仮設性・一回性・媒体的性格は、「この表現のみち・おく」で再三ふれてきているように、あくまでも異界・他者との交流を前提とし、その交わりが永久的な同化にはなりえず、其々交わりかつ分離する二重性の関係を構築せんがためであった。
それゆえ、もともとの場所や文脈が前提となり、外の広がりとの二重性が同居していなければならない。それは西欧美術流の彫刻が単に空間的に展開したものではありえず、あるいは作家的表象が空間全面に拡大されんとする類いの表現とは、本来正反対に位置するものであるはずだろう。
現実世界―後天的変質としての相互性
そうした場の重視、いま、ここという時間の重視は、今日言うところの「インタラクティブ」な表現に至る。
そもそも、その空間に足を運ぶものと相互に関係し、「作品」を形成していくという性格は、プレモダンでは珍しくない(そのような相互性は、サブカルチャーにおける参加型のゲーム的感性や、いわゆる「二次創作」的感性ともリンクしている)。
写真は積石が積み重ねられた石灯篭だが、「交流」の積み重ねが重層し、「後天的付加価値」なるものを生じながら変質を加えていくことは先述した(さらにそういった「後付け」、「後天的変質」は、我々の日常空間そのものの組成ともつながっているのだといった指摘も既に行なった)。
一方で今日見られる「参加型アート」の多くでは、作品世界が日常空間ととけあい、文字通り現実世界に同化することによって、造形表現のみが有していた特性の大部分が失われてしまうのではないかと危惧する。それでいて、この種の多くの作品は、結果的に、現実空間では成立しえず、あらかじめ整った、美術的場所、制度によりかかり、かつ保証されながら成立しているという自己矛盾を内蔵している。いわば、美術という特殊な場所に、現実世界的な相互的世界・体感的空間を持ち込むことで生じる通俗的な効果に流される傾向にある。
相互的で、変質していく、終わりのない、可能性に開かれた、他者性を取り込み続ける、、、、といった特性を、ベタに、しかも予定調和的に実演するのではなく、別な形で提示していく努力の必要性を感じる。そもそも「他者」は、単に想定された「一般市民」的他人にとどまるものであってはならないし、終わりのない可能性は、用意されたシステムや制度をたえず脅かし超えていかなければならないはずだ。概して「ベタ」な表現形態というものは、「芸術性」が持ちうる、そうした広がりを閉ざしてしまうものだ。