《建築というクリエイションの内的構造》  1999年  

                  

〔前書き〕                                   

 様々な二項対立的思考が多くの限界を示すとしても、こと文化とか芸術、建築といった人間の生み出した次元では、元来が二項対立的思考を生きる人間を反映しているので二項対立的分析は、当然のなりゆきと考える。

 そして、本論で提示している二項→全体性の構築@、未知への出会いAという衝動は、ものをつくりだす(しかも過剰に)ことの根幹をなしつつ、かつそれに先立つ性質のものである。  *(「二つの衝動」「つくることを可能にするもの」ページ参照)

 建築という最も大規模で恒常性を希求され、かつ、公共性、共通幻想をもとめられるクリエイションには、この2つの衝動の分裂と合一の形跡がかなりはっきり見えてくる。

 さらに西欧において顕著な自立した美術、絵画、彫刻も、もともとは建築という大きな意味での一つの表現のパーツとして役割を各々に分担していたわけであり、いかにして各々が各々表現メディアとして成立してきたのかを考えるきっかけを与えてくれるように思う。

 《ドームと塔》

 「ドーム」的な建築は、かならずといっていいほど多くの人間を一カ所に集めることを可能にするために、寺院や都市や王国にはかかせない。市民や信者の多くを一度に集めるということ自体がまさに「ここ」に世界の中心があるということの表現であり、意識であった。中心は、上でも下でも外部や異界でもなく、バラバラに砕け散っているわけでもなく、まさに「ここ」にあり、一人一人が「ここ」という中心に属しているという、共通の意識(一種の共通の幻想)をはぐくむ。

 ヨーロッパの都市の中心にある広場や、寺院のド
ーム、モスクのドーム、円形劇場、他。最も顕著なのは、ウェスパシアヌス帝がつくらせた古代ローマのコロッセオ。この強大な円形内では、定期的に広大なローマ帝国全土から流れくる、富、人間、動物の「蕩尽」が、帝国の市民の前で行われつづけられた。「ドーム」的なるクリエイションは、@の完全性の構築、衝動そのものである。


 そして、ドームとセットになって必ずあらわれるのが、「塔」的存在である。(オベリスク、記念柱、見張り塔、時計塔、ストウ ーパー…)塔的存在は、あえて言えば、天上へ突き出したコンタクト回路であり、天上(異界)と「ここ」をつなぐものであり、心をここから解き放ち、遠くへ向かわしめる。それは、全体性への出会い−−Aの衝動を反映する。


 以前、梅原猛は「塔」を権力への意志を象徴するものとしたが、権威のシンボルとなるのは「結果」としてであって、もともとは神へ向かい、神とつながることであり、神に最も近いものが権威を持つことになるのだ。また梅原のまずいところは、例えば法隆寺を語るにしても、塔のみを語り、本堂(ドーム的建築)は、実用物として切り離し無視する。大切なのは、塔とドームをセットにして考えることだと思う。ドーム(ここ)は、それ自身では単に、世俗的、日常性へ溶解していくだろう。塔(あそこ)は、それ自身では、全体性の現実感には至れまい。(ここ)は(あそこ)と結びついてはじめて、世界の中心たり得る。「超越した大いなる領域と結びついたここ」こそが現実的で聖なる中心たり得る。そのようなわけで、ドーム的、塔的のセットは必ず大きな過剰なる建築に見られる、というよりは、ドーム的、塔的要素が基本構造となって大建築が生まれている。人々の内実にかなった中心−−大建築は、常に聖と俗をこの極限において併せ持たねばならなかったのではないか。


 カトリックの総本山のサンピテロ寺院の強大な丸屋の前にもなぜか、エジプトから運んだオベリスクが立っている。塔とドームが分離したまま同じ場所に立っていることも多いが、その2つが同一の建築構造として結合している場合も多い。(前者は北回り、南回りの仏教寺院や、ピサやフィレンツェの中世イタリア寺院。後者はゴシック寺院他。イスラム寺院はその中間と言えようか。)                        

 仏教建築で言えば、レンゲという円形の場に座る頭上にもう一つこぶのある仏像の構造にも、@とAの極限化された結合を感じる。

 またどこの文化にも、王の座る「王座」というものがあり、王が「謁見」などする場合、王座−−@に座り、冠−−Aを着ける。これも世界の中心を主張していよう。

                                        

《古代ギリシャ神殿と古典様式》

 現存する古代ギリシャの神殿には、塔的要素は見えにくい。しかし、古代ギリシャの神殿の多くは、小高い丘の上や絶壁の崖他、非世俗、非日常的な場所に立っていて、まずその場所の聖性を背景にして立っているように思える。また、完全な比例と調和を実現した建築物であれば、それ「自体」の構築性が、美であり「聖」なのであり、天へのばす梯子のごときアンテナは、不必要ともなるだろう。一般的に、古代ギリシャやその復活を希求したルネサンス様式(特にブルネレスキ)では塔的要素は見られない。かつてブルーノタウトが正面の見栄えよりも、各々の要素間の緊密な調和、歩きながら体感する感覚を主張したように…。それらはこれみよがしに世界の中心を主張するための建築ではなく、自足したそれ自身が宇宙であるかのような構造体なのである。それは、あくまで理想であって、現代まで繰り返されるギリシャ様式のファッサード、柱、ルネサンス様式の宮殿、国会議事堂、ホワイトハウス等々は、形骸化、いちじるしく虚構的である。                                

 

《正面と奥》 

 キリスト教の寺院の壁画、ファサードのもろもろのレリーフ、祭壇画が、聖書の読めない人に聖書を説明するために描かれつくられたとよく言われる。しかしそれはほとんどウソに思われる。まず最初にあったのは、あまねく世界を網羅するキリスト世界の広大さ、複雑さ、奥深さ、そしてあの世的なきらめきへの欲求とそれへの答えである。 文字の読めない人のため云々というのは、聖書の偶像崇拝禁止に対する苦し紛れの言い訳、大義名分である。聖書を読んでいくことと、ファサードを見ることは、まったく異なる体験である。ファサードや祭壇画では、あらゆる世界の要素、過去、現在、未来、神と悪魔…がキリスト教的に一ケ所に、一つの視界に凝縮され、統合され、コンパクト化されている。その全体像を一瞬に全体として体験することができる。この「集約性」は、「世界の中心」にはかかせない表現形態と言えよう。
 そして、この「集約性」の究極こそ、聖書でもなく、建築でもなく、彫刻でもなく、ファッサードや祭壇画に具現された平面的な正面性であろう。この世界の全てをひとまとめにして、見たいという正面性(コンパクト化)の欲求は、究極の@の欲求と言える。イスラム教のモスクの入口も、大変正面性を強く感じさせ、様々なアラベスク文様やコーランがからまりあって一度にせまってくる。南インドのヒンドウ 寺院の形式では無数の神々が、平たい山のように集合していて、圧倒的である。

 しかし、教義を平面上に図式するだけでは、聖性、奥深さは保つことが難しい。そこには必ず「奥」という要素があわせられている。正面性が、全てを視覚化するとすれば、「奥」は全てを秘める無限感を表現する。例えば、キリスト教では、大きな平面的ファサードと暗い小さな穴−−深々とした秘所への入口は同時に響き合う。そして、入口から中に続く長い回廊。その奥の奥に、教会の心臓部である祭壇がある。祭壇画やイコン、十字架像の正面性は、入口から続く回廊の奥行きと関係している。ミケランジェロが示した幾何学的に整ったサンピエトロ寺院の案を、巡礼者が収容できるよう後に変更し、回廊を前後に長くしなかったなら、シンメトリーで大きいだけのモニュメントになってしまったかもしれない。入口という穴のあいたファッサードと奥深い内部をくぐりぬけた末にあらわれる祭壇画は対称的関係にあると言える。奥行きの表現はA−−未知との出会いと重なる。

キリスト教会の祭壇画はゆえに、教会建築の構造の一部であって、それ自体独立した表現性を獲得しているとは言えない。逆に言えば、この「正面性」に「奥」の要素がはいってくる時、@とAの合一した自立的な表現が生成してくると言える。「絵画」や「彫刻」の自立は、そのようなところから考えられるだろうと思っている。
 平板で、型にはまったイコンや祭壇画が三次元化され、自然主義的表現が導入される。
それはキリスト教の教義−−コードの外部という一種の他者−−Aの導入に他ならない。

さらに最も顕著なのは、遠近法の導入によって、絵に「奥行き」が空間的に表現されたことによる。単なる平面的な図示や平面もしくはそこに生まれた三次元的空間を、背後で支える一貫した「法」(それ自体見えないが、みえるもので暗示される。)が宿される。ミニチュアール、細密描写と異なるのは、この点である。               

 また、彫刻も、自然主義の導入(コードの外部−−A)で様々に動き得る現実感が加味された。いわゆる「クラシック」な表現は、この刹那的で無限に未知数な外部の再現性と、ミニチュアールやファサード的な正面性の集約化欲求−−@が合成されたものと理解できる。それは自然を装いながら、一つの視点から見られるように構築される。建築からズレるので詳しくはここでは述べない。

《自然信仰の建築》 

 日本の神社建築は、「奥行き」を大変重視していると言える。そもそも自然信仰のカミは、クム、「隠む」とも言うように、目に見えるものではなく、隠れ流動するものであるから、正面性の強い、全てを見えるようにしようという視覚的ファサードや祭壇画に類するものはあるにはあるが、あまり積極的な造形をとらない。むしろ鳥居から鬱蒼と繁る薄暗い森の長い階段を上っていく「奥行き」を持っている。そしてその奥にある社も秘密めいていてなかなか中の神像が見えない。(鏡の場合も多い。)さらに、その奥には「奥の院」という「奥」を持っていて、上に長いゴシック寺院に比べ、縦に長い構造を持っている。その建築表現は、西洋のごとく、社やそのレリーフのみで語ることは出来ず、それを取り囲む鎮守の森など全体との関連で語られる必要がある。山岳信仰や洞窟信仰の構造にも同じことが言える。
 単純に言えば、Aの衝動を森などの自然のもつ未知性に投影し、建
築表現の中に取り込んでいる。

《あらわれるとかくれる》 

 定期的につくりかえる伊勢神宮は大変珍しい建築形態である。永遠、超越する神のお社が有限の人間の手でできようはずもなく、結局は仮の住まいでしかないことを案にしめしているようだ。常にそれは物質を超えた目に見えない領域を抱え関係づけられている。建築は、ここでは建築のためではなく、建築では手の届かない領域を暗示するためになされているように感じる。                              

                                        

《総編》 

 このように、ドーム(ここ)/塔(あそこ)・正面(見える)/奥(見えない)の要素は、大規模な建築表現、都市にはかかせない。その対比は大に小に繰り返され、空間のリズムとなって体験される。そもそも建築をおこなう発端となる領域からの根本的構造と考えられるのではないか。
 このような基本構造からすれば、幾何学形態に対する有機的フォルムだとか、自然主義表現のレリーフに対する抽象的なイスラムのレリーフだとか、屋根を支える柱の力学的構造の差異だとかというのは、建築を語るようで建築を語り得ないように思える。様々な様式を結合するポストモダンも、このような内的な基本構造を無視するならば、深く深く人の心を満足させるような建築を生み出すことは難しいだろう。

                                          2000年