<石について>




 
 石はどこにでもあり、しかし一つとして同じものはない。
 固く不変的なものとして、生命や肉体の反対に位置している様でありながら、「君が代」のさざれ石の様に成長することもある。通常「石の文化・西洋」/「木の文化・日本」と対置されがちであるが、日本でも様々に石が用いられ、興味深い石の文化を育んできている。全てが石造りとなった西洋中世の都市の様に大量の石材が集中的に使用されるということはほとんどないが、ある特異点としての極めて重要な働きを石に託してきた。
 他の個所でも指摘しているように、象徴論的「石」の使用は、他の素材、、、例えばその対極的な性質の変化生成する一過性の「生身、植物、泥など」と対になって用いられることしばしばで、他の素材との総合的な関係性のもとで石の意味を考えて行かなければならないだろう。

 まずはその「石」の物理的特性、そしてそこから派生してくるところのイメージ・精神的特性を摘出してみたい。



1・石の性質

 ・固い
 ・変わらない、動かない、腐らない、燃えない、不変性
 ・何処にでもある
 ・同じものが無い
 ・様々な大きさ、状態がありうる
 ・塊を持った存在物
 ・形状の特性―ある種の塊、球状、棒状、何か具体的イメージに類似した形
 ・重さ
 ・割れると鋭利な形状になりうる
 ・様々な物質が混ざり込んでいる
 ・内部への吸収性
 ・無意味、無内容
 ・地中や山の一部、骨格として
 


2・実用的例/象徴的例

 原始時代から現在までの様々な石の用いられ方は、全て上記の石の性質に立脚されていると言えるだろう。
 その硬さや鋭利さは様々な石器―道具の重要な素材となった。石つぶてや矢じりの先、石斧、石臼として獲物を刺し、肉や植物を裂き、穀物を細かく砕いた。時に火打石として火をおこしもしただろう。
 その硬さ、重さ、恒久性は、何らかの構築物の土台となり、素材となる。また何かの「しるし」とされ空間に配される。そのような性質は現在までほとんど変わることが無い。
 ところで、固さ―不変性は、象徴的力を起動させ、何らかの聖性をも付与していくこととなる。
 うつろいゆく自然界、生命の世界において、動じず変わらないもの―石の性質は、それだけである種特別な存在となる。「しるし」は、いつまでも変わらない、気分や個人の意見や趣向や生命の寿命や天候に左右されえないものとして、村境や生死の「境界」や何らかの重要な起点―礎石、シンボルとなる。
 石の不変的な性質はそれ自体「モニュメンタル」なものであり、機能としての特性が、そのまま象徴性をおびたものとなり、「石」ほど実用性と象徴性が重なってくる素材は少ない。獲物や敵を倒す武器は、その力と権力の象徴となり護符となる。壁や境界に置かれるしるしは、「領域」を規定し守護する「境のカミ」と重なるだろう。死者を埋葬するしるし・墓は死者の存在や権力の象徴ともなる。
 そうしてしだいに実用性から離れ、純正なモニュメント―シンボルとなるものも多い。それは造形芸術のルーツの一端となってきたことは先述してきたとおりである。
 そこから転じて石材の使用が逆に象徴性の、芸術の記号となってくるわけである。わざわざ石を使用しなくともいい部分にまで、重量のあり手間のかかる石材を用いることにより、時に実用性を犠牲にし、実用以上の何か、別な次元を表現しようとすることになる。


3・自然な塊として

 何処にでもある特に珍しくない石ではあるが、逆に特殊な場所や特殊な形状、大きさ、特殊な在り様、特殊な由来によって、聖別され、それ自体神聖視されることがある。そもそも自然神を祭る拠り所となるのは、山や森の岩―イワクラであったり、あるいは特別な岩自体が御神体そのものとして神社に祭られていく場合が多い。
 このような石そのものが聖化される場合、加工はほとんどされない。ただ注連縄がまかれたり、鳥居や祠が立てられたりする。小乗仏教のミャンマーでは聖化される岩にパゴダが建てられる。

 石はカミが依りつき、依りしろとなりイワクラになるように、様々なものを吸い寄せ、その内部に吸い込むことができるようだ。芭蕉の句の「しずけさや岩にしみいる蝉の声」の様に、何かの音だけでなく何らか気配や霊力や意志や魂、念が吸い寄せられ、沁み込み、宿されることによって、御神体ともなり、魔よけともなり、不吉なものともなり、墓石にもなって、畏怖や供養の対象ともなるのである。

 石そのものの特殊な姿かたちに何ものかを見るという場合、例えば蛇のような姿が浮き出た蛇石や、特殊な「宝石」の類いなど、ある種の念や霊力が宿っているとされ、畏怖され、時に大切に祭られ、手頃な大きさであれば、お守りとして、装身具として身につけられながら有難がられる。
 ある特徴的な石―丸い石、棒状の石、穴空き石、何処か身体の一部に似た形状の石などを、豊作・子孫繁栄・安産祈願、耳や足や手やどこか悪い部分の治癒祈願を目的としてそれぞれ「奉納」することも多い。

 石そのものの自然な姿を愛でる、例えば「水石」などでは、その天然の生み出した姿かたちに大いなる自然―宇宙の姿・広がりを感じようとする。日本庭園でも自然石を用いるが、加工されないで天然のままの表情を生かす場合が多い。



4・削る―加工する―媒体として 

 天然の自然石に対する聖視、イマジネーションがもとになり、最小限の手が加えられるという「原初的」でありながら、自然信仰文化圏ではまさにスタンダードな「造形表現」がある。この「表現のみち・おく」では再三指摘してきているところである。自然の広がりの中に何らかの意味を見出し―「人間化」、しかしそれを矮小化することがない。西洋近代的な造形概念とは異なる、「二重性」の造形文化の本質をあらわしているのである。背景の大いなる自然への回路が確保されている場合、その表現は大変強固なものとなる。

 縄文〜古代初期、加工された石の信仰を示す例としては、穀物などを細かく砕くための道具としての、皿状の石と棒状の石がセットになって墳墓や神社に供えられていることがある。さながら男根型の賽のカミやコンセイ様(金勢さま)や道祖神、あるいは安産祈願などの穴空き石のルーツとも考えられる。もともと「そのような」特異な形状の天然石を見出して、最小限の人工的な加工を加え、イメージをより確かに導き出すといった様な部類の造形は、はるか昔の原始から近現在の庶民信仰の在り様まで頻繁に見出すことができる。これらの造形は単に稚拙で消極的なものということでは片付けられない、独特な表現性(二重性の造形)を生んでいると考えられる。
 縄文時代から古代にいたるまで我が国の代表的な装身具の一つであり続けてきた「勾玉」にしても、単なる加工品ではなく、そもそもの特殊で貴重な石の力がその表現の基礎となっており、加工はその力を引き出し固定するものとしてなされると言えるだろう。そう考えるならば高度で精緻な技巧を屈指する、現在のカッティングされたダイヤモンドなどの輝きとは質を異にしていると言えるだろう。
 
 もともと聖視される特殊な岩になんらかの加工を施す。その仏教版である「まがい仏」等に関しては既に考察したのでくりかえさない。いずれにせよこの種の加工は、もともとの(感じられている)石が持つ力・聖性をより顕在化させようとするものであり、作者のイマジネーションの素材として、天然の岩を占有しようとするものではない。
 また時たま目にする例として、小石に墨で文字を書き神社やお寺へ納めるという習俗がある。これは石がある塊としての物体であり、それぞれ同類でありながら別個の唯一無二の存在であるという性質をよく踏まえているように感じられる。ニュートラルな紙や壁を支持体とするのではなく、ひとつぶひつとつぶ異なる物体を支持体としメディウムとすることにより、文字はある種の「言霊」となって、実在性をおび、半永久的にものとして残され、地中や聖地に収められることにより、異界へ伝えられる。
 同じように、「言葉」を岩肌に刻むことはより一般的だ。自分の名、戒名を刻めば「墓石」になり、何かの神仏名や梵字を刻めば「石塔」になり、何らかの事績や歌など刻めば「石碑」となり、現世を超えて半永久的に、越境的にあるものごとを顕示し続けることができる。それは、「石」という半永久的な素材と一体化し、当事者の時空を越え未来や異界の時空へそれは伝えられ受け継がれていくのだ。墓石や庚申塔等の場合、その様な石を加工し、立てる(配置)こと自体が、供養であり、回向であり、信心の表明となるのであり、その意味でも「石」は時空を越えた支持体―聖性をおびたメディウム・媒体となることができる。
 刻まれたり書かれたりすることで何らかの意味―内容が投影されうるのは、「石」が元来「無意味」で「塊」で「不変的」で、、つまり外から何かを吸い寄せやすく、確かな実在物であり、そうでありながら現在の時空を超越しているという性質のなせるわざであるだろう。
 それらの特徴を合わせて観た時、「石」という存在が、本来の意味合いにおいて、大変優れた「媒体」であるということが理解される。*(後代の「彫刻」の「素材」としての石材のありようは、その形骸化したもの、キッチュ化したものであるとも解釈できるかもしれない)。
 


4・配置、並べる、積む 

 加工による造形ではなく、自然石を置く。並べる。積む。などによって何らかの造形、表現を行なうこと。
 このような表現?も日本ではその長い歴史を通じて目にすることができる。

 一つの石を置く。漬物石ならばその形状と重さによる。境界石であればやはりその重さ固さの不変性による。
 その硬さはしばしば防壁として用いられ、敵を防ぐと同時に、かつては死後の世界とこの世の境を封じる防御壁にも使用されたと思われる。石は霊力を持ちまた悪霊を防ぐものというイメージが古くから伝えられてきている。それゆえ墓に用いられる石の意味には、実用性だけでなく、死者の「荒魂」を封じるという意味合い、悪霊から死者を守るという意味合いなどが同時に考えれると研究者は指摘している。石は耐久性を保証し、霊を封じる、また死者の存在、墓の位置、権威、鎮魂、供養の気持ちを「しるす」という多義的な目的に良くかなっていた素材であり、時代時代によりその色合いが異なっていたことが予想される。

 ところで複数の石を組み合わせる場合、西洋の様に、特定の形、大きさに加工してブロックの様に組み合わせて造形・建築するというものも無いわけではないが(壁、城壁、墓石など)、日本列島ではあえて自然石かそれに近い形で用いられることが多い。
 それは自然石の本来持っている霊力、あるいは天然自然の表情を最大限尊重しているからでもある。同種同形のユニットによる構築とは異なるものづくりのあり様が、そこに表れている様で興味深い。
 それは例えば縄文時代の環状列石、あるいはもっと後の日本庭園、枯山水などの石の姿によくあらわれているだろう。中世ヨーロッパの石造りの建造物の様に、何らかの幾何学的なイメージを石材によって再現したというものではなく、其々異なる形状の自然石が適材適所で用いられ配置されながら、空間としての全体が生まれてくるというものだろう。そこでの石は、人間的思惟を再現する単に恒久的素材としてではなく、依りしろでもあり霊力を孕んでもいるところの一個のかけがえのない存在物として、あるいは無限の天然自然を投影し具現するものとして、其々が其々に息づき機能する部分として存在しているように見受けられる。

 複数の石―地水火風空を象徴する石が積み重なって生まれる五輪塔の場合では、大体の場合其々に見合った加工がなされている(形態的、あるいは梵字の彫り込みなど)。しかし、加工する以前に、石を「積む」・「配置」すること自体が、回向であり功徳を積む行為として重要なのである(石灯篭なども同様)。
 日本庭園では、そのような回向とはやや趣を異にしながらも、それら石塔など加工された石の造形物を、天然の自然石などと上手に組み合わせ配置し、多層的な空間を作り出していく。

 複数の石が組み合わされているということからすると、その最も甚だしい例が所謂小石が無数に積まれ組み合わされる「積石」である。この場合の石は加工されていない自然なままである。古代の墓室から賽ノ河原の石積みに至るまでその例は広範囲に見られ、その意味や目的も謎が多い。身近な小石で何かを築くという原初性をとどめながら、築くこととはまた別な意味性も感じられ大変興味深いものがある。「積石」の項で詳しく考察している。 
 
 「火打ち石」では、鋼鉄片と打ち合わせ接触させることで「火」を生み出す。新しく生み出される火は清浄な火として聖視され、何かの神事の際や外出の際では、火打石を打ち合わせて清浄な火をはなつ。それゆえ火打石自体も聖化されることになる。石の固さは、摩擦によって、「火」―「聖なる力」をも生じさせることができるのである。 
 


5・代用(石による代用・変換)

 先述したように、石そのものがモニュメンタルで聖性のシンボルとなる。もともと石でつくられる事物はもとより、本来は石と無縁なものまでも、石によってつくられ、石でなぞられ、石に変換されることにより、普段の実用性から「ハード」方向に離反し、棚上げされ聖化されることになる(逆に脆弱な素材への変換―「ソフト」方向―という造形表現もあり、総合的体系的に考察していかなければならないことは別な個所で述べている)。この種の石彫表現は、先の原初的な石に最小限の加工を施す表現構造とは、その文脈を異にしているということができるだろう。

 そういう中で、日本では、肝心の神社―神殿が基本的には石でつくられずに、つねに木でつくられてきているのは注目に値する。一方で灯篭や狛犬はほぼ100パーセント石材によるものである。同じ象徴空間における造形であっても、石でつくられるものと、そうでないものがはっきりと分けられている。
 おそらく自然信仰にかかわる神社における木の使用と、外的な魔よけや死者にかかわる境界を守る狛犬や賽のカミ、墓石などの石の使用は、かなり意識的に分けられていたと考えられる。
 仏教系の仏像も木彫と石彫にわけられうるが、日本では圧倒的に木彫が優勢であり優れている。石彫の場合は先述の「まがい仏」の形態が多い。結局どちらも自然信仰の色合いが強く加味されている。
 例外なのは地蔵菩薩である。なぜか地蔵だけは石でつくられることが多い。研究者の指摘では、実は路上の石地蔵、六地蔵などは、もともと仏教以前の石による賽のカミなどが、仏教化して地蔵に置き換わったのではないかとも言われている。本地垂迹説でも地蔵菩薩の化身が道祖神ということになるらしい。
 だいたいの場合、まがい仏のスケールは大きいものであり、石地蔵は小さなものが多い。それはまず人体スケールではなく、岩や石の存在・聖性がまずあって、そこに「仏」のしるしが加工されたというものなのだろう。

 このような日本の事情―聖なる様式としての神殿、神像、仏像における、石よりも木の重視は、その後現在までの日本の造形美術にも大きな影響を及ぼしていると想像できる。つまり西洋のように人体を石像やブロンズにするという「変換」が、正規の「芸術化」として十分に機能しえないことが予想されるのである。日本における彫刻では、もしかすると石材では、本来の象徴機能が作動せず、例えば硬直しキッチュ化した嫌味な銅像、、、校長像や二宮金次郎像の様な、、ものにならざるをえないのかもしれない。今日に至るまで石材による優れた人体彫刻が、日本に少ないのは、そのへんの伝統的構造に理由があるのかもしれない。




6・その他

 上記の事柄を踏まえつつ、以下「その他」として、珍しい石の在り様を考察してみたい。
 偶然なのか必然なのか、いずれにせよ「石」というものが本来持っている性質が前提となって、結果的に興味深い「かたち」が成立している。

         


 まず左端の写真から。
 狛犬か稲荷か何かの動物石像の頭が壊れ、代用品と思しき石がのせられている。のせられている石はやや長い丸状の形態で、犬かキツネか何かの顔の形状を想起させる。
 ちょうど口のあたりにまるで口の様な切り込みが入っていて、それが加工したものなのか偶然もともとそうした石が選ばれたのかよくわからない。このような破損部を、周辺から持ち寄られたありあわせの石で補うというケースは意外によく目にする。天然石の頭部と、人工の身体部分は、切れ別れながら、ひとつにつながり、微妙なズレの感覚を発し続けている。見るものは表情の無い天然石の表面にそのあるはずの表情を観ようとし、その内側にその魂を感じようとする。むしろ下手な作為がかった彫刻がなされるよりも、何か不思議な広がりと深さを感じてしまう。
 その隣左から2番目の写真も同様で、おそらく地蔵菩薩の頭が取れてしまい、代用品として球状(カボチャ状)のなにか(おそらく何らかの加工された石)がのせられている。足の部分には石片がいくつかおかれ、もしかするとこの石片がもともとの地蔵の顔だったものかもしれない。顔がなく、表情がなく、一種異様ではあるが、何か超然としたたたずまいで、こちらの内面を見えない目で観られている様なそんな気がしてくる。それは物理的な目ではなくて霊的な目なのだろう。目の見えない者が霊媒をよくするという古くからの習俗もひとつにはそのような感覚がはたらいていたからではないだろうか。
 左から3つ目は、おそらく灯篭か何かの屋根部分に天然の岩が組み込まれのせられているもの。人工的に加工された下部と上層の自然石の差が際立っている。なんでこのようになっているのか、破損して代用した結果なのか、はじめからこうなのかよくわからない。ただ普段加工された屋根のあるはずの部分に天然石がのせられているために、その天然石の存在感が大変大きく感じられる。
 左から4番目は、ミャンマーの聖地のひとつ。落ちそうで落ちない崖のはしっこに留まったままの巨石を聖なるものとして祭っている。もともとは天然の岩の自然な成り行き―ある珍しいひとつの「状況」があっただけなのだろうが、巨石の表面には金箔が貼られ、てっぺんにはパゴダがのせられるにいたっている。おそらく仏教的に「パゴダ化」され、この奇跡的な存在の仕方を敬っているのだろう。日本でも例えば榛名神社の巨石が有名である。岩山の上に乗っかった巨大な岩そのものが御神体となっていて、その下部に神社の社が建てられている。このように石の存在の仕方、その在り様の様が特異で、奇跡的な場合、その状況そのものが聖化されてしまうことがある。大きな物凄い重量のある巨岩が上空にとどまっている。ころがるはずが留まってあるという状態。その「状況」そのもの、それを普段の節理に反して留まらせているだろう何ものかの意志、力をそこに想起させるのであろう。ただこのような存在の仕方の不思議さというものは、スケールの差こそあれ、つねにありえるものなのであり、普段は見過ごされているのである。
 左から5番目最後の写真は、現代美術家関根信夫の作品である。ステンレス柱の上に天然石が取り付けられただけのもの。
 様々な作家的思惟による加工や、仏教的、神道的解釈を石にかぶせるのではなく、天然の石自体、その自然な在り様、様態の不思議、状況そのものを開示しようとするものだと推測される。もともとはいわゆる「もの派」的流れにあった試みだろう(その成功、不成功はさておき)。
 関根の場合、人為的手段に負っているわけだが、ミャンマーの石のパゴダや榛名神社の御神体の石の在り様と近いものがある様に思える。
 「石」という概念、普段わざわざ注視することのない「ただの」石ではなくて、本来の「他者」としての「石」そのもの、その存在―畏怖すべき存在としての「石」に触れる時、人はそれを聖別しようとするのではないだろうか。巨石や奇岩や、落ちそうで落ちない奇跡的在り様の岩は、そのような通常の概念としての「石」を越えでていく契機を孕んでいるのだろう。
 これまで、現代美術でも、石は様々な様態で登場してきており、上述してきた石と日本人の付き合い方を踏まえて、あらためて考察してみれば、そこに多くの関連性が認められる。
 その辺のところは「美術と石」の項であらためて述べていきたい。