<よりしろ・供物>
先述(「循環」・図)のとおり、異界との交流の仲立ちとなるものとして特に「依りしろ」・「供物」がある。
これは、造形表現のルーツとなるものでもあり大変興味深くかつ重要な造形の原型である。元来日常品とは異なる「芸術的」造形品は、一般民衆に向けられる以前に、神々に向けて奉納品として作られてきたのであり、それは端的に供物であり、あるいは依りしろ的な機能としてあった。ただ後述するように後年「芸術品」となる過剰な造形奉納品は、これら交流メディウムとしての依りしろ・供物の文脈からすると例外的なものであるので、まず一般的な依りしろ・供物の在り様、機能、特質から考察していきたい。
異界とは不可知でとらえどころがなく、人知を超えた畏怖すべき領域であり、力である。同時に、そこは人知を超えた恵みや災いの源として想定されるところのものでもあった。
このような異界と安定した交流を実現、コントロールするためには、様々な入り組んだ技術が必要不可欠だった。まず捉えどころのない見えない存在を、目に見えうる、したがって捉えどころのあるあるまとまりに―人間界の言語形式に翻訳する必要があった。依りしろとはその様な役割をもつべく生み出されたものである。それは端的にシャーマンが精霊を憑依させて、人間の言葉でしゃべらせるの同様である。生身の人間・依りましを用いることもあり、ただの山の木や棒を使ったり、それを削ったり、人形をつくったり、造形的な加工が施されることも少なくない。ある種の小屋・祠等を用意するのも同様であり、一種の空の器としてそれはある。よりつきやすい空の器を用意してそこに見えない精霊を憑依させ見えるようにする。同時にそこ・それに定着させることにより、向かい合い、語り合うことが可能となり、あるいは移動したり、どこかへ固定拘束(お社などに祭る)することも可能となる。それが災いをもたらす悪霊であれば、そのまま村境の外部へ捨てたり、燃やしたりして撃退することもできるようになる。
一般的に脆弱な素材、ナマな素材が用いられ、加工は控えめで原始的状態を留めている場合が多い。
それに比べて、「供物」とは、人間側から異界にむけて捧げるもの・ことである。依りしろとは同じ媒体でありながらベクトルが逆である。供物は、異界からくる災いに対する担保とし奉納されたり、あるいは恵みに対する感謝として、次の年も同様に恵まれるようにとの願いを込めて捧げられる。捧げられる内容は、労働そのものだったり、労働から得た富の一部だったり、代表者の人身御供、馬、動物、、、、各種ありえる。造形物もいろいろあり、高価な宝物や神の似姿の神像だったり、あるいは神殿の柱、屋根瓦、神殿そのものが奉納されることも少なくない。また特に盛んな日本の習俗として「絵馬」というものがあるが、「え」を奉納することにより、「え」の指し示すものを得ることを期待している。この場合「え」は実物ではなく、空の器であり虚構であるので、依りしろ的な機能も重ねられた習俗であると考えられる(空の器としての神殿奉納も同様な複合形態であるとみられる)。後述したい(「絵馬」参照)。
一般的に造形としての供物では、物質感や労力、技術に重きが置かれ、石造などで半永久的に残されていくものも多い。遺され人々に見られることにより、段階を踏んで「進化」(過剰化/洗練)の傾向をしめすものもある。西洋美術の発生はまさにその例外的事象のさいたるものである。
このように依りしろと供物は基本的にはベクトルが正反対であり、媒体として相互的に交流に機能している。時にこれらは複合的に用いられ(例えば依りしろに向けて供物が捧げられ、憑依をうながすといったような)、あるいは絵馬奉納のように混ざり合っている。
いずれにせよこの二つは後代の造形表現の二大源流となってきたことは確かであるように思う。
・「依りしろ的造形」は、内部に空の虚を持っている。外界とよく通じあう様に作動する。 |
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・「供物的造形」は、あるものを凝縮して象徴化したような性格を持つ。 |
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そうして、この混合型の造形はやはり両者の性質をあわせもっている。 |
さてここで上述の特質を以下の様にまとめてみたい。依りしろにしろ供物にしろ交流の媒体として機能する造形表現の特徴は、日常生活における実用品の造形と比べてみたときに解かりやすい(前近代ではもちろん実用/象徴の区別はあいまいであり、混ざり合っているのだが、あくまでここでは便宜的に解かりやすくするために分けてみる)。
まず用いられる素材が実用品では実用に耐えうる材質が選ばれている。逆に媒体の造形では、日常の実用的要請からズレている。そのズレ型は図のとおり二方向へ過剰化していく。より壊れやすいソフト化。より永続的なハード化。加工でも同様で、より単純な方面とより複雑精緻絢爛豪華な方面へ両極化する。大きさも同様に、より小さく小型化するか大型化していく。このような特質は、日常的形式に対置されており、日常的規範を逸脱、超越することにより、別種の領域を示唆する象徴的な表現を形成している。いわゆる聖なる形式はやがて伝統文化ともなっていく。
このような造形表現における、両極への変換は、後代の美術、現在の美術の在り様と、少なからずリンクしているのがわかってきて大変興味深い(以下「美術との類似」参照)。交流のための聖別されたエリアでの表現形式と、今日の現代美術、美術制度上での表現形式にある共通性が見て取れる。後述したい。例えば実在の人物を石像にするということ。すなわちナマものを半永久的な形式に変換することは、聖なる手段でると同時に芸術化の手段であり記号ともなる。
日常的実用 | 非日常・マイナス | 非日常・プラス |
ソフトな素材 | ハードな素材 | |
小さくする | 大きくする |
|
簡素にする | 手間をかける・豪華 | |
一回性 | 永遠 |