建築における「日本的なもの」(磯崎新)2003年を読んで―1
「退行と擬態」
ちょっとわけあって、ひさしぶりに「建築における『日本的なもの』」(磯崎新)を読みなおしてみた。
本書を以前と同じ近所の区立図書館から借りた。同じページに自分が7年ほど前に付けたと思しき折目を発見しなつかしむ。
以前かなり丁寧に読んだと思っていたのだが、けっこういい加減だったことが判明。
肝心なところを読み飛ばしていた。
「何だ自分のことが書いてある」と思いびっくり。今回ここに感想文をしたためておくことにしたわけである。
本書は戦前から戦後、今日に至るまでの、日本の建築家の主たる問題意識としてあった「建築における日本的なもの」がどのようなもので、どのように推移し、どのように至っているか、良くも悪くも大変図式的にかつ明晰に整理され考察されている。
「建築における『日本的なもの』」という問題構制は、日本が近代化の中で西洋・近代建築を受容する過程において、近代人としての外からの目によって、自身の内に他者としての日本を探し求める様に形成されてきた問題構制だという。それは明治以来大東亜戦争中から戦後の復興、オリンピック、大阪万博まで約100年にわたって推移してきた、島国・日本ならではの建築上の主題であり続けた。
西欧の復古的古典様式の模倣から国際様式としての近代建築様式が受容され、あらためて日本固有の建築様式が希求されるようになる。それはいわば当時の国策でもあった。折衷的な「帝冠様式」を経ながらも、ブルーノ・タウト等の影響、桂離宮や伊勢神宮、茶室など我が国の古典が研究が進められ、近代建築と日本建築の統合がはかられた。それは例えば丹下健三の仕事に昇華され戦後に継続されたとする。磯崎によれば1968年ころから事態が変化し(前衛の死、経済大国化など)、「日本的なもの」という問題構制が機能しなくなり、ポストモダンに続く90年代のグローバリズムではさらにそれが加速しているという。
本書の核になるメイン章の最終段階に「退行」と「擬態」というキーワードが提出されている。以下抜粋する。
「つまり、グローバリゼーションへと世界状況が変換させられると、内外の視線の交錯がつくりだしたジャポ、、、系列の『日本的なもの』という問題構制は成立しなくなることだけは確実だろう。ここでは内部と外部が気軽に反転できる。内部と外部という区別がそもそも消滅させられているのだから当然だ。そこで別の視点が見えてくるだろう。スーパーフラットと化した表層から落っこちて、底に沈む残滓にフェティッシュにこだわること、それがあらためて「日本」を浮かび上がらせることがありえないか。内部と外部の境界面ではなく、上下方向に表層と沈殿物が分離する」(第一章 建築における「日本的なもの」 <7「退行」と「擬態」−1942年をケーススタディする>より)。
*(「ジャポ、、、系列」―「ジャポネズリ―、ジャポニズム、ジャポニカ、ジャパネスク」)
磯崎は、グローバリゼーションの今日と、戦前戦中の大東亜共栄圏志向は、ともに内外の境界がはずされ、外部に自身を溶解させていく、共通する状況であったと指摘する。その上で、この「底に沈む残滓」としての態度として、大戦中の坂口安吾と小林秀雄に注目する。その態度とは以下引用するように其々「退行」と「擬態」であったとする。
「坂口安吾が即物的なリアルな生活に向かって退行していくことによって、通念となった『日本的』な美までも捨て去っていいという信念を表明したこと、小林秀雄が、そもそも虚構にすぎない歴史が操作した解釈を拒絶して、始原を再語りするという、擬態(もどき)にみずからを投入する選択を表明したこと、つまり退行と擬態という、これまたいちじるしく「日本的な」こと=態度決定をとったあげくに、圧倒的な波に溺れることから逃れていたことに私は注目する。つまり、これはスーパーフラット化する趨勢のなかにあって、表層から分離し沈殿した残滓が別種の問題構制を引き起こす可能性をみることである。あらためて、これが「日本的なもの」をつくりだすかも知れないが、別の名称がついていることもありうるだろう。」
と、このへんの内容が本著の「結び」的な最重要部分になるのだが、このような指摘は自分にとって大変興味深いものだった。自分がこれまで取り組んできている仕事にひどく重なってくるからである。
「底に沈む残滓」、「沈殿した残滓」とは直ちに、社会の外へ捨てられた漂流するゴミ―「欠片」の存在に連結する。
これら拾われた「欠片」に関わり、寄り添うこと―「なおす」という態度に基づきながら、その欠片の特質―固有性を導き出そうとすること。そのようになされてきた自分の仕事は、まさに磯崎の語集であるところの「退行」と「擬態」に重なってくるようである。
社会の沈殿物たるゴミ―欠片にこだわり、従い、「もと」−起源を求め、繰り返される「なおす」いとなみにより、ありうべき不確定な「もと―起源」が再生―「擬態」されようとする。タイトルには収集した場所と日付が付され、二つとしてありえない固有性が刻印され、導き出される。その作品が「あらためて『日本』を浮かび上がらせる」ことになるのかは解からないが、「ここ」、「今」、「それ」でしかありえない唯一無二なる存在を全うするものとして起立させようと望んできた事は確かである。
その上で、磯崎が「退行と擬態という、これまたいちじるしく『日本的な』こと=態度決定」と指摘している様に、その「なおす」いとなみ自体が、西欧近代的創造概念とは別なありようであり、別な創造的意義を秘めていることを合わせて主張しようとしてきた。
磯崎が「建築における日本的なもの」を出版したのは2003年。その中の核となるこの引用部分の文章「建築における『日本的なもの』」は、1999年〜2000年に「批評空間に掲載されたものだという。
ちなみに自分が「なおす」試行に着手したのは1992年以来であった。その上で現在の拾ってきた欠片からなおすこころみがはじめられたのは1997年ぐらいからである。其々当時文章にまとめた(「修復について」1992。「修復論」1995)。さらには「風土的に」(2000年)で、それが「あらためて「日本」を浮かび上がらせる」ことにつながりうることも指摘している。
坂口安吾のことも、以前、一部批判的にではあるが考察している(「つくることを可能にするもの1999年」)。
安吾の主張は当時のさしせまった状況下でのレトリックでもあったのだろうが、やや楽天的すぎるように感じた。安吾の否定した通念化した日本趣味よりも、また同時に安吾の主張する「無きにしかざる」や「実用の美」よりも、さらに根源的なレベルで日本的なるものが考察され想定されている(「表現のみち・おく」の試みそのものもそこに連なる)。であるので、自分の試行が、磯崎の「垂直に下降する、掘り下げるだけである」ところの「退行」という語感とはかなり異なってくることもまた事実である。
小林秀雄―本居宣長は残念ながらあまりよく知らないが、その先にひかえている「伊勢神宮」の問題はなじみ深い。
破棄と再生を繰り返す伊勢神宮の20年ごとの「式年遷宮」は、当然のことながら破壊と再生としての「なおす」いとなみと重ねられる。であるので、以前から伊勢神宮のあり様には関心を持ち、自分が日本文化(自然信仰文化圏)を考察して得た原理、「分離」と「循環」による統合―「二重性の文化」(「二重性の文化」2001年、2010年)というもののひとつの具体例として、「伊勢神宮」の式年遷宮が位置付けられている(「伊勢神宮」2001年)。
磯崎は「伊勢」の本質を、起源の隠蔽―「隠す」表現として見て、それを「擬態」と呼ぶ。
「起源を探索することは、かえって標的を見失うことになる。単に騙りにひきこまれるだけである。ここでは虚構の捏造されていく際の『隠しかた』としてのレトリックこそが注視されるべきで、イセの真実はそこにしか存在しない」。「アイデンティカルなレプリカを作成しつづけながら、その間に混在している不明瞭な要素が排除され、純粋形へと再デザインが常になされようとしてしていることに注目すべきだろう」(建築における「日本的なもの」−第四章「イセ―始原のもどき」)。
中身は隠され不問に付される。幾重にも覆われ、同時に「起源」がくり返しなぞられることによって、しだいに謎は深まり、求心性が増していく。隠されれば隠されるほど余計隠されるに足るものになって行く。繰り返される「起源」が本当なのかもはや誰にも解からない。が、くり返しなぞられることが「起源」を「起源」らしくさせて行く。
このような仕組みに関しても「修復」・「なおす」いとなみに関する考察において指摘してきた(修復について1992年、修復論1995年、後天的付加価値2001年)。
そこではくりかえし「なおされればなおされるほど、なおされるにたるものになっていく」という仕組みが述べられている。このような後天的に雪だるま式に意味や価値が増大していく仕組み―西欧近代的創造とは異なる価値の形成について考察を続けてきている。
ただし、やはり磯崎の言葉―「擬態」、「もどき」という語意でのみ、伊勢神宮や後天的付加価値や「なおす」いとなみについて考えるのは不適当だと考える。
伊勢神宮の特質は「擬態」というよりも、「隠す」ことと「繰り返す」ことであり、またその複合的な構造にあるだろう。
そのうち「隠す」という性質は、日本の神社一般の特質と言える。ここではあまり精細に述べられないが、自然や森に流動する「カミ」をとどめおく「入れ物」としてまずそれはあり、磯崎の指摘のとおり「蔵・くら」、「いわ・くら」、「暗い・クラ」、「隠れる・カクレル」と繋がっていく。中身を隠しながら固定し見えるようにする自然信仰の本質的な原理に応じた形式である。
一方「繰り返す」−「式年遷宮」も程度のこそあれ、過去においては広く存在した習俗であったようだが、伊勢神宮の様に、全ての建造物を一挙に、しかも厳正に取り替えてしまうのはやはり希有なものだ。伊勢ではこの「隠す」ことと「繰り返す」ことがミックスされて独特な効果を生み出していく。
そうして特質すべきは、「その繰り返し」が、つねに単なる繰り返しである点だ。
物質に刻まれる時間、変質は20年ごとに一新されて、いつでもできたてほやほやの新品として存在する。つまりその「古さ」を「擬態」しないのである。つねに「今」でありつづけようとする。 それ自体偽りはない。太古の古さや歴史や威厳めかした付着物は一切無い。だだ、「今」つくられたものとして、それがみえるだけで、それ以下でもそれ以上でもない。つまりいわゆる「再現芸術」につきまとう視覚的操作ーイリュージョンがきれいさっぱり取り除かれている。この観点ではまさに「擬態」の真逆にあることになる。
しかし、かえって、そのおかげで、千年以上の歴史・時間をとおりこして、「起源」と「いま・ここ」が直接ドッキングするという事態が現出してくるのだ。まさに神話と現在が混交するのである。神話とは「いま」の「世界」を創出し規定する起源の物語である。*(伊勢の場合どうしても「天皇」に結びついてしまうが、このような「起源再演による現在の再任」の構造は通常の「祭り」にも流れているものである)。
一方自作の「なおす」こころみでも同様な構造を取り出すことが可能だ。
ここで隠されているのは、「もと」の意味、というよりも、「もと」に「もどす」ことの理由・意義が不問にされ、ある意味「隠されている」と位置付けられる。「もと」を復元する―「今」に「繰り返す」ことにより、「もと」と「今」が混交する。「もと」とは、自分をはじめ人々が所有している各人各様の「現実感・世界像」にほかならない。結果として「起源再演による現在の再任」の構造が発動し、「現実感」が揺り動かされ新しく刷新される、、、というようなことを期待している。
ここでも「もと」に対する「今」の「後付け」は、いわゆる「古さ」を偽装しない。ある程度連続性を保つために「もと」の状況(色彩や形状―傷跡もふくめて)に応じるが、それが「今」、「後付け」されたもの、「なおされた」ものであることを偽らない。ゆえにそれは、単なる精巧なイミテーション―再現芸術とは違うのである。
ということで磯崎の言葉「退行」と「擬態」は、あくまでも「日本的なもの」の考察を踏まえながらも、近代的視点から出てくる語集であり、十分にその特質をあらわしえないものと感じる。
「建築における『日本的なもの』」の結びは以下の様に締めくくられる。
「垂直に下降する、掘り下げるだけである。そのあげくに浮かびあがるのはひとつの固有性(スぺシフィシティ)をもつ<しま>である。そんな<しま>が世界中に無数に発生する。グローバリゼーション状態のなかに沈殿物が発生し、これが<しま>をつくり、世界は無数の凝固物の集合体として、群島(アーキペラゴ)となるだろう。そのひとつの<しま>のつくりだされかたは、退行″や擬態″のみならず、もっと多様に開発されねばなるまい。それができないと、<しま>は民族国家が想像の共同体であったのと同様に、ウェブサイトに想像的に立ちあげられているのだから、容易に消えてしまうだろう」(第一章 建築における「日本的なもの」 <7「退行」と「擬態」−1942年をケーススタディする>より)。
「退行″や擬態″のみならず、もっと多様に開発されねばなるまい」というのは賛成である。
現在に至るまで、自分は「なおす」こころみをいろいろな角度から展開し、なおかつ、この「表現のみち・おく」を試行してきている。
2011年12月